長野でロハス生活

モダンと古きよきものを大切にした生活を自然に囲まれ送りたい。オースティンの小説のような生活に憧れる日々。

スケジュール手帳

2006年11月18日 | study
そろそろ、スケジュール手帳の交換の時期。
明日から新しいものを使おうと思います

私はいつも仕事用に一冊、
それから従来のヴィトンのダミエの手帳の
中身のレフィルのみを毎年変えて
手帳は、この2冊を使っています。

しかし、最近はいっぱい書き込んでいる
1冊の手帳にほとんどシフトしています。
(つまりほとんど仕事?ってことかしら

とても重要なこの1冊を選ぶのには
本当に時間がかかりました。
月ごとの予定が書ける部分と、毎日が1時間ごとに
書き込める両方を備えた(昨年と同様)
ブラウンのシンプルな手帳に決めました。

レフィルは毎年、ピングーと決めていますが
今年は見当たらず、ミッフィーにしました
手帳を新しくすると、気分がわくわくするので
不思議ですね

Time is money.ということわざでは
ありませんが賢い時間の使い方をしたいと思います。

加藤周一講演会内容

2006年09月18日 | study
ちょうど明日で、加藤周一講演会から一月。
私なりにようやく講演内容をまとめることができました。
この一月の間に、羊の歌・日本人の死生観・その他のブックレットなど
計10冊程度の本を読み、少し講演した方の人生や思想を理解してから
これを書こうと思っていました。
長くなりそうなので、3部に区切り書きます。
まず講演会の始まりから、最後までを3つに区切って書きました。

1.市民としての医療関係者
2.医療関係者の社会への対応
3.1~2に渡る問題

2006年8月19日(土曜日) 加藤周一 講演会 
「佐久の草笛 —社会と医療の未来—」

加藤氏『何故、このテーマ(佐久の草笛)をつけたのか
ということですが、私はこの言葉が美しいと思ったのです。
草笛、というのは枕詞のようなものですが。

さく、くさ、始めから読んでも後ろから読んでも同じでしょう。
この言葉の響きには、何処か、物悲しいイメージがあります。

中国に古歌というものがあります、
これは中国国境の周囲から異民族の歌声が聴こえてきて
それは悲しい響きでした。二つとも悲しいというイメージが似ていますね。

さて、今日ですが、私は三つの事柄でついて話したいと思います。
一つは、「市民としての医療関係者」についてです。医療関係者ですから
医師・看護師などあらゆる医療に携わる人々が社会でどういう立場にあるか
ということです。
二つ目は、医療関係者は、ある意味特殊であるのですが、
それ故に、どう社会に対応したらいいのか、ということです。
三つ目は、一から二をまとめ、それらに渡る問題は何か?ということです。

まず、始めに政治的社会とはどういうものかお話します。
そこには、支配者と被支配者がいます。

1.市民と国家

   王がいて、人民を支配する。王の支配に制限がない。これは、社会の支配者と被支配者という一方的な関係です。制限がある、というのはこの自由な王の支配の手を、憲法で縛るということです。つまり、立憲です。
江戸時代は、立憲ではありませんでした。明治は、立憲王政といえるでしょう。
だが、天皇には多くの自由があった。そして国民は批判できなかった。
戦後は、この関係性はどうなったでしょうか。

人民は、英語でpeopleと訳されます。国家と言うのは、government of peopleですね。Peopleは、日本語では、人民とは訳されませんね。国民という訳です。
教育勅語では、臣民です。敗戦後、憲法で国民peopleが出てきます。
“We, Japanese, people….”という風に。
Peopleという語には、国という意味はありません。ですから、国民とpeopleはイコールではない。一緒ではないのです。ニュアンスが異なります。
臣か、国民かというのは大変違います。臣は、自由がありません。
国民は、自分で自治できることを指します。
「国民は自分のために尽くすもの」なのです。

国民は、政治にアンガージュする人としない人の二通りがいます。
市民と言う意味は、国民の中で「積極的に政治に参加する人」を指します。
市民がおこなう政治形態の全体が民主主義の実態です。
国民であることは民主主義の必要条件に過ぎず、十分条件は参加する国民、つまりは市民でないと有効ではありません。

ここで「自由」ということを考えてみたいと思います。
自由という概念は、例えば政府の行動を知りたいとしますね。
知らないと私たちは政府をコントロールできません。知る自由が必要です。
これは知る権利でもあります。

自由意志に基づく犯罪。自由意志がなければ、罪はありません。
誰かに強制されて絶対服従でした行為には、自由がありません。「丸山真男」は「無責任国家」の中で「自由は行使しなくてはならない」と言っています。
駐在している外国の軍隊への思いやりと病人への思いやり、同じ予算が使われているのですから、どちらを支持するのか考えて下さい。

