経世済民を検索すると、以下の言葉がまず出てきます。
「経世済民(けいせいさいみん)」の語源は中国の古典。 正確には古い漢字で「經世濟民」と書き、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」が本来の含意です。 つまり治世全般、いわば政治そのものを指すのが「経世済民」の含意であり、英語の「economy」の訳として使われる現代の「経済」とは本来異なるものです。
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僕が知っているのは、元々は中国の言葉で「経世済俗」です。「民」が「俗」だったのです。「経」と「済」を抜かすと、「世俗」です。「世俗」の意味はなんであるのかというと、「人々が生活する普通の場所」と「人々の生活の習わし」。
「経」は規範。「済」は「助ける」。という事で、「経世済民」は「人々が生活する普通の場所」の「規範」が「人々の生活の習わし」を「助ける」事です。
つまりは「経済」とは治世です。これが引用した定義です。
この時、人々の生活を助けることですから、治世を実践する者は人々を助けなければなりませんし、「世俗」に照射すると、誰もが人々の生活を助けるという意味を含みます。
現在は経済と政治を分けて考えるわけですが、当然ですが両者は一体なわけです。
それがいつの間にかというか、明治以降近代化が進む中で、経済が殖産興業に絡め取られました。この変化は国家が経済成長しなければならないという考えを前面に押し出します。殖産興業には「貨殖興利」が土台の考えになります。つまり金儲け。
明治の学者の中には、「貨殖興利が経済の意味に捉えられているが、間違いだ」と指摘する者がいましたが、今では見当たりません。森嶋通夫や宇沢弘文ぐらいしか「経世済民」を実践する経済学者はいなのではないでしょうか。
結局殖産興業や貨殖興利はGDPや経済成長のみに関わり、人々はそこに幸福を見出すような従属がデフォルトになってしまったのだと思います。国家もまた「貨殖興利」、金儲けに邁進しています。トリクルダウンがないことはピケティが実証しました。
そこからは人々の生活を助ける、助け合うとの本来の経世済民、経済が失われた、ということなのでしょう。