goo blog サービス終了のお知らせ 

川瀬有希の時の旅


「今日は何の日」と題し、過去のその日に起こった出来事を、自由気ままに語るブログです。

3月20日/ 今日は何の日

2012-03-20 00:15:00 | 事件・事故・災害

(1995年)地下鉄サリン事件

「地下鉄」と「サリン」という、本来何ら交わる筈のない言葉が事件の名称に同列に使われていること自体が、日本に限らず世界の犯罪史上特異な例であることを物語っている。

休み明けの月曜日、人口が密集する都会の、とりわけ混み合うラッシュアワーを狙い、それは行われた。
様々な疑惑が持ち上がったのを受け、近く強制捜査が行われることを危惧したオウム真理教が、さも他の団体がしでかしたように見せかけ、捜査の目を攪乱するという目的で実行された悪質極まりない犯罪。
自らの罪を隠す為に新たに罪を重ね、何ら落ち度のない人々の命を奪った麻原以下オウム信者らを決して許す訳にはいかない。

とかく警察が批判されがちだが、それに加えてオウムを増長させたマスコミの責任はより重いと考える。
抗議活動や裁判を起こされるのを恐れ、常に腰の退けた扱いをし、時には完全無視を決め込んだ。
そして、いざ逮捕されるとルール無視の過剰報道を繰り返し、醜態を晒け出す。
坂本弁護士のテープをオウムに見せたTBSに限らず、日本のマスコミに正義はない。



(2003年)イラク戦争開戦

なお3月20日というのは日本時間でのこと。
戦争当事者であるアメリカの東部標準時では3月19日にあたるので、念の為。

2月20日のことだった。
当時僕の住んでた地域で、ラジオのニッポン放送が突然雑音まみれと化した。
それ以前はノイズこそ目立つものの聴けないレベルではなかったが、その日を境にAFNとの混信が極端に酷くなり、ダイヤルを合わせていられない状態になった。
その時は理由が分からなかった。

そして迎えた3月20日の開戦。
それで漸く理解出来た。
ちょうど一ヶ月前のあの日、アメリカは臨戦体制に入り、その一貫としてAFNの出力を増強したのだ、と。
外交では戦争回避の努力をしているように見せつつ、アメリカはこの日に攻撃を開始することを裏では早々に決めてた訳だ。

許可なく出力をアップすることは、当然ながら許されない。
が、米軍基地は日本にあっても「日本」でない。
あれはアメリカの土地であり、要するに治外法権。
日本の電波法なんてお構いなしに、好き勝手にやったということ。

ここに書いたことを直接的に証明出来る物証はない。
けれど、これ以外にあの突然の電波状況の変化を説明し得ない。
これこそが真相だと、今でも確信している。


3月19日/ 今日は何の日

2012-03-19 19:00:00 | 事件・事故・災害

(1997年)東電OL殺人事件

渋谷区円山町のアパートの一室で女性の絞殺死体が発見され、後にネパール人男性が逮捕される。
捜査の結果、女性は東京電力の社員で、勤務を終えた後に売春行為をはたらいていたことが判明。
東電で初めて総合職で入社したエリート社員が、夜になると別の顔をもっていた点がクローズアップされ、なかば興味本意な報道が繰り返された。
殺人の被害者の名誉を傷付けるこのようなマスコミの姿勢は、いつの時代も変わらない(反省のふりをするだけで、恐らくこの先も別の事件報道で同じ過ちを重ねるだろう)。

さて、事件発覚時は上記のような観点から注目されたが、今は免罪事件としての様相を呈している。
逮捕されたネパール人男性は一審で無罪判決が下されるも、二審で逆転有罪、最高裁で無期懲役が確定した。
が、証拠に乏しく、DNA鑑定も疑問視される中、無実を信じる声は当初より根強く、現在も論争は続いている。
真犯人が別にいるなら、彼の人生は理不尽なかたちで狂わされたことになり、このままの幕引きは許されない。