60年代には「議会外的手段」という言葉がドイツでよく使われました。
外的はex で議会手段はParliament opposition でEx-parliament opposition です。市民が国をコントロールするためには2つの方法があります。
一つは、選挙です。もう一つは議会外的手段になります。
その代表例は、マス・メディアです。例えば、日本中のニュースや新聞やテレビが結束してある政党を批難した場合、おそらく政府が変わるでしょう。
マス・メディアの他にはストライキ(組合の罷業権)があります。また、最後の手段には市民運動があります。イタリア語でストライキをsciopero(ショーぺロ)と言います。これは、イタリアでよく聞く言葉です。
スパゲッティが一番よく聞く言葉ではないですよ。

私自身は、憲法九条を変えないほうが良いと思っています。
そこで、私は九条を守る会を発足しました。これは、市民運動になりますね。
知っていながら、黙っていることは民主的ではありません。
私が今まで話したのは、全て合法的な手段です。

2.医療関係者の社会への対応

   ところで、医師の役割ですが、医師は病気を完治させずとも苦痛を和らげることはできますね。医師の活動には二通りあります。一つは根本治療です。どこに病気の原因があるか探ることです。
例えば、白血球の増大を見て病の元を叩くということなどですね。
もう一つは、対症治療です。熱がある患者に、熱を下げるアスピリンを処方すること。熱は、一つの病の症状でしかないかもしれませんね。こうして、その熱が何処からくるのかではく、熱の症状に対処し苦痛を緩和させることは、対症治療です。

私がこれから話すことは一種のメタファーです。社会においても、根本を打つのか、症状の一つ一つに対処するのか、考えて下さい。

中国の日本領事館に石が投げ込まれた事件がありました。この事件をどう捉えたでしょうか。
①窓が割れた:交渉しなくてはならない。犯人は誰か。これは対処です。
②窓が割れた:なぜ投げたのか?これは根本です。
あの時、②を問うた人はいるでしょうか。誰も問いませんでした。
この①と②は区別しないと合理的ではありません。

根本治療は、診断学です。診断と治療は別のことです。
診断→判断・分類→原因を取り除く
また、薬が効くとはどういう事でしょうか?非医療関係者は、90%がこの問いには答えられません。医療関係者なら答えはすぐに分かりますね。私が文部大臣なら、小学生でもこの質問に答えられるようにするでしょうね。英語などやらせずに。(笑)

話は、戻りますが、これは統計的確率によって分かります。
医療関係者は、「同じような病気、状態の人を集め、2つのグループに分け、薬を与えた方と与えない方で観察したら、飲んだ人のほうが統計的有意差をもって望んだ効果を得られた」故に、「薬が効いた」と答えるでしょう。
 一方、非医療者は「自分の父がこの薬を飲めばよくなる、と言っていました。この薬は効きます。」というように答えるでしょう。しかし、これは意味を成しません。医療関係者ならば、こうした普段の頭の働きを社会に応用することができます。医療関係者であるからこそ、普段、こうしたことを日常職業柄考えているのですよ。ですから、こうした動きを社会の事象に向けて社会を見てはどうでしょう。

   さて、価値には体系があります。ある価値は別の価値を必要とします。全ての価値というものの前提にあるものは生です。その反対は死です。
死はどういうものの価値の前提にもなりません。生に、密接に関わるのは医療関係者です。「生命」という普遍的な価値に年中、関わっています。
死を否定すれば、何らかの価値が前提されます。

しかし、この世には、政府が与えることができる肯定的な死が二つあります。一つは死刑、二つ目は戦争。戦争は人殺しという英雄主義です。これらは、生死を扱う医療問題と関係があり、医療関係者に死刑と戦争反対をする人が多いのも頷けます。

私は死の正当化には反対します。ですから、死刑にも戦争に反対します。余談ですが、EUに加盟したい国には死刑がありません。あれば、加盟できません。

3.1~2に渡る問題

   医療問題は、深いという事をお話します。私は生命尊重・差別反対という立場にあります。学校の成績が高かろうが、低かろうが生きている上では同じです。
私たちは、生命の持っている価値の一部しか知りません。

紀元前5世紀に孔子が「未だ生を知らず いずくんぞ死を知らんや」と言いました。これは、「まだ、生を知らないのに死の話はできない」ということです。
この返答に対し、二通りの態度が持てるでしょう。
①分からない故に、人を殺せる
②分からない故に、殺せない
分からないから、相手に価値がないと思うのは高慢不遜な態度です。分からないなら、判断を中止するべきです。中止しないで、人を殺してもいい、と思うならそれは絶対的な差別です。

