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川瀬有希の時の旅


「今日は何の日」と題し、過去のその日に起こった出来事を、自由気ままに語るブログです。

2013(平成25)年12月の出来事

2013-12-31 22:00:00 | 2013(平成25)年

(12月30日)大滝詠一急死

今朝までは別の事を綴る予定でいたが、余りに衝撃的な訃報が届いたので急遽変更。

大滝詠一が昨日亡くなった。
享年65。

30日夕方、東京都下の自宅で倒れ、搬送先の病院で死亡したことが、31日になって判った。
119番通報で救急搬送する際は既に心肺停止状態だったという。

松田聖子をはじめとしていろんな歌手の曲をテレビで聴く際、クレジットにその名をよく目にしていたので、幼い頃から存在自体は知っていたものの、特に深く追求することはなかった。
アルバム『A LONG VACATION』を筆頭にやたら推されていた中、このへそ曲がりな性格が災いし、敢えて避けて通った為、じっくりと耳を傾ける機会は随分後になってしまった。
例えばロンバケも、CD選書という廉価盤になって漸く手にしたぐらいだ(レコード発売から既に10年が経過していた)。

一番最初にロンバケを聴いた時は、「ふ~ん、こんなもんか」と別段感動する程でもなかった。
長年高い評価を聞かされてきたので、自分の中で途方もなく凄い出来なんだろうというイメージが勝手に刷り込まれてたことが、そんな醒めた感想を導いたのかも知れない。
が、繰り返し聴いていくうちに、恰も魔法にかけられるかの如くその魅力にはまっていったのが自分でも不思議だった。
聴く回数を重ねるたびにどんどん作品に惚れ込んでいく、噛めば噛む程味の出る、いわばスルメ的アルバムは、(その当時の)僕の場合、邦楽アーティストではそんなにいなかったから、新鮮な響きをもって心を魅了した(ちょうど同じ時期にピンク・フロイドの『狂気』を購入し、全く同じような体験をしたので、ロンバケというと『狂気』がセットになって浮かんでくる極めて特殊な記憶が刻まれたのは、今となっては良き思い出)。

65年で生涯に幕が閉じられるのは、どう考えても早過ぎる。
本人もまさかこんな早い旅立ちになるとは思ってなかった筈だ。
大変残念ではあるが、作品はいつまでも輝き続ける。
よって、彼の名が色褪せることはないだろう。
また、そうであって欲しい。

ご冥福をお祈りします。


2013(平成25)年11月の出来事

2013-11-30 22:00:00 | 2013(平成25)年

(11月8日)島倉千代子死去

肝臓癌の為、75歳で亡くなる。
かつて国民的歌手とまで言われたそうだが、世代が違うのでその点に関してはピンと来ない。

この訃報に接して思ったことはふたつ。

まず、小田さん(小田和正さん)の心にはどんな感情が広がっただろう、ということ。
小田さんが若い(幼い)頃、正に大スターであった彼女は特別な存在だったらしく、かつて自身が司会を務めるTBS深夜の音楽番組でゲスト出演してもらったことがあり、更に遡れば、1995年に『あの頃にとどけ』という楽曲を提供もしている。
当時は小田さんにとって島倉千代子という存在がどういう位置を示すのか、殆ど知らなかったので、このプロデュースは意外且つ新鮮で、小田さんの音楽遍歴の一端を垣間見た思いがした。
今回、小田さんは特にコメントを寄せてないが(そういうタイプの人でもないし)、この訃報には何か思うところがあっただろうと想像される。

そして、ふたつ目。

14日に青山葬儀所で行われた葬儀・告別式で、亡くなる三日前に録音された生前最後の肉声が流され、参列者の涙を誘ったが、あれを聞いてある種の既視感に、僕は襲われた。
2011年4月21日に乳癌の為女優の田中好子さんが55歳で亡くなったが、その四日後に(島倉さんと同じ青山葬儀所で)営まれた告別式で、同様に生前最後の肉声が会場で流された。
その日参列した僕にとって、それは何と言えばいいか今なお表現しづらい、忘れ難い「声」だった。
島倉さんのファンの方々の気持ちが、痛いほど僕には分かる。
あの「重さ」は、予告なくその場で耳にした者にしか分からない。

