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中国「華中」の旅③~上海『外灘』編

2007年08月06日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月6日(月)
さて「続き」からですね。
17:30『外灘』に着きました。

約1年後には「北京」で「オリンピック」が。
そして「2010年」には、ここ「上海」で「万国博覧会」があるんですよね。

今日は「雨」の心配も無いし、人民も大勢います。

対岸の「浦東新区」です。

ここからは『外灘』にある「租界時代」の「遺構」を南から北へ順に紹介していきます。

これは「地球の歩き方」に紹介されてませんでした。

これも「地球の歩き方」に紹介されてませんでした。

「旧アクベイン・ビル(中国太平洋保険公司)」
「1916年竣工」の「ネオバロック様式」を持つ建築物で、外壁のレンガは1階だけがブラウンで、2階から上はホワイトが特徴。

「旧上海クラブ」
「1910年」に「上海クラブ」として建てられた。
デザインは「外灘」で最も複雑。

「旧ユニオン・アシュランス・カンパニーズ・ビル」
「パーマー&ターナー」により設計され、「1910年代竣工」されたビル。

「旧日清汽船上海支店(華夏銀行)」
日本の会社、「日清汽船」の上海支店ビルだった。
「日本風欧州建築」になっている。

「旧中国通商銀行(バンコク銀行)」
戦前は「中国通商銀行」が所有するビルだった。

これも「地球の歩き方」に紹介されてませんでした。
「遺構」じゃないのかな?

「旧香港上海銀行上海支店(上海浦東発展銀行)」
「1923年竣工」で「新古典主義様式」の代表的ビル。
「パーマー&ターナー」により設計された。

「旧江海北関(上海海関)」
「パーマー&ターナー」により設計された「1925年竣工」のビル。
屋根にある「時計台」が特徴的なのだが…工事中か?

「旧露清銀行上海本店(中国外匯交易中心)」
「露清銀行」の本店ビルだった。

「旧台湾銀行上海支店(招商銀行)」
「1926年竣工」の建築物。
日本の建築物であるため、随所に当時の「西洋風近代日本建築様式」が採用されている。

「旧ノースチャイナ・ニューデイリーニューズ&ヘラルド社屋(友邦大廈)」
「ノースチャイナ・ニューデイリーニューズ&ヘラルド社」が所有するビルだった。

「旧チャータード銀行」
「パーマー&ターナー」により設計され「1923年ごろ竣工」された。

「旧パレスホテル(和平飯店南楼)」
「1906年竣工」の建築物で、外壁に赤と白のレンガを交互に並べる「アン女王復古スタイル」が特徴的。
また「1911年」に「辛亥革命」を成功させた「孫文」がここで出迎えられたことは有名。

「旧サッスーン・ハウス(和平飯店北楼)」
「南京東路」を挟んで「パレスホテル」と向かい合う「外灘」で最も有名な「1929年竣工」の「アールデコ様式」を持つ建築物。
「サッスーン」は「ユダヤ系イギリス商人」で「上海」では不動産経営の先駆者で20世紀初期における「上海のドン」ともいえる人物。

「旧中国銀行本店(中国銀行上海分行)」
「1937年竣工」の高層建築物。
中国風のデザインを採用し、外壁には「透かし彫り」のような文様が施されている。

「旧横浜正金銀行上海支店」
「1924年竣工」の建物。
「パーマー&ターナー」により設計された「折衷様式」を持ち、正面の巨大な円柱が目印になっている。

「旧ヤンツ・アソシエーション・ビル(中国農業銀行)」
「パーマー&ターナー」により設計され、「1916年竣工」したビル。

「旧ジャーデン・マセソン商会(外貿大楼)」
「北京東路」に面する「1920年竣工」のビルで、「ネオルネサンス様式」の高層建築物。
正面には「ローマ式」の半円形のドアがある。
「ジャーデン・マセソン商会」は中国名を「怡和洋行」というイギリス系の海運、製造商店で、その後「日本」にも進出し、「幕末」の混乱期には武器の売買に暗躍していたことでも知られている。

「旧グレン・ライン・ビル(上海市広播電影電視局)」
1922年、ドイツ人によって建築された建築物で、当時の「上海」では最大の商社ビルだった。
屋上にある塔が特徴的。

これは「地球の歩き方」に紹介されてませんでした。

去年の夏休みは「長春」「瀋陽」「大連」で「旧満州」の遺構をいろいろ見て来ましたが(2006.7.30~8.6 のブログ参照)、こういう「古い建築物」を見るのも、けっこう好きなんだよね~。
重厚感がレトロ感を出しててさ。


今回約2週間「旅」をするんだけど、もうこの時点で400枚以上の「写真」を撮ってる。
今持ってる「メモリースティック」は「2G」「1G」「512MB」で合計「1,100枚」くらい撮れると見込んでいるけど、「済南」と「上海」でもう「400枚」超えたとなると先が心配だなぁ。
『外灘』の先の方にあった「カメラ店」を覗いて見ると、俺が使ってるデジカメの「メモリースティック」も売ってました。
「2G」で約「700枚」撮れるんだけど、「280元」だったかな?を値切って「230元(約3,700円)」で購入しました。
日本で買うより安いよね?
店内でちゃんと使えるのか確認させてくれたし。
この「判断」は後に「正しかった」とつくづく思いましたね。
やっぱ当初の「3枚」じゃ足りなかったもん。
そして「大都会」である「上海」で買っておいたのが大きいです。
その後行った「都市」はどんどん小さくなっていったから、足りなくなりそうになった時に「買いたい」と思っても、買えなかったと思うしね。

だんだん日も暮れてきました。

「液晶ビジョン」で広告を流してるだけの船です。

『外灘』の夜景です。

そして対岸の「東方明珠塔」側の夜景です。

19:50『外灘』を出て夕飯を食べに「南京東路」に行きました。
でも、食べたい店が特に見当たらないし、足の裏の水ぶくれが痛むんで、これ以上先に進むのは止めて「マック」でハンバーガーを買いました。
そして「タクシー」を拾おうと道に立ってたら、今度は2人組の中国人の女の子に道を聞かれました。
言ってる事は分かって答えてやったけど、それ以上の事は分からなかったんで「ごめん、俺中国人じゃ無いよ。日本人」と言うと「えー!信じられない。中国人だと思った」みたいな意外な目で見てる…
まぁ俺としては、あまり「外国人」に見られない方がいいから、それでいいんだけどね。
「サンダル」「Tシャツ」「短パン」だからな…現地人だな、こりゃ。
それから「タクシー」を拾って、20:40ホテルに着きました。
ホテルの部屋で久しぶりの「マック」。
「上海」も今日で終わりです。
明日は「バス」で「杭州」に移動します。
当初10日間ほどの「夏休み」だったら「上海」を抜かした「華中」を放浪するつもりでした。
一応「強制有休」を使って「15日間」になった分「上海」に来れて良かったです。
「三国史跡」はほとんど無い所だった(龍華寺のみ)けど、「グッズ」をいろいろ入手出来たからね。
今度はゆっくりと「美味しい物(上海蟹とか)」だけ食いに来たいですねー。

左足はこんな状態です。
右足も「水ぶくれ」はもう少し小さいけど大して変わりません。
まだ「旅」は始まったばかりなのに…



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