ホップ ステップ ジャンプ

喜びも悲しみも感じるままに~。

ニューヨークマンハッタンの5番街

2013年02月24日 | つれづれに
2009年9月28日の追想



ニューヨークマンハッタンの5番街はにぎやかでした。アルバムを繰りながら、ありし日の想い出に浸っています。
ニューヨークは人種のるつぼと言われていますが、本当にさまざまな人々が、忙しそうに動き回っていたように記憶しています。
その人の流れの中に入って、今回も一人でツアーに参加して旅をしてきました。

2009年に行ったアメリカの旅は今日で終わりです。

この次は2002年に訪れた、イタリアの写真をスライドにしようと思っています。
今年は3月21日から、ガーコと二人のKさんと4人で、イタリアに行きます。

コンクラーベが終わっていて、新しいローマ法王が決まっていたら、サンピエトロ寺院に入れると思いますが、どうやら雲行きが怪しくなってきています。
よしんばコンクラーベが終わっていたとしても、就任式などで、海外の信者でもない一般観光客は立ち入り禁止かもしれません。

残念ですが、仕方がないですね。

戦火に遭っていなければ…。

2013年02月20日 | つれづれに
目的は、浅草の駒形に在る、「エースサービス」にサムソナイトのスーツケースを修理に出すことでした。
久々に生まれた地の駒形に行きました。

写真は、駒形にあるACE(エースサービス(株)です。


浅草駒形の「駒形どぜう」



このあたりは、第二次世界大戦の戦火にのみこまれて一瞬にして焦土と化した所です。
このどぜう屋さんの道を隔てた所に、私の家は在りました。

下町の家は、庭を山の手の家々のように、大きく取ることが出来ないので、小さな庭を囲むようにして、部屋がありました。

東京に遊びに来ていた伯父たちに連れられて、駒形橋に行き隅田川を行き交う、ポンポン蒸気を眺めていたことが、昨日のように想い出されます。
あれから何年。沢山指を折らなければなりませんから数えないことにします。


駒形橋の欄干です。


今では金雲やスカイツリーが見えて、駒形橋からの景色がすっかりかわりました。


隅田川は今も変わらず魅力のある川ですが、3月10日の大空襲の時には、この川に沢山の方が飛び込んで命を落とされました。

私たちがなぜ無事であったのか分かりませんが、早めに高崎に疎開したので、家財道具も何もかも無事したが、今、考えると奇跡的です。



このようなお堂が在ったとは、今回、訪ねて行って初めて知りました。



トランクの修理に駒形に偶然行くことになり、自分が生まれた場所に佇むことが出来ました。
関東大震災と第二次世界大戦で二度も焼けた浅草の家でした。
もう浅草に家を建てる気力がなくなったのでしょうか、その後は世田谷に移り住みました。

久々に駒形に行き、街を散策して来ましたが、記憶に残っていたところは駒形橋だけでした。
心の中に封印している何かがあるようですが、その封印は解かないままにして置きましょう。

サムソナイトのスーツケースが取り持つ縁で、楽しい浅草散歩となりました。



ニューヨークの追想(2009年9月11日)

2013年02月19日 | つれづれに




2001年9月11日に アメリカ合衆国で発生した、航空機を使った4つのテロ事件で被害を受けた、ニューヨークの世界貿易センタービルの跡地を、最初に訪れました。

その後、ニューヨーク湾内に建つ自由の女神像を見に行きました。

女神像を仰ぎ見ながら周りを散策した後、ニューヨーク市内を通り、ニューヨーク市のマンハッタン島南端付近と ブルックリン区を結ぶ「ブルックリン橋」へ。
近代吊橋(つりばし)架橋技術の基礎を築いた歴史的名橋なのだそうです。

暗くなりかけた頃、沢山の国旗がはためくロックフェラーセンタービルへ。世界一の高さを誇っていた、あこがれのエンパイヤ・ステート・ビルを見ることが出来たのは感激でした。

雪を眺めながら写真の整理することにしました。

2013年02月19日 | つれづれに


雪が降り始めました。
カメラに収めましたが、残念なことに雪は写っていません。

現在の時間は12:15ですが、雨が雪に変わったのは、11:00頃でした。
寒いので今日は仕事はお休み…です。