今日2025.6.4、入院していますが、その経緯は後で。
で、前回の続き。ちょうど1年ぐらい前になる。どういう経緯でLine電話が入ったかは忘れていしまったが、連絡が来た。多分入院している80半ばの母親のオンライン面会のついでであったろうか、上の弟の嫁さん(つまりは、この時点で僕のドナー候補)から話を聞いたんだろうと想像する。
開口一番、上の弟が「自分がドナーになる」と。下の弟も同様の意向を表明してくれた。
なんだか僕が病気について説明してくれないと、多少の不満を漏らしてもいたように思う。
僕自身は病気のことで、誰かの世話になるなんてことは考えていなかった。もちろん弟たちにも。そういうところから、僕のことを「兄ちゃん変わり者だから」と言ってきやがる。まあ認めますが、僕自身はそんなこと考えながら生きているわけではなく、僕なりの考えで素直に生きているつもりなんだけど。
僕の基本は「ただ生きるのではなく、よく生きること」というプラトン哲学の基底に従っているのだが、そういう人物自体が「変わり者」というなら仕方ない。僕はこの生き方を死ぬまで貫きますよ。
話は脱線するけれど、30代だったか、帰省していたときに母親に「お前はホントに変人だよ」と言われ、妻にも同様の評価をいただいている。
これじゃ、変人自慢になってしまう(笑)
話は戻って、上の弟が「腎臓移植するなら、自分たちしかいないだろう」と言ってきた。隣でもう一方の弟は頷いている。
そもそも兄弟仲は非常に良いと感じていたし、小学校5年生で父親を亡くしているので、自分が父親がわりなどという気はないが、めんこくて(かわいくて)仕方ない弟2人である。いい歳なのに。
僕は「自分たちしかいないだろう」という言葉を噛み締めていた。弟2人がそういう思いを抱えてくれることに「当然!」などと心の中で自慢していながら、兄弟2人が心の成長をしていると喜ばしく思った。
これでドナー候補は弟2人になった。