ホップ ステップ ジャンプ

喜びも悲しみも感じるままに~。

「キャンドル」にお食事に行きました。

2013年10月31日 | 追想
ヨガのお仲間と「キャンドル」にお食事に行きました。


阪急デパートが壊されていてビックリ!
最近は電通通リには来ないで、銀座通リを中心に動いていたようです。



多くの有名人のサインが所せましと並ぶ店内は、落ち着いていて大人の雰囲気がします。
昔、良くチキンバスケットを食べに行ったお店です。

階段を降りた所が入口になります。


デザートのアップルパイのお皿に、可愛い天使が飛んでいます。


松坂屋にも膜が張られていカフェ ド ギンザのモンブランをこれから頂きます。
少し前にアップルパイを食べたばかりですが、絶妙な味のモンブランは別腹です。
しっかりいただいて、皆大満足の食事会でした。
今回の案内人は、Ichikawaさんでしたました。ここにはどのようなビルが建つのでしょう。


四丁目の「CAFE de GINZA」に到着。


これからお店に入ります。


カフェ ド ギンザのモンブラン。



少し前にアップルパイを食べたばかりですが、絶妙な味のモンブランは別腹です。
しっかりいただいて、皆大満足の食事会でした。

今回の案内人は、Ichikawaさんでした



中野の「アザミ」のケーキはとてもおしゃれです

2013年10月28日 | 追想
中野にあるヨガ教室に行った日には、教室の前いあるアザミで美味しいケーキとコーヒや紅茶を頂きながら、先生を囲んで他にいおしゃべりをします。

アザミの綺麗なケーキです。
見ていて美しく、食べて美味しのですから最高!です。






毎日綴らなければと思っていますが、最近はどうも気力がなくなり追想記になってしまっています。

ボケ防止と考えて、焦らないことにしています~~。





東北(南三陸)応援の旅 (10月21日)

2013年10月27日 | つれづれに
「ひまわり会」の皆さんと、10月21日&22日に、2011年3月11日に起きた、東日本大震災地の南三陸町に行ってきました。

その時より2年半が過ぎましたが、当時の津波の爪痕が、あちらこちらに残されていました。

復興にはまだ時間がかかりそうです。

木や電柱の10m以上のところに「ここまで」と、津波にのまれた時の高さが記されていましたが、10mも海水に沈んだのですから、ひとたまりもありません。

おまけにその水は凄い速さで流れていましたから、建物は根こそぎ持って行かれ、残っていたのは鉄骨のみとなりました。

水の驚異は、筆舌に表すことはできません。
風も地震など、自然の驚異は並みのものではありません。

たくましく粘り強い東北の方々は、黙して語りませんでしたが、被害はことの他大きかったようです。

現地を訪れて、地元でお買い物をすることが、復興のお手伝いになるのだそうです。
そこで、ひまわり会の皆(21名)は、沢山の買い物をしました。

帰って来て、いろいろお土産を食べましたら、どれもこれも美味しくて、それらを販売していたお店に、再注文しました。

実際に現地を訪れて感じたことは、「百聞は一見にしかず…。」と言うことでした。

良い旅を企画してくださった、ひまわり会の方に感謝しています。


宿泊した宮城県の南三陸「ホテル観洋」
津波で1、2階が浸水したので、3階以上がホテルとなったいました。
   


ホテルの部屋の真下は海でした。 






「こんにちは」カモメが窓際でご挨拶です。




仮設住宅の売店。三陸の海山物などが売られていました。

東日本大震災で町職員ら42人が犠牲になった、宮城県南三陸町の防災対
策庁舎が見えて来ました。





「防災対策庁舎」の鉄骨のみが残されていましたが、津波の怖さを物語っています。
この姿を、残そうとの考える方と、取り壊そうと考える人と、意見が対立していたようですが、11月には取り壊すことになったようです。

現在は、津波の被害の怖さを物語ながら、「防災対策庁舎」は無残な姿を晒しながら、被害に遭った方たちを、鎮魂しているようでした。



バスに乗り「防災対策庁舎」をあとにしました。



津波で家が流された跡地には、雑草が茂ったり水浸しになった住居跡地が点在しています。
この地に住居が建てられるようになるのは、遥か先のことだそうです。

あまりの悲惨な姿を目の辺りにして、言葉を失った旅でした。


伊豆大島で被害に遭われた方たちに、お悔やみ申し上げます。

2013年10月16日 | つれづれに
黄色い曼珠沙華の花




今回の台風26号は、電車が動かないほどの、大型台風でした。

台風26号による大雨で、伊豆大島では土石流が流れ落ちて、三原山の斜面はえぐり取られて、見るも無残な姿を呈しています。

死者・行方不明者は約60人に及ぶそうです。
被害に遭われた方たちに、心よりお悔やみ申し上げます。

大島の写真を見ながら、中学三年生の時に行った大島のことを想い出しました。

今、何故、私が、大島まで行き「若草物語」の劇の公演に参加したのか、記憶がありませんが、末娘のベスの役を演じました。

波浮の港まで船で行き、小学校や公会堂で、合計4回公演しています。

とても長閑な島で、大島の人たちが観に来てくださいました。

想いい出としては楽しいものですが、その時にご一緒した、同じ学校の先輩たちの高校生と大学生の方たちとは、一切交流がありません。

その中で一番小さかったのは、私でした。

近くに住んでいらした、金木先生に誘われて、参加したのですが…。

かなり変わった生徒で、どちらかというと、私は変人で嫌われ者でしたから、その後、誰とも交流がないのです。

たしか、一年先輩の、横溝正史さんの下のお嬢さんも、参加されていらしたと思います。
上のお嬢さんは、付き添いでいらして下さっていました。

同じ学校を出ていますから、合同の同窓会の時には、出席されているのかも知れませんが、どなたの顔も覚えていないのですから、近くにいても分かりません。

記憶喪失ではありませんから、微かにいろいろなことを覚えていますが、ほとんど霧の中に包まれたような感じです。

「若草物語り」は中学に入ってからのことですが、初等科の時にも、劇の会の主役に選ばれて、学校の大講堂で、一般のお客さんを前に、公演をしたことがあります。

どうして、私が選ばれたのか、今でもその理由は分かりませんが、良く長いセリフが覚えられたものだと、感心しています。

少々変わった、ひねくれた子供だったので、様々な先生が引き立ててくださったのだと思います。

何もお礼をしないまま、今日に至っていますが、おかげでどうにかつつがなく、ここまで来られた気がします。