陽だまりのエッセンス

~成長のための記録~
自分らしく、楽ちんに生きる!スピリチュアルを思いのままに綴っていきたいと思っています。

純粋に生きる

2007年05月30日 | 成長のための記録
純粋に生きる。

この真っ直ぐな言葉に惹かれます。

純粋さってなんだろう?

先日ある番組で、柔道の古賀さんが出演されていて
オリンピックでの試合中のお話をされていました。

もう金メダルが間近に見えて来た試合の最中。

「あぁ俺、また金とっちゃうな」

そういう思いが心の中に浮かんできたその時
目の前に金メダルが本当に見えたそうです。

そして次の瞬間
その金メダルがスッと目の前から消えたそうです。

結局古賀選手は金メダルをとれませんでした。

このお話し、すごいと思いませんか?
自分の「思い」が現実を創っている。
それですよね。

その時のおごりの気持ちが負けるという現実を創った訳ですよね。

そうなんですね、本当にそうなんですね。
ふと思った、ふと頭をかすめた、ふと心に過ぎった
「その一瞬の思い」が次の現実を創っているのですよね。

私はこのお話を聞いてから
人間はどこまで純粋になれるんだろう?と考えました。
人間だから、エゴのかたまりの人間だから
そんな思いを抱いてしまうのは当たり前なのかもしれません。
それが人間ですよね。

でも純粋さを、真っ直ぐさを少しでも保てる人になれたら・・・
そう思います。

純粋に、真っ直ぐに。
そしてこれは「今ここにいる」事でもあると思いました。

古賀さんはその時、心が
「金メダルとれるかも」という未来に
その瞬間行ってしまったのですよね。

その時「今ここ」にいなかったのでしょうね。

純粋さとは、今ここに在る目の前のことに一生懸命になる
ことでもあるのでしょうね。
結果がどうとか、人の目がどうとか、その後どう考えるとか
どうなるとか、人に認めてもらうとか
そんな事はどうでもよくて
とにかく今この瞬間に全てのエネルギーを注ぐ。
今に己を貫く。

とにかく「今」しかない今に過去も未来も存在しない。

今に生きる。これが純粋さなのかもしれない。
真っ直ぐに生きることなのかもしれない。
そう思ったのでした。







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手放すこと

2007年05月24日 | 成長のための記録
よく手放せば楽になると言います。

「手放す」とはどういう事なのか。

手放さなければいけないと言う事は
握っているという事。

握っているという事は
自分にとっては大事なものという事。

そんなに大事なら何も手放さなくて良いのでは?
そう思います。

だけど手放した方が楽になる・・・?

握っているという事は
それに執着しているという事です。
そこに注目しているし、いつも気になっています。

だから大事なものだと思い込みます。

たいがい人はその問題に注目する事で
その問題を大きくしてしまうものです。

ある事、ない事妄想しては
問題を何倍にも膨らませるのが得意みたいです。

強く強く握り締めている間に
その問題は大きくなりすぎて
自分の手に負えない程になってしまいます。

そうなってくると大変です。
大きくなりすぎて、
最初の問題の形すら変わっているかもしれません。

でもそれは自分が注目をして、執着をして
大きく大きく育てた結果なのです。

誰もその問題を大きくする事はできません。
大きくして苦しむ事ができるのは自分自身だけです。

ふわっと、手を開いてその問題を手放した時
その問題は自分の手から離れて無くなっていきます。
注目するものがなくなります。
執着していたものが何だったのかすら忘れてしまいます。
もはや問題は自分の中から消えてしまっています。

そうする事ができるのも自分だけです。
そうなんです!自分で出来るんです。
今すぐにでもその問題を無くす事が出来るんです。

たとえ手放したからといって
今すぐに嫌いな会社の上司がいなくなる訳ではないじゃない!

そう思うかもしれません。
でも問題なのは、会社の上司の人間性ではなくて
上司の事が嫌いな自分が問題なのです。

だから問題を見極めて、それを今すぐに手放して
問題を今すぐに無くす事は可能なのです。

もうそれに注目しないのです。

そう簡単には出来そうにない・・・。
そう思うかもしれません。

だけど、「手放すか」「握っているのか」は
どちらかひとつしかありません。

どっちでもないは無いのです。
ふわっと持っているとか、先っぽだけ持っているとかは
有り得ないのです。

それを決めているのも自分です。
だから手放すと決めたら、もう手放すしかないのです。

握っていると決めたらならそれでも良いと思います。

とにかく
「楽になるのか」「苦しむのか」
のどちらかに決めるのです。

そして本当に「楽になりたい」時期が来たら
完全に「手放す」のです。





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とびきりの運命に!