誰の生命も同様に尊いのです。
分からないものには、平等の立場で対応するのがいいでしょう。
これは、教育に非常によく似ています。教育も同様です。教育は、個人の将来を決めますね。しかし、教育の結果と言うのは誰にも分かりません。分からないけれども、常に試行錯誤しながらこうしたらいいのではないか、と進んでいく、故に医療に似ています。ですから、医療関係者は教育者と協力するべきです。そして、教育者と共に平等を守るべきです。

ところで、インフォームド・コンセプトという言葉が叫ばれて久しい。
昔の医者達は、医者語を話していました。それは、ドイツ語の混じった日本語で、医者しか理解できませんでしたが、それでも仕方ないという態度でした。
医者の言うことが相手に分からなければ言わないのと同じです。
ただ、医者の中には両方話せる人がいました。医者用語と、その地域の言葉です。その場合は、いいのですが、そうでない場合は通訳が必要ですね。田舎のおばあさんが、東京の大学病院に来たとする。門を入っただけで圧迫感があり、緊張します。そこへ、医者が来て、インフォームされたとしても嫌とは言えません。何も言えません。それが、正当な手続きとは言い難いでしょう。
本当にインフォームとはどういうことを言うのでしょうか。医者は注意する必要があるでしょうね。

次に患者の負担を軽くすべきです。UCLAの医学長である私の友人はこんなことを言っていました。「アメリカの医療は水準が高い。しかし、社会の弱者・貧しい人に対しては対策が遅れています。」と。彼は、医療を施す側にあるのですから、これは彼が自分自身に向けた皮肉でした。

経済的な優劣によって、負担が変わるというのは政治的なものです。ならば、国と一体になるべきです。
私が医療者にお願いしたいのは、市民運動を手伝って頂きたいということです。私は、医療関係者、特に地方の開業医にはそれなりに政治的な力があると思います。医療関係者には、物事を考える上で有利な点があることも先に述べた通りです。彼らに、一人でも多くの人々に憲法九条を守る事を説得してもらいたい。説得するのは、難しい事です。ものすごく時間もかかります。少しずつで構いません。

フランスでは、昔から地方の開業医は、人がその人の話ならばよく聞くという、人格を持った人であることが多いのです。フランス19世紀の小説家、モーパッサンの短編小説には必ず「医師」が出てきます。これを「médecine de campagne」(田舎の医者)と呼びます。彼らは、少し離れてコミュニティを客観的に眺め、その全体を正確に理解していました。何か揉め事が起こると仲裁したり、解決したりしました。日本にもそういう医師はいました。

最後に、私がお願いしたいのは、「憲法九条を守り、そういう人を獲得できる人を増やして欲しい」ということです。これから多くの、メディサン ドゥ カンパーニュが出てきて欲しいと思っています。』


加藤周一の姿勢

2006年08月20日 | study
昨日の講演会は、街の情報誌を見ていた母が気付いて
行く事ができたことに感謝する。

白州正子さんが、本の中でこんなことを述べている。
「母(樺山常子)の遺言ともいうべき、
『人は死ぬまで勉強しなくては』という言葉だけは
忘れられない。」

名も利も求めず、ただ、ひたすら自らを磨き、高みへと
導いた人々の中に著者は母の存在を挙げている。
ここからは、長文になるので読まれる方は覚悟必須。

ところで、昨日の講演会を中座してしまった方も
いらしたようなので、
最後の質疑応答の内容をここに書きたい。

まず、質問は10人から出されたが時間の都合で
信濃毎日新聞の司会者が意見を絞り、
4人の質問に加藤周一氏は答えられた。

質問その1.「病気を治しているのか、寿命と闘っているのか
分からなくなり虚しくなる事がある。(おそらく医師の質問)」

加藤氏「寿命は、人によって伸長があるものである。
    しかし、できる限り生かす。自然の寿命に抗しても
    生かす、というのが私の意見です。これは次の
    安楽死の話と関わってくる。」

質問その2.「安楽死についてどう考えているか。」

加藤氏「安楽死は、本人の意思で決めるべきことである。
    本人がしっかりしている時に確認しておければ
    一番いい。家族や周囲の意見ではなく、本人に
    沿うべきである。しかし、本人の意思も変わる
    ものである。だから、私は自然の寿命に抗しても
    生かしたい。」

質問その3.「アメリカの医療をどう思うか。」

加藤氏「アメリカの医療水準は高い。これは先程も述べた
    通りである。しかし、その医療は社会の弱者に
    対しては遅れている。
    市場主義で行くと、お金はある人はいい教育を受け、
    いい医療を受けれる。だから、私は社会主義が必要だと
    思う。なぜなら、勝てる人はいいが、勝てない人も
    いるからである。解決策・・・、私は政府が介入し
    医療と教育だけは平等に近付けるようにすべきだと
    考える。」