最後の肉声は、デビュー60周年に向けての記念曲をレコーディングした後に録られたという。
当初11月15日に録音予定であったが、「その日まで待てない」という島倉さん本人からの連絡で急遽実現したそうだ。
自らの最期が、島倉さんにはもう見えていたのだろうか……。


2013(平成25)年10月の出来事

2013-10-31 22:00:00 | 2013(平成25)年

(10月26日)みのもんたがTBSの情報番組降板を発表

不正に入手した他人のキャッシュカードを使い、ATMで現金を引き出そうとした次男が窃盗未遂容疑で逮捕(後に窃盗容疑で再逮捕)されたことをうけて、TBSで司会を務めるふたつの情報番組を降板することを、この日開かれた記者会見で発表した。
息子のしでかした不始末の責任をとるという理由で親が身を引いたかたちをとっているが、これは実に不可解な案件だ。
時系列にあらわすと、一連の流れの不自然さが分かる。



8月30日

『朝ズバ』CM明け直後、隣に立つTBSアナウンサー・吉田明世の体にみのが手を伸ばし、それを吉田アナが振り払うように見受けられる姿が映し出される。
セクハラを疑われたが、みの本人・局側は否定。

9月9日

8月9日から16日まで夏休みをとっていたにも関わらず、この日から一週間、再び夏休みをとる。

9月11日

日テレ社員の次男が逮捕され、夏休み終了後も番組への出演を自粛する。

10月25日

TBSがみの司会の2番組からの降板を発表。



まず、吉田アナへのセクハラ疑惑が、何故か不十分なままで済まされ、うやむやにされている点がおかしい。
たびたびトチるアナを叱咤激励する意味で叩いたとみのは会見で述べたが、そういう理由で女性の体に上司が触れること自体が本来避けるべき行いであり、肯定すべき理由にはならない。
更に、疑惑に対し「それは(吉田アナ)本人に聞けば分かる」と言い放ったが、立場の弱い者に対するこの種の発言は、世間一般ではパワハラと見なされる。
相手が強く出られないことを見越し、暗に圧力をかける意味合いがあるからだ。
こんな非常識な振る舞いが、テレビ局では当然のことと見なさているのだろうか。

次に、不自然な夏休みについて。
それは本当に「夏休み」だったのか?
上記のセクハラ疑惑をかわす為の逃避行動ではなかったか?
事態の沈静化をはかる目的でとられた、事実上の隠蔽工作的印象すら受ける。
よく言えば、TBSがみのに懲罰を科したとも捉えられるが、一緒になって世間の疑惑追及の声から逃れようとしたとも言える。

ここまでくると、息子の起こした事件への責任を痛感し、TBSの番組出演自粛→降板という流れが明らかにおかしいことに気付く筈だ。

次男は日テレの社員である。
日テレの社員である息子の不祥事に道義的責任を感じるなら、日テレの番組を真っ先に降板すべきなのに、そちらは続投したまま、それとは何の関係もないTBSの番組の方を降りるとはどういう了見なのか?
TBSで問題にされていたのは、みの本人のセクハラ疑惑である。
それを、息子の不祥事とすり替える論理は、どう考えても成立し得ない。
ところが、マスコミはよくよく変わった業界らしく、いい年した我が子の責任を親がとる必要はないという論調一本やりで、寧ろみのを擁護する姿勢が貫かれている。
問題とすべきは息子の不祥事でなく、みの自身に起因するセクハラ疑惑の方なのに、そちらには不思議なほど触れようとしない。
まるでタブーであるかのようだ。

この件は、これ以上深く掘り下げられない可能性がある。
ならば、視聴者即ち国民は、次の事柄を胸に刻んでおかねばならないだろう。
マスコミは、自らの世界で起こった不祥事には真摯に対応・解決する意思がないこと、そして、番組内で世の中の様々な事件・事故に対し色々とコメントする出演者(文化人・タレントを問わない)の発言を、決して信用してはならないということを。
自分の目の前で起きている問題を疑問視する声すら挙げず、業界内の関係性を優先する連中に、他人様を批判する資格など断じてない。


