この夏、私にとって深く心に残る出来事があるとすれば
それは、今日という日に他ならない。
旅行でもなく、お稽古事でもなく、
仕事上の研修における研究でもなく(それは相当興味深かったが)
ただ、今日の一日の中のほんの数時間という時間、
それがかけがえなく心に響く。
加藤周一、その人の名を目にしたのは高校生。
現代文の問題だったか、受験問題にその人の評論が
載っていて問題と文章に格闘した記憶がある。
梅原猛との対談の本も読んだ気がする。
このような片田舎の地元に、その加藤周一が来る事を知って
狂喜して出掛けたのは、単なる私の文学・哲学者好き故である。
加藤周一は、東大理三を出た医学博士であるが
それ以上に、文学者でもあり、評論家でもある。
今日の講演のお題は「社会と医療の未来」であったが、
彼の語ろうとする事は、もっと本質的な人間存在に
関わるものであったと思う。
何故、こんなに心が震えたのか分からない。
このような経験をすることは少ない。
しかし、確かにそこに戦前・戦争中・戦後の日本を
生きた偉大な知識人の「人間という存在への問いかけ」が
私に「生の意味」をひしひしと感じさせた。
また、私に高校時代・大学時代に哲学や批評を主とする先生や教授達と
対話した充実した空間を思い出させ、
今回の講演の最後に話された「Le médecin de campagne 」
という概念はフランスでの大学時代を思い出させた。
こうした空間が持てれば、
それは何よりも幸福な時間になる。
加藤氏の話を聴いて、サルトルではないが
engagementという姿勢を自己の内に持とうと思った。
近頃、Times等新聞にレバノン国民の酷く傷ついた姿の写真が載る度に
胸が痛んでいたので、平和の何たるかを考える大切さを
講演の向こうに垣間見せる加藤氏に感銘した。
それは、今日という日に他ならない。
旅行でもなく、お稽古事でもなく、
仕事上の研修における研究でもなく(それは相当興味深かったが)
ただ、今日の一日の中のほんの数時間という時間、
それがかけがえなく心に響く。
加藤周一、その人の名を目にしたのは高校生。
現代文の問題だったか、受験問題にその人の評論が
載っていて問題と文章に格闘した記憶がある。
梅原猛との対談の本も読んだ気がする。
このような片田舎の地元に、その加藤周一が来る事を知って
狂喜して出掛けたのは、単なる私の文学・哲学者好き故である。
加藤周一は、東大理三を出た医学博士であるが
それ以上に、文学者でもあり、評論家でもある。
今日の講演のお題は「社会と医療の未来」であったが、
彼の語ろうとする事は、もっと本質的な人間存在に
関わるものであったと思う。
何故、こんなに心が震えたのか分からない。
このような経験をすることは少ない。
しかし、確かにそこに戦前・戦争中・戦後の日本を
生きた偉大な知識人の「人間という存在への問いかけ」が
私に「生の意味」をひしひしと感じさせた。
また、私に高校時代・大学時代に哲学や批評を主とする先生や教授達と
対話した充実した空間を思い出させ、
今回の講演の最後に話された「Le médecin de campagne 」
という概念はフランスでの大学時代を思い出させた。
こうした空間が持てれば、
それは何よりも幸福な時間になる。
加藤氏の話を聴いて、サルトルではないが
engagementという姿勢を自己の内に持とうと思った。
近頃、Times等新聞にレバノン国民の酷く傷ついた姿の写真が載る度に
胸が痛んでいたので、平和の何たるかを考える大切さを
講演の向こうに垣間見せる加藤氏に感銘した。
私も8月15日に東京で加藤周一さんのお話を聞きました。とても、深い感銘を受けました。
長野は加藤さんが終戦直後に過ごした土地ですが
その事のお話はありましたでしょうか。
加藤さんの本に長野での記事が
あり、もしや、と思いましたが
長野で過ごされていたのですね。
今回はそのお話はありませんでしたが、
「佐久の草、後ろから読んでも佐久の草、
美しい響きですね。何処か物悲しい響きで
中国の古歌に似ている。」と話して
おられました。
私もまた、是非、お話を聞きに行きたい
と思いますので宜しければ情報を教えて
くださいませ。