質問その4.「敗戦後、日本で民主主義は育ったと思うか。」

加藤氏「これは、質問自体が的確ではない。なぜなら、
    民主主義は、かつて育ったことはないからです。
    民主主義というものは、年中完成されたことは
    ない。いつ、民主主義ができた、という時はない。
 
    なぜなら、民主主義は過程である。方角である。

    民主主義というのは、目標そのものでなく、目標に
    向っていくことである。目標に向って進むことで
    ある。

    しかし、育ったというのなら育ったと言えるでしょう。
    それは歴史的な意味です。主権の位置を考えて下さい。
    現在は、どこにあるかを。
    だが、歴史的考察においてもそう言い切るのは難しい。
    なぜならば、1920年代と1930年代においては違うからです。

    1920年代と現在ならば、1920年代の方が民主的であった。
    現代以上に、言論の自由があった。
 
    1936年以降と現在を比較するならば、明らかに今のほうが
    民主的です。自由はあります。
    だが、何を持ってして民主的というかは難しいのです。
    アメリカは、国内ではもの凄い民主的ですよ。
    海外では、全く違いますが。ヒトラーの頃のドイツは、
    国内も国外も侵略的でした。ムッソリーニは、同じ
    ファシズムといえ、ヒトラーと同じではない。
    スペインのフランコ将軍を考えて下さい。彼は、国内では
    徹底的なファシストでした。自分でそう呼んでいるんです
    から・・・。しかしね、対外的には、一度も戦争をして
    いないんですよ。ただの、一度もです。
    国外に対しては、民主的でしたよ。
    ですから、民主主義もあらゆる組合わせがあるわけです。
    内外が、必ずしも統一的ではないんですよ。

    北欧の医療とアメリカのがどう違うか、ということですが、
    これも難しく一概に言えないのですよ。
    北欧をスカンディナビアとしましょうね。彼らの歴史は、
    其々違うんです。ただ、王権は民主的ですよ。
    王はいますが、非常にその在り方は民主的です。」

という事でした。私は、自分の浅はかな知識を振り絞ってまで
質問などとてもできないと思われたのでこの質疑応答から
加藤周一の「基本的なスタンス」を感じる事ができて良かった。

彼は、最後に主催者の方の御礼の言葉があるのに、
話し終えると帰ろうとしていた。
舞台の中央を離れ、端の方まで来て、慌てた主催者側が
端に椅子を持って来て差し出した。
そうした事は、どうでもいい事のようだった。
私は、その一コマを見ていて彼の人柄に心打たれた。
その姿に、87年間、人間を問い、どんな存在でも愛したであろう
一人の人間の美しさが感じられた。
私は、ただただ、泣きたかった。どうしてそんなに
涙が出そうになるのか分からなかった。

加藤周一との出会い

2006年08月19日 | study
この夏、私にとって深く心に残る出来事があるとすれば
それは、今日という日に他ならない。

旅行でもなく、お稽古事でもなく、
仕事上の研修における研究でもなく(それは相当興味深かったが)
ただ、今日の一日の中のほんの数時間という時間、
それがかけがえなく心に響く。

加藤周一、その人の名を目にしたのは高校生。
現代文の問題だったか、受験問題にその人の評論が
載っていて問題と文章に格闘した記憶がある。
梅原猛との対談の本も読んだ気がする。

このような片田舎の地元に、その加藤周一が来る事を知って
狂喜して出掛けたのは、単なる私の文学・哲学者好き故である。

加藤周一は、東大理三を出た医学博士であるが
それ以上に、文学者でもあり、評論家でもある。
今日の講演のお題は「社会と医療の未来」であったが、
彼の語ろうとする事は、もっと本質的な人間存在に
関わるものであったと思う。

何故、こんなに心が震えたのか分からない。
このような経験をすることは少ない。
しかし、確かにそこに戦前・戦争中・戦後の日本を
生きた偉大な知識人の「人間という存在への問いかけ」が
私に「生の意味」をひしひしと感じさせた。
また、私に高校時代・大学時代に哲学や批評を主とする先生や教授達と
対話した充実した空間を思い出させ、
今回の講演の最後に話された「Le médecin de campagne 」
という概念はフランスでの大学時代を思い出させた。

こうした空間が持てれば、
それは何よりも幸福な時間になる。
加藤氏の話を聴いて、サルトルではないが
engagementという姿勢を自己の内に持とうと思った。

近頃、Times等新聞にレバノン国民の酷く傷ついた姿の写真が載る度に
胸が痛んでいたので、平和の何たるかを考える大切さを
講演の向こうに垣間見せる加藤氏に感銘した。