2013(平成25)年9月の出来事

2013-09-30 22:00:00 | 2013(平成25)年

(現地9月7日・日本時間9月8日早朝)ブエノスアイレスで開かれたIOC総会で、2020年夏季オリンピックとパラリンピックの開催都市が東京に決定

東京は決選投票でトルコのイスタンブールを破り、1964(昭和39)年以来2度目となる開催を決めた(1回目の投票でイスタンブールはスペインのマドリードと同票となり、最下位を決める投票でマドリードが落選)。
投票に先立って行われた最終プレゼンテーションには安倍晋三首相らが出席。
この時の滝川クリステルによる「お・も・て・な・し」は一躍流行語に。
また、高円宮妃久子様による東日本大震災時の各国の支援にお礼を述べられたスピーチも、勝利に大きな影響を与えたと伝えられる。
投票直前まで東京不利との見方もあったが、財政難にあるマドリード・政情不安があるイスタンブールよりも全体的に高い評価を獲得し、投票も予想以上の大差がつく結果となった。

今回の決定に批判的な声のひとつに、原発事故に起因する汚染水問題が挙げられるが、自分としては希望的観測をもっている。
何故なら、プレゼンテーションの場で、安倍首相自らが問題解決を宣言したからだ。
この時点でいわば国際公約と化した訳だから、どんなことがあっても政府はオリンピック開催までに最終解決を図らねばならなくなった。
遅々として進まない対策も、これを機にスピードアップが期待できると考える。
何より、世界に向けて宣言した以上、守れなかった場合政権の崩壊に繋がる可能性があるので、何がなんでも実行してくれるだろう。

むしろ心配なのは、2020年までに地震をはじめとする大規模災害が首都圏を襲いはしないかという点。
こればかりは人智の及ばないことなので祈る他ない……。


2013(平成25)年8月の出来事

2013-08-31 22:00:00 | 2013(平成25)年

(8月22日)歌手・藤圭子が高層マンションから転落死

この日の朝、西新宿にある高層マンション13階のベランダから転落、死亡しているのが見つかる。
争った形跡などがないことから、自殺と推定される。
享年62。

(特徴的なボーカルスタイルを含む)その歌の内容から、演歌ならぬ「怨歌」と作家・五木寛之が命名、1970年代に大ヒットをとばす。
アルバムの連続チャート1位記録はいまだ破られず、娘・宇多田ヒカルのアルバム売り上げ1位と共に、親子2代で、日本の音楽史上に燦然と輝く記録を打ち立てた。

その反面、私生活の方は順風満帆とはいかなかった。
デビュー前の極貧生活はつとに知られるが、結婚・離婚を幾度となく繰り返したり、アメリカで手持ちの大金を一時没収されるなど、色々と話題を振り撒いた。
そして、特に家族関係では複雑な問題を抱えていたようだ。

宇多田ヒカルがブレイクした頃、某ラジオ番組でこんなエピソードが、業界の裏話として紹介されていたのを思い出す。
これからプロ・デビューを目指す娘を売り込もうと藤は東奔西走するが、演歌歌手の娘、しかも、その時点で藤圭子というブランドは「昔の名前」的な印象をもたれ、どこからもいい返事はもらえない。
が、苦労の末、漸くデビューした後の結果は御存知の通り、メガヒットを連発するトップ・アーティストに一躍躍り出た。
彼女の才能を見抜いた東芝EMI(当時)は万々歳、採用しなかった他のレコード会社は、当然ながら相当悔しがったという。
藤にしてみれば、だから言ったでしょ!と文句のひとつも言ってやりたかったのでは?
そんな溺愛した娘と、様々な要因が絡まり、ここ数年会えずじまいだったことも、元来の情緒不安定な性格に一層拍車をかけたのではないだろうか。

歌手として成功し、称賛も浴び、大金も手にした。
世間一般の尺度からすれば羨ましい限りの人生だが、それで幸せだったのかというと、必ずしもそうとは言い切れない。
幸せとは何かを考えさせられる、そんな一生だ。

心配なのは、娘の宇多田ヒカル。
彼女も、藤ほどではないが、その言動にどこか危うさを感じる点が以前より気になる。
今回の一件が彼女の心に影を落とすことは避けられないが、それを自身の作品に昇華させる強さが、彼女の中に芽生えることを願って止まない。