Drマサ非公認ブログ

カルロス・ゴーン報道のジャーナリズム性⑴

 ゴーン氏が逮捕されてから3週間ぐらい経ったのだろうか。日本の勾留期間が長いという海外からの反応もあって、日本人全般にそのような見方が広がる機会にはなるかとは思っている。

 つい先日、籠池さん夫妻の勾留が8ヶ月にも及び、人権侵害との指摘もあった。今回は外国人の逮捕勾留ということもあって、このような司法制度が諸外国から見て、問題があると見られることを日本人が知る良い機会にはなったかなと思う。でも、すぐ忘れちゃうのかなあ。

 ここでは報道について、少しばかり考えて見たことを綴って見たい。

 最初期の報道を記憶に従って振り返ると、日産を立て直した主役の金銭に関する疑惑逮捕ということでスキャンダリズムといった趣であったろうか。

 加えて、日本人の報酬意識との違いが強調され、冷静な報道をしているように見えながらも、ゴーン氏の高給ぶりが強調された。ここには日本式の報酬体系と外国のグローバル企業の報酬体系が比較され、日本には日本式が良いという示唆が含まれていたように思う。つまり、日本対外国という図式で日本が良いというナショナリズム。

 ちなみに僕自身は企業の経営者が馬鹿みたいに高い報酬をもらう道理がわからない。どんな理由をつけて正当化しようが、正当化の根拠自体に反論はいくらでも可能だろう。巨額報酬を当然とする意識は信仰というか盲信である。

 その後、日産対ルノーという図式になる。またルノーの大株主にフランス政府がついているため、日本対フランスという図式が強調された。細かいことはニュースで取り上げられているので、ご存知だと思うが、日本の象徴的企業である日産がルノー及びフランスに乗っ取られるという印象が作られ(表現に問題はあるかもしれないが、事実のように思われる)、その策謀に対抗したクーデター。ここでもまた、ナショナリズムを刺激する図式になっている。

 ナショナリズムを刺激するメディアは良い商品である。人気がある。それは通常スポーツでよく見られる風景だが、今回は経済という点でまた一味違った“メディア商品”である。経済という点でスポーツとは違って、国力を経済力とする意識、あるいは企業の力が国力であるという新自由主義的思考からすれば、より切実な問題という意識を作る。

 結局、報道はナショナリズムをめぐる言説が中心になったのだと思う。それは真実を追求する、あるいは日産とルノー、それらに関わる政治の実態を解説する中で収斂してく言説のエコノミーとでもいったらいいだろうか。

 もちろん、それ以外にも指摘すべきこともある。最初にあげた、日本独自の司法制度の問題。つまり、人権意識。それと関わって、弁護士の郷原信郎さんの検察批判は注目すべきことだ。

 そこで、僕は今回の報道におけるジャーナリズム性という観点から少しばかりの問題点を指摘したい。

(つづく)

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