(1986年)岡田有希子自殺
この日のことを時系列に並べてみる。
<10:16>
ガス臭いとの通報を受けた赤坂消防署から出動した救急車がマンションに到着。手首を切り、血を流しているのが見つかる。
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<10:33>
北青山病院に搬送され、緊急治療を受ける。が、入院の必要なしと病院側は判断、程なくして退院。所属事務所へと移動。
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<12:00>
サンミュージックに到着。同行した福田専務の許に相沢社長から電話が入り、彼が席を外した隙にマネージャーの監視も突破し、事務所屋上へとかけ上がる。
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<12:15>
屋上から飛び降り、全身を強打。即死。
享年18。
地元・名古屋から上京して以来ずっと住んでいた社長宅を離れ、一人暮らしを始めて僅か5日後のこと。
もし、あのまま社長宅に住み続けていたら、この悲劇は免れたであろうか。
いや、一旦病院で治療を受け、多少なりとも冷静になれる時間があってなお身を投げたぐらいだから、死への決意は固いものであったに違いない。
しかし、運命と言うには余りに残酷だ。
当時自殺の原因のひとつに、歳上の某俳優との叶わぬ恋に苦しんでいたことが指摘されたが、断定出来るだけの確たる証拠もなく、結局現在に至るまで死の真相は判っていない。
あの日、新学期の始業式も終わり、たまたま部活も休みで、昼過ぎには僕は自宅に戻っていた。
ちょっと遅めの昼食をとりつつテレビを観ていると、画面にニュース速報のテロップが。
「アイドル・岡田有希子さんが投身自殺」
ショックだった。
少なくともメディアの前では、悩んでいる素振りひとつ見せなかった彼女が、どうしてそんな行動に出たのか、理解出来なかった。
僕はあの頃、彼女と同期デビューの菊池桃子さんの方に惹かれ、人並みにすら関心を持ってなかったのに、あの日あの瞬間から、ずっと忘れられない、そして大切な存在となっている。
亡くなってから好きになった僕でさえそうなのだから、生前からファンだった人の受けた衝撃は、想像に難くない。
まるで彼女の死がきっかけになったかのように、その後暫くは若者の自殺が相次ぎ、「ユッコ・シンドローム」などと呼ばれ、ある種異様な空気が流れていたのを覚えている。
そういうこともあって、マスコミでは長らく彼女はタブーとされ、例えば、過去の出演番組の映像も、お茶の間に流されることは皆無に等しかった。
近年、幾分緩んできているようにも思われるが、腫れ物扱い的なメディアの態度は何ら変わっていない。
いつか、もっと自然に、公の場でユッコについて語れる日が来て欲しい。
アイドルに憧れ、ハンストをしてまで両親の反対を押し切り、親に出された学業上の課題も並々ならぬ努力でクリアし、難関のオーディオをくぐり抜け、漸く掴んだ夢の切符。
少しずつ少しずつ、しかし確実にトップアイドルへの階段をのぼっていた一方で、思春期を迎えたごく普通の女の子として独り悩んでいたこと、そして、それを事実上誰一人分かってあげられなかったこと。
それら全てを、ごく自然に話せる日が訪れることを願っている。
このままではユッコが可哀相だ。

