(1948年)谷村新司誕生日
谷村新司と聞いて、曲より先にパッと頭に浮かぶことは次のふたつ。
先ず、'90年代の深夜に放送されていた『たかじんnoばぁ~』という人気番組にゲスト出演した時のこと。
ストリップ嬢(だったかな?)と写真撮影をした時の泣けるエピソード、それから、覗き部屋の店を訪れた際、そこでカーキ色の国民服を着てボーイのバイトをしていた若い男が、デビュー前のデーモン小暮(現・デーモン閣下)だと後に知ったというエピソード。
あの放送回で彼が話したこのふたつのエピソードは、妙に印象に残っている。
次に、僕が好きなキャンディーズについてネットで検索すると、決まってロック・キャンディーズ(「アリス」以前に谷村が組んでいたバンド)が引っ掛かること。
南海キャンディーズと同じくらい目障り(笑)。
(1954年)奥山和由誕生日
松竹出身の映画プロデューサー。
その手腕は広く知られているが、個人的には、一人の少女の人生をある意味狂わせた人物としてのイメージが強い。
思い込みがあるにせよ、その固定観念を僕は長年払拭出来ずにいる……。
1983年9月、あだち充原作の漫画『みゆき』が実写映画化された。
映画はヒット、そして、若松みゆき役を演じた沖縄出身の新人・宇沙美ゆかりに注目が集まった。
時代はアイドル全盛期。
彼女も御多分に漏れず翌年3月、シングル『蒼い多感期』でレコードデビュー。
その年のレコード大賞新人賞の最有力候補とまで言われたが、売り上げはいまいちで、アイドル歌手としては伸び悩んだ。
反面、出演するドラマの評判は良く、女優としての期待の方が徐々に高まっていった。
スタートが映画だったことを考えれば、歌が駄目でも、演技でその才能が認められるのは彼女には相応しい、且つ自然な流れだったとも言える。
そのまま行けば、今でも女優として息の長い活動を続けていたかも知れない。
また、それだけの実力の持ち主でもあった。
しかし、ひとつの選択が彼女の運命を大きく左右することになる。
彼女のもとにあるドラマの企画が持ち込まれた。
本人は非常に乗り気だったそうだが、同じ頃、松竹からも映画主演の話が持ち上がった。
撮影時期が重なる為、どうしてもどちらかを選ばねばならない。
悩む中、映画への出演を、社を代表し熱烈に説いたのが奥山氏だった。
結果、彼女はドラマを断り、映画をえらんだ。
そして撮影、映画は公開された。
さて、その映画『Vマドンナ大戦争』を、今日覚えてる人はどれくらいいるだろう。
さして話題にもならず、今では忘れられた作品と化している(回顧番組で振り返られることすら稀だ)。
では、断ったドラマの方はどうか。
タイトルは『スケバン刑事』。
こちらはシリーズ化される程の人気を博し、主演に限らず、脇を固める女性アイドルまでも絶大な支持を得、四半世紀以上経った今でも名作ドラマとして語り継がれている。
これを受け、本人は当時どんな心境だったろう。
本当のことは彼女にしか分からないから、何人もこれが真実だと断定することは出来ない。
ただ、何か思うところがあったかも、と想像するのは難くない。
映画の公開から程なくして突然彼女は故郷・沖縄へ帰り、そのまま芸能界を引退した。
こう書くと奥山氏が悪い人のように受け止めるかも知れないが、本人の名誉の為にも正確に記しておく。
真相は、今も判らない。
何があったのか、現在に至るも全く明らかになっていない。
それに、彼はあくまで仕事に取り組んだだけであり、不当なことは何もしていない。
映画がヒットするのを確実に約束することなんて誰にも出来ないし、ドラマでなく映画をえらんだのは宇沙美ゆかり本人でなく、所属事務所の強い意向だった可能性もある。
彼女はただ事務所の決定に従っただけかも知れない。
或いは、これらのことは実は一切関係なく、単に彼女の個人的な、例えば家庭の事情で引退したのかも知れない。
とにかく、真相は不明のままだ。
以上を踏まえ、それでもなお、僕は奥山氏に良い感情を抱けないでいる。
それは、リアルタイムで事の成り行きを見守っていた中で、あんな展開を見せられては、彼が余計なことをしなければ彼女には別の、それも女優としての輝かしい道が拓けていただろうとの思いを抑え切れないからだ。
これからもずっと僕はそう思い、いや信じ続けるだろう。
公開初日に友達と連れ立って『みゆき』を観に行った、まだ小学生だった幼い僕に、彼女はとても眩しく見えた。
(1874年)ルーシー・モード・モンゴメリ誕生日
カナダを代表する女性作家。
自らの生まれ育った環境、ならびに体験の数々を色濃く反映させた「アン」や「エミリー」等、今なお世界中の読者を魅了して止まない個性豊かな主人公を世に送り出してくれたことに心より感謝。
個人的には『赤毛のアン』の物語が大好きで、それを軸に、命日にモンゴメリについては綴っているので、そちらを改めて参照下さい。
過去記事(「4月24日/今日は何の日)
(1967年)原田知世誕生日
1983年公開の角川映画『時をかける少女』は、インパクト大な一作だった。
よく言われるのがこんな話。
薬師丸ひろ子・松田優作主演の『探偵物語』目当てに映画館へ足を運んだものの、劇場から出て来る頃には皆すっかり知世ファンになっていた……。
大学受験を終えた薬師丸の復帰作で、しかも松田優作という大物との共演。
公開前から大変話題になっていた『探偵物語』は期待通りの出来で、大ヒットも記録したが、同時上映された『時をかける少女』の主役・原田知世は、その時点ではデビュー間もない、まだ無名の新人に過ぎなかった。
しかし、この映画での演技に観客はすっかり魅了され、彼女はまたたく間にスターダムにのしあがることになる。
その後の活躍は衆知の通り。
出演する映画やドラマは全てヒットを記録。
加えて、彼女は歌手としても成功を収め、息の長いシンガーとして今も活動を続けている。
女優・歌手共に、時代背景もあり、はじめの頃はアイドル扱いされていたが、上手い具合に軌道修正させ、そのどちらもが脱アイドル路線を成功させた、実は極めて稀な存在だったりする。
(1972年)松雪泰子誕生日
今やベテラン女優の一人となっているが、スタートはモデルから。
雑誌『メンズノンノ』が主催した「第1回メンズノンノ・ガールフレンド・コンテスト」でグランプリに輝いたのがきっかけ。
その当時、僕は同誌を購読していたので、このコンテストのことは憶えている。
書類審査を通過した20名(30名だったかな?)が全身写真と共に誌上公開され、最後は読者による葉書投票で決まるという仕組みだった。
で、1位に選ばれたのが彼女。
正直に言うと、結果が発表された時、「あれ、こんな人いたっけ?」と首を捻り、バックナンバーを確かめたのを思い出す。
ノミネート写真は、僕の目には取り立てて特徴的に映らず、ぼんやりとした印象で、とても優勝するようには思えなかったのだ(失礼)。
つくづく自分は見る目がないな、と感じたものである。
少なくとも、この手の審査員には向いてないな、と(笑)。
あの時彼女の魅力を見抜き、票を投じた人達、凄いなぁ。
ところで、初期メンズノンノに登場していた人で、今も芸能界で活躍している者は少なくない。
松雪泰子もそうだが、他には阿部寛、風間トオル、大沢たかお、田辺誠一など。