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喜びも悲しみも感じるままに~。

東北(南三陸)応援の旅 (10月21日)

2013年10月27日 | つれづれに
「ひまわり会」の皆さんと、10月21日&22日に、2011年3月11日に起きた、東日本大震災地の南三陸町に行ってきました。

その時より2年半が過ぎましたが、当時の津波の爪痕が、あちらこちらに残されていました。

復興にはまだ時間がかかりそうです。

木や電柱の10m以上のところに「ここまで」と、津波にのまれた時の高さが記されていましたが、10mも海水に沈んだのですから、ひとたまりもありません。

おまけにその水は凄い速さで流れていましたから、建物は根こそぎ持って行かれ、残っていたのは鉄骨のみとなりました。

水の驚異は、筆舌に表すことはできません。
風も地震など、自然の驚異は並みのものではありません。

たくましく粘り強い東北の方々は、黙して語りませんでしたが、被害はことの他大きかったようです。

現地を訪れて、地元でお買い物をすることが、復興のお手伝いになるのだそうです。
そこで、ひまわり会の皆(21名)は、沢山の買い物をしました。

帰って来て、いろいろお土産を食べましたら、どれもこれも美味しくて、それらを販売していたお店に、再注文しました。

実際に現地を訪れて感じたことは、「百聞は一見にしかず…。」と言うことでした。

良い旅を企画してくださった、ひまわり会の方に感謝しています。


宿泊した宮城県の南三陸「ホテル観洋」
津波で1、2階が浸水したので、3階以上がホテルとなったいました。
   


ホテルの部屋の真下は海でした。 






「こんにちは」カモメが窓際でご挨拶です。




仮設住宅の売店。三陸の海山物などが売られていました。

東日本大震災で町職員ら42人が犠牲になった、宮城県南三陸町の防災対
策庁舎が見えて来ました。





「防災対策庁舎」の鉄骨のみが残されていましたが、津波の怖さを物語っています。
この姿を、残そうとの考える方と、取り壊そうと考える人と、意見が対立していたようですが、11月には取り壊すことになったようです。

現在は、津波の被害の怖さを物語ながら、「防災対策庁舎」は無残な姿を晒しながら、被害に遭った方たちを、鎮魂しているようでした。



バスに乗り「防災対策庁舎」をあとにしました。



津波で家が流された跡地には、雑草が茂ったり水浸しになった住居跡地が点在しています。
この地に住居が建てられるようになるのは、遥か先のことだそうです。

あまりの悲惨な姿を目の辺りにして、言葉を失った旅でした。