Drマサ非公認ブログ

生きることが特権?

 変なことが頭に浮かぶ。ご容赦を。

 ダーウィンの適者生存の理論を拡大解釈すると、弱者は淘汰されて行くことで社会は進化するとなる。反吐が出る。ナチズムの優生思想からホロコーストはこの思想が出自の全部とまでは言わないが、一部である。

 強者はどこかそう考えているフシがある。それとわかるようなやり方ではないにしても、無意識的にか、容認していくのだ。

 そうすると、死んでもしょうがない人が設定される。僕は死の哲学を考えれば、死を忌避する必要はないと結論した。一応隠してはいるけど。

 しかし、死んでもしょうがない人をどこかで決めつけてしまえば、生きることができる人と生きる必要のない人という差別が生じる。そういう政治が生まれ、そのような政治で人々が動く。それは国家が成立して以来、続いているのだと思う。こっちは死ではないほうに向かう哲学?

 死を忌避する必要はないとしたが、死は自然現象ゆえ、人間がどのような人為を用いても、死は避けられないからだ。人間の死亡率は100%である。

 コロナの死亡率は、日本では現状1.5%。しかしコロナで死ぬか否かは事前には決められない。いいとこ確率として事後的に認識できる程度である。

 さて政府はコロナ中等症の人を入院させるかのように、考えを改めたようなふりをしている。実はここにある選別は、死ぬ人が出てもしょうがないという話である。そういう政治を行っているのである。

 「医療崩壊か?」というけれど、実質強制的に健康保険料を払っているのに、適切な医療を受けられないということだから、完全に国の制度としては医療崩壊だ。生き残る人は適者生存にでも当たる人になるのだろう。

 以前も引用したのだが、賢治の『農民芸術概論綱要』が頭から離れない。

 

     われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう

     世界ぜんたいが幸福にならない限り、個人の幸福はあり得ない

 

 37歳と若くして賢治は亡くなった。賢治は適者生存者ではないだろう。なんだか適者生存者にはなりたくないと思いはじめてしまった。でも妻に怒られるから、生きますけど。

 わけのわからない独り言です。

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