goo blog サービス終了のお知らせ 

繭玉cafeより

日々の暮らしに彩りを・・・
のんびり ゆっくり ほどほどに

笑っていた姿を思い出したい

2022-06-19 06:03:00 | 家族

私の父は15年前に79歳で亡くなりましたが、50代で

脳梗塞を発症し、亡くなるまでに4度再発を繰り返し、

その度に動けなくなっていきました。

父が60歳の時、母が亡くなり私達家族と暮らし始めました。

色々なことがありました。

妻を亡くした寂しさから最後まで立ち直れなかった気がします。

私達と居てもきっと心は寂しかっただろうと思います。

健康であったら、きっと一人暮らしをしたかったはず・・・

言語障害もあったので、話すこともままならず黙って

抱え込んでいました。

それでも息子たちが幼かったので、ひょうきんな仕草を

笑いながら見ていた姿を思い出します。

やはり旅好きで、私が独身の時は二人で出掛けました。

今日は父の日。

「みんな元気ですよ!」と伝えたい。





ニセアカシアの大木




雪のように小さな花びらが降っていました



  
  🍀 どうぞお健やかにお過ごしください 🍀

姉妹の話はエンドレス

2022-05-21 05:51:00 | 家族

半年ぶりに妹がきて、泊まっていきました。

私の好きな食材を持参して、我が家のキッチンで

料理し、ランチをご馳走してくれました。

夫は出掛けていたので、二人で赤ワイン付きランチ。

話好きな妹は、半年分の話題を提供してくれ、夜には

夫も参加して、3人で鍋を囲んで更におしゃべり。

翌日は、ライラックを見ながら街歩き&ショッピング

を楽しんで帰って行きました。

姉と妹の話はエンドレス・・・

最近は、長い時間、誰かと話すことがすっかり減っている

私は、楽しかったけれど、少々疲れた二日間でした。

でも、愛しい人と会って話ができることは、それだけで

大切なことです。









  🍀 どうぞお健やかにお過ごしください 🍀


妹よ!

2022-04-22 06:11:00 | 家族

寒い寒いとぼやいていたら、急に暖かくなりました。

予報通りにそろそろ桜も開花しそう・・



先日妹が、昨年の春に手首を骨折した時に入れた

プレートを取り出す手術をしました。

妹はこの3年ほどの間に、右肩の腱板断裂の手術、その後

左肩の脱臼、そして昨年夏に手首の骨折とコロナ禍の

中で、入院とリハビリが続きました。

昨日は退院し 「お姉ちゃんも気をつけてね!」

なんてVサインのラインをくれましたが、「○○ちゃんこそ

お願いだからもうそれくらいにしてね!」と返しました。

手首に入っていた金属のプレートと9本のボルトの

写真を見せられ、小心者の私は震えてしまいました。

4人の子供を育てた妹はへこたれません!

私のことを一番わかってくれ、いつも助けてくれます。





白玉ぜんざいが美味しくできました







京都の優しいうどん

2022-04-21 06:13:00 | 家族

20年ほど前、高校の修学旅行以来久しぶりに行った

京都は長男が急病で入院している病院でした。

受験で行って急病になりそのまま入院し、結局その年

受験は出来ませんでした。

病室で背中を向けて話をしない息子に、黙っている

しかありませんでした。

その時に泊まっていたホテルの近くで食べた京都の

うどんが私には忘れられません。

柔らかくて優しいお出汁のうどんは、それまで

食べたことがない味でした。

悲しくて不安な気持ちを温めてくれました。

そしてたくさんの方に親切にして頂きました。

今でも時々そのうどんがとても食べたくなります。

京都で生きていくのだろうと思っていた息子は、

卒業後札幌へ戻ってきて今は元気に働いています。

あの時があったから今の彼が居るのでしょう。


『禍福は糾える縄のごとし』 とは

誰にでもいえることですが、子供には福ばかりがあって

欲しいという親バカな思いです。





京風たぬきうどんはあんかけ






普通に暮らしている人が突然に

2022-03-20 06:32:00 | 家族

春のお彼岸は、まだお墓が雪に埋まっているので、

4月の母の命日にお墓参りをしています。

私の母は昭和5年小樽生まれですが、終戦の2年ほど前に鉄道員

だった父親の転勤で樺太(サハリン)へ渡り、15歳で

終戦を迎えました。

祖父は仕事柄すぐには樺太を離れられず、祖母は子供を産んだばかり、

長女の母が小学生の妹と弟を連れて札幌の祖父の実家へ引き揚げて

きました。

真夏に着られるだけのものを着て、大きな荷物を背負い

小さい妹弟の手を引いて引き揚げ船に乗る時、どんな気持ちだったのか?

15歳の娘を船に乗せる祖父母の気持ちは・・・

今、ウクライナの人々が避難のために並んでいる様子を

見ると母が浮かびます。

母も避難民だったのだと。

普通に暮らしていた人々が突然そういう状況になる。

大震災でもある意味では同じですね。

無事に帰り着けた人、帰れなかった人。

母は多くを語らずに50代で亡くなりましたが、

若くて聞いてあげなかった自分を今頃後悔しています。






「コーヒー付きコース」散歩

のんびり歩ける普通の幸せ