2007年05月19日 | 成長のための記録
お休みを頂いて南の島に行って参りました。
本当に短い滞在でしたが
一足早い夏を満喫してきました。

プライベートなビーチで観光客を招いて楽しませる。
という企画があり、それに参加してみたのですが
そこは本当に誰もいなくて真っ白な砂に青い海。
ゴミもひとつも落ちていなくてすごく綺麗で
人工的なものが何もなくて、トイレでさえもエコなトイレでした。

そこには数人の地元の20代の男の子が働いていました。
彼らの仕事は、お客さんの食事の世話をしたり
カヌーに乗せたり、パパイヤを揺すって採ったり
ココナッツを削ったり、ココナッツミルクを絞ったり
ジャングルに案内したり、木に登ったり・・・。

そうかここが彼らの職場なんだよね。

そう思うと、なんてのんびりした素敵な仕事なんだろう!
と思えてきます。
こんな生活をしている人もいるんだなぁと
自分の生活とついつい比べてしまいます。

だけどもし自分がそこに残ってその仕事をしろと言われたら
やっぱりいくら私でも(笑)ムリなのではないかと思います。
そこはやはり彼らの選んだ場所で、彼らの人生なのですよね。
自分が選んできた人生を、当たり前のようにまるごと受け入れて
いるその姿に私は自分の事をちょっと反省しました。

日本での生活が息苦しいだとか
習慣が合わないだとか思っていた私ですが
今自分は、ここを選んで生まれてきたわけだから
ここを受け入れるのは当たり前の事なのですよね。

それに日本という国に生まれてくる事ができたのは
本当にギフトだと思う。
今ここ日本を満喫しないでいつするの!
自分が楽しむ為に選んだ場所なのだから。
もっと楽しんでもっと感謝したい。そう思ったのです。

きっと前世では南の島で楽しんだ人生があるのだと思うから
羨ましいと思うものではないのですね。
今は日本。ただそれだけなのですよね。

「椿」というシャンプーのCMの歌の中で
なぜかいつも耳に入ってくるフレーズがあります。

「とびきりの運命に心からありがとう」

日本人の女性として生まれてきた事に心から感謝ですね!






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自分の中にある成功

2007年05月11日 | 成長のための記録
本当にやりたい事を心のままにやる。

これって案外難しいですよね。

そもそも、本当にやりたい事ってなんだろう?
自分が何をやりたいのかが見つからないでさえいる。
そんな人は少なくないと思います。

テレビである人がこんな事を言っていました。

「何の職業につくかではなくて、やりたい職業が見つかった事が
 すごいんだ。成功するかどうかはそれからの話しだ」

本当にそうですね。
自分はこれをやっていくんだ!という信念。
ひとつの事を追い求めて追求していくって美しいなと思います。
その純粋さこそが、自分自身の中での成功なのかもしれないなと思います。
他人の評価やお金だけの価値観で測られた成功ではなくて。

人間は物質的な成功を成功と考えがちだけど
それが果たして本当の意味での成功なのでしょうか?
それ程不安定で不確かな成功はないのではないかと思うのです。
明日全てが無くなってしまうかもしれない成功なんて
本当の成功とは言えない気がします。

そういえば昔こんな話を聞いた事があります。

インドでは物質的に成功した人よりも
精神的に成功した人のことを真の成功者と呼ぶ。

なるほど・・・
精神的な成功というのも曖昧ではあるけれど
物質的なものと違い、明日もしかしたら全てが無くなってしまう
かもしれないという不安定さは遥かに少ないかもしれません。

そもそも成功しているかどうかなんて本人が決める事で
他人やお金が決める事ではないのかもしれませんね。

では自分の中での成功というものがどういう意味なのか?
この事を考えた時に

「自分が本当にやりたい事を心のままにやっているかどうか?」

これが成功しているかどうかなのではないかと思えるのです。
世間の評価を気にして、お金の価値観に囚われて
安定だけを求めて、妥協している自分にも気づかずに
ただ流されている。
自分の中にある情熱を隅っこに追いやって
出来ない理由を並べて自分に言い聞かせる・・・。

これは自分の人生から逃げているのかもしれない。

もし自分のやりたい事が何の制約もなく出来るとしたら
今自分は何をするか?
それは「絶対」に出来ない事なのか?
「絶対」に出来ない事なんてきっと無いのだと思うのです。
それはただやらないだけなのだと思うのです。

ただその先に「不安定」があると思うから
怖いだけなのではないでしょうか。

あえて不安定の中に飛び込んでいく
くらいの人生だったら面白いだろうなと思います。
いや、安定だろうが不安定だろうがそんな事は関係なく
ただただ「これは自分がやりたい事なのかどうなのか」
その事を感じて生きていく・・・。
それこそが成功しているかどうかを測る確かなモノサシなのかもしれません。



芸術家の岡本太郎さんの言葉で
すごいな~と思った言葉です。

「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。
 本当はそっちに進みたいんだ。」


純粋に力強く生きた人の言葉には人の心を動かす力がありますね。







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結局自分だった!

