Drマサ非公認ブログ

南青山児童相談所排斥の声を聞いて⑴

 ご存知のとおり、一等地の南青山に児童相談所建築にあたって、地域住民が反対していることが問題になっている。

 僕がこの問題をニュースで読んだとき、真っ先に思い出したのは、今年3月に目黒区で起きた5歳児の虐待死亡事件であった。亡くなった子供は「もうおねがい、ゆるして」と“反省文”を書いていたとの報道であった。なんとも酷い、そう多くの日本人は感じていたに違いない。

 僕個人の考えでいうと、家族の問題に行政が入ることを望まない。ただ家族の問題が当の家族の死につながる、子供の虐待といった深刻なケースであれば、家族を包摂するような共同性のない現代社会では、行政に頼ることは致し方がない。地域住民の共同性が希薄な現在、地域住民が直接問題解決に向かえないのだから、地域住民は間接的な役割を果たし、行政システムに依存せざるを得ないだろう。

 児童相談所に問題があるのは知っている。例えば、法律に則って事に当たるため、虐待とはいえない親子の関係を虐待として位置付けてしまうとの報告がなされている。結果、親子が引き裂かれる。

 さて、今回の南青山の問題は一部住人が児童相談所を含む家庭支援施設を「迷惑施設」とみなした事にある。先の目黒区の事件は児童相談所がより介入していれば、最悪の事態は回避できたかもしれない。こんなことを言っても虚しいところもあるけれども、かの目黒区の5歳児を児童相談所が助ける役割を十二分に果たしていたら、このような行政施設を「迷惑施設」と見る意識は後退したにちがいない。

 今回の問題では反対表明している者たちの意見は、「資産価値が下がる」「南青山は自分で稼いで住む場所」「学校のレベルが高く、そこに施設の子が通うのはかわいそう」などで、「選民意識」との指摘がなされ、その姿勢に批判が起きている。

 またテレビ番組の中で1タレントが「気持ちがわかる」と言明し、これもまたバッシングされているようだ。

 僕はもちろんこのような意見に賛成しない。しかしながら、日本社会の反応としてはよくありがちなのではないかと思う。ちょうど「施設から脱走する者がいたら不安である」との反応があったが、確かに一昔前の児童福祉施設には非行少年が入り、時に脱走するといったイメージがあったと思う。このような負のイメージは残っている。

 ところで、そのような迷惑は避けたい、これは日本人がもちやすい意識ではないだろうか。日本人は「他人に迷惑をかけない」ことを価値意識としている。このことはわかりやすい。翻って「他人に迷惑をかけられたくない」との価値意識をももっている。迷惑施設とはこういう意識から生み出されている。

 通常は前者の価値意識が前面に出るため、後者は意識しづらいかもしれない。母親に「人に迷惑かけちゃいけないよ」とは言われるが、後者のような言明は直接的にはなされない。

 実はどちらにしても功利主義的である。通常功利主義であれば、損得を考え得するように行動するが、実は損しないようにしようとする意識も併せ持つ。このような「損をしない」との価値意識は「他人に迷惑をかけられたくない」との価値意識と地続きである。ちゃんとした命名があるかもしれないが、僕はこの後者の価値意識を「後ろ向き功利主義」と密かに名付けている。

 その意味で、かのタレントさんは非常に日本人的な反応といえるのではないだろうか。その上で、「知識がないから」との前置きをしていたのであり、無理解や偏見があるかもしれないとの畏れを抱いていた。その畏れこそ、偏見の乗り越えの可能性でもある。

(つづく)

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