3月18日/ 今日は何の日

2012-03-18 00:15:00 | 事件・事故・災害

(1984年)江崎グリコ社長が自宅から「かい人21面相」に誘拐される

いわゆる「グリコ・森永事件」の始まり。
身代金として現金10億・金塊100キロという途方もない額を要求するなど不可解な点が多く、一般的な誘拐事件とは違うものを当初から皆感じていた(当時小学生だった僕でさえ、どこか異質な「匂い」を嗅ぎとれた)。
結局、一連の事件の犯人は捕まらず、時効となった。

一体何が目的だったのか、是非犯人に訊いてみたい。
この先、真相が明らかになる日は来るのか。
というより、犯人はまだ生きているのか?


3月11日/ 今日は何の日

2012-03-11 15:00:00 | 事件・事故・災害

(2011年)東日本大震災発生

午後2時46分、宮城県東南東沖130kmの海底を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生。
東北にとどまらず、日本列島の広範囲が大きな揺れに襲われ、加えて、場所によっては最大40mにもなる津波が地上に押し寄せ、被害を拡大・深刻化させた。
更には、原子力発電所でも事故が発生。
とりわけ福島第一原発の影響は甚大で、2012年3月現在、周辺地域への立ち入り制限が解除される見通しは立っておらず、多くの住民が今なお避難生活を余儀なくされている。



あの日僕は仕事が休みで、ラジオ(小林克也さんの番組)を聴きながらのんびり過ごしてるところにいきなりアパートが大きく揺れ出し、しかもそれが異様に長く続くものだから、さすがに恐怖を感じた。
直後、ベテランの克也さんであってもやや冷静さを失い、どう番組を進行していいか戸惑ってる様子だったのを思い出す。

情報を得ようとテレビもつけた。
俄には信じ難い数値の震度やマグニチュードが画面に写し出される。
続いて、すぐには理解不能な映像が目に飛び込んできた。
何か黒い水流が地面をかけずる映像。
それが津波であると認識するのに少々時間がかかった。
それまで自分の中では、津波は海岸線を襲うというイメージがあったので、あんな内陸まで達する地獄のような現実に頭が追い付かず、人も車も建物も容赦なく飲み込んでいくその映像に言葉を失った。

幸い僕の住む東京は東北地方ほどの被害は免れたものの、混乱は生じた。
ブロック塀の壊れたお宅は街のあちこちで結構見掛けたし、計画停電も実施され、電車の本数も減った。
物資不足も起こり、普段当たり前のように買える水や食料が手に入りづらい状況が数週間続いた。
「日常」が壊れていた。



被災地の復興には相当の時間を要するだろう。
震災で肉親や友人・知人を亡くした方の心の傷が完全に癒えることもないだろう。
改めてお見舞い申し上げると共に、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

そして、直接的被害を受けたか否かに関わらず、あの地震以降、我々日本人の価値観が多かれ少なかれ変化した事実もここに記しておこう。


2月22日/ 今日は何の日

2012-02-22 20:00:00 | 事件・事故・災害

(2011年)ニュージーランドで大地震発生

マグニチュード6.3の地震により、カンタベリー地区を中心に甚大な被害が発生。
死者185名。
その内28名が日本人語学留学生だったこともあり、現地から伝わる情報は日本でも逐一取り上げられ、支援の声も広がったが、誤解を恐れず言えば、あの時点では、まだどこか他人事的な雰囲気があった。
日本は地震大国で、地震報道に対し人一倍敏感に反応する国民性を有するが、(僕自身も含め)自らにその不幸が訪れぬ限り、どれほど大きな災害でも、実感を伴いつつ報道に接していたとは言い難い。
まさかこのニュージーランドの地震から僅か半月余り後に、自分の国で、それを上回る規模の地震が発生し、社会が大混乱に陥るとは想像すらしていなかった。
いつか巨大地震が起こると言われ続けたが(今でも言われているが)、それはずっと先のことと高を括っていたように思う。
反省の意味も込めて、この時の率直な感想を記しておきたい。