2007年05月05日 | 成長のための記録
人からどう見られているのかが気になる。

これは誰でも思うことですよね。
気にならない人なんていないと思います。

しかし・・・
人が見ている自分ほど当てにならないものはないようです。

どうやら人は自分の視点で他人を見ているようです。
それは自分にしか見えない「その人」になるのです。
(意味分かります?)

例えば・・・
こんなのを本で読んだ事があります。

旅行先で、一緒に行ったある友達から
「疲れてるね~顔がやつれているよ」と言われたそうです。

しかしもう一人の友達からは
「疲れてないの?元気いっぱいだね~さすがだね」と言われたそうです。

ちなみに「疲れてるね~」と言った友達は
グッタリとして座り込んでいたそうです。
そして、「元気だね~」と言った友達は
リュックを担いで背筋を伸ばして笑顔で座っていたそうです。


そうなんです。
結局自分なんです。


私達は自分ワールドで、自分の視点で
他人を見ているのです。
自分がそうだから人もそう見えるのです。
自分の中にあるものを他人の中に映しているだけなのです。

だったら・・・
人が自分のことをどう見ているかなんて全く当てにならない
というのは納得ができます。
そんな当てにならない、不確かなものの事を
気にしている場合でないと思えてきます。

そうなってくると大事なのは
「人が自分のことをどう見ているか?」ではなくて
「自分が人の事をどう見ているか?」に変わってきます。

なぜならば、自分が見えている他人が自分だからです。
自分そのものだからです。
自分だからそう見えるのです。
自分にしかそうは見えないのです。

それが分かると、今の自分自身が見えてきます。

更に他人から
「あなたは○○だね」と心外なことを言われたとします。
そんな時、怒る必要は全くなく
あぁこの人自身が○○なんだね、と心の中で理解する事ができます。

こんな法則を知っていると自分や他人への理解が深まりますね。



なんだか世の中って複雑なようで単純だったのですね。






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誕生の瞬間に帰る時

2007年05月02日 | 成長のための記録
新しい1年が始まる日。
誕生日には特別な思いを抱く。

この魂は、この肉体を選んでこの人生を選んで
今ここに存在している。

紛れもなく自分自身だけど
この感情もこの肉体も今ある全てが自分だけど

でも本当の自分自身ではないから
どんな感情も、出来事も、人生もどこかで安心して
体験する事ができる。

あぁ私の魂は、こんな人生を体験したかったんだなぁ
そう思えば、どんな体験でも望んだ事だから
その通りになっている事なわけだから
全てがOKという事になる。


誕生の瞬間にかえってみる。


この肉体を通して
家族や友達、先生、パートナーと出会い

この肉体を通して
嬉しい事、悲しい事、楽しい事、辛い事
たくさんの出来事を体験し

この肉体を通して
喜び、悲しみ、感動、怒り、自信、恐れ、情熱
満足、自責、疑い、不安、調和、意欲、安らぎ、、、
たくさんの感情を体験し

この肉体を通して
学び続ける事を決意した。

そしてこの日本に産まれ、この親を選んだ。

今のこの瞬間を体験する為に
あの日ここに誕生してきた。

どれほど不安だったろう?
どれほどワクワクしていたのだろう?
これから始まるこの人生の学びに。

産まれてくる事ができたのも
親の肉体があったからこそ
生きる事ができたのも親の愛があったからこそ
人間の赤ちゃんは一人では生きられないから。

学ぶ事ができたのも
たくさんの出会った人達がいたからこそ
人は独りでは決して学べないから。

たくさんの人達からの援助を受けて
愛を受けて、そして学んでいくことができる。
魂の目的を果たす事ができる。

人は助け合って学んでいる。
時には自分が悪になることで人の学びを助ける。
そして時には悪になってくれる人がいてくれて
自分の学びを助けてくれる。

ここにいる全ての人が
それぞれの目的に向っている事を知っているから
愛しくてしょうがない存在になる。



誕生日、魂に帰ってこんな事を思い出してみる・・・。






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