帰宅するとフランスから手紙が届いていた。
誰からか、分かっていた。
私は、長らくその手紙の主に手紙を書かなかった。
おそらく、向こうも、東洋の一留学生のことなど
いつか忘れてしまうだろうと何処かで思っていたためである。
私が、忙しさに紛れて日々を過ごしている間、
その人は、幾多の論文を書き、本を何冊か執筆していた。
その間、私は何をしただろうか。
一つの論文を最後に、仕事を始め
さらりと書いた文章が雑誌の小さな賞を得たくらいであった。
手紙を手にした瞬間、
私の心はフランスの日々に帰る。
古い石造りの講堂で、講義をするその人の姿が
秋の木漏れ日の中に浮かぶ。
何故、人は、ただ一瞬の数秒の記憶を
何度でも繰り返し、思い出すのだろうか。
それは、突然やってくる。
場所を問わず、東京の人ごみの中でも
信州の晩夏の中でも、ショパンを弾いている時であっても。
おそらくそうなのだろう。
その時、私は現在の中で、美しい記憶と対話することができるのだろう。
誰からか、分かっていた。
私は、長らくその手紙の主に手紙を書かなかった。
おそらく、向こうも、東洋の一留学生のことなど
いつか忘れてしまうだろうと何処かで思っていたためである。
私が、忙しさに紛れて日々を過ごしている間、
その人は、幾多の論文を書き、本を何冊か執筆していた。
その間、私は何をしただろうか。
一つの論文を最後に、仕事を始め
さらりと書いた文章が雑誌の小さな賞を得たくらいであった。
手紙を手にした瞬間、
私の心はフランスの日々に帰る。
古い石造りの講堂で、講義をするその人の姿が
秋の木漏れ日の中に浮かぶ。
何故、人は、ただ一瞬の数秒の記憶を
何度でも繰り返し、思い出すのだろうか。
それは、突然やってくる。
場所を問わず、東京の人ごみの中でも
信州の晩夏の中でも、ショパンを弾いている時であっても。
おそらくそうなのだろう。
その時、私は現在の中で、美しい記憶と対話することができるのだろう。