今夜も力うどん after

ミュージシャンMaysicoが綴るその後のいろいろ。麻布十番エリアにあるサックス教室アレイアミュージックカウンシル主宰。

無駄なことはだいじなこと

2019-03-28 08:12:00 | いろいろ
昨日、サックスの生徒さんと3歳女児と1歳男児の子供たちと、新宿にあるプーク人形劇場に行った。
南新宿は以前、短い期間だったが教室の場所でもあったので懐かしい。
創立90年!(私のサックス教室は23年。🐣だ。)
昔からその存在は知っていたが、こんな形で体験することになるなんて。
一児を産み中断、そして再開、二児の母になってもまたサックスを再開してくれたさつきちゃんのおかげ。
全くの他人だが、家族だと思っている。
教室みんなそう!
劇場は前の方にこども席が設けられ、親と離れてこども同士で座れる。
三歳児も私たちの前のこども席に座った。
ついこの前まで片時もパパやママから離れなかったというのに^_^

演目は、途中15分の休憩をはさみふたつ。
舞台に置かれた立方形の箱の転回がストーリーの中心である、『ふしぎな箱』と
もうひとつは福音館書店から発行されている『もりのへなそうる』
ふしぎな箱は、まるでマイルスの音楽を聴いているような、ミニマムな美しさ。
かたや一方は、そなへいるという想像、創造上の動物との交流のおはなし。
人形劇というと、遣い手は黒子で顔を出さないスタイルだと思いきや、人間が動かすことを見せる人形劇。
これは文楽にも通じて、なかなか深い。
素晴らしかったのが、主人公であるへなそうるのルックスと構造物としてのクオリティの高さ。
どちらも丁寧に作られた素晴らしい劇だった。

終演後、まだ帰りたくない、どこかで遊びたいと言っていた三歳児もお昼を食べたら寝落ち。
デパートの屋上を目指して上がったものの、そのまま親子と解散となった。

夕方メールと写真が。
「ひとり人形劇が始まりました」
ぬいぐるみを何体も抱えた三歳児が、語り付きで人形劇を始めたらしい。

この吸収の早さ。観たものの影響。
素晴らしい。

今や国語さえ、『役に立つこと』『受験に有利な』
実利重視のプログラムに変更になろうとしている。
音楽や美術は少しずつ隅に置いやられ、
グローバル社会で必要な英語が、小学校から必修になる。

英語は喋れないといけないとつくづく思うが、
そもそもグローバルって何だろう?
外国で、日本のことをどれだけ自分の言葉で語れるのだろうか?
そもそも、話題は持っているのだろうか?

時代は違うが、
学校を終えてヘトヘトになるまで遊び、
秘密基地を作って怒られても、そこにある材料で何かを作り、
危ないと言われる道を探検して怒られても、
暗くなって怖くなっても、
何とか助けあって帰ってきた。
誘拐されたり殺される危険はもちろんあっただろう。でも。
身体を動かすだけではない。
時間を忘れて本読んだり絵を描いたり。
こういうことは言ってみれば、無駄という思い出と経験かもしれない。
だから何の役に立つのか?何かの答えになるか?
受験の役に立つのか?
答えは、たぶんほとんどノーだ。
でも、ひとは自分の目で見て感じて、体験しながら成長するものではないのか?
そうしてこそ、考えるようになるし、他人の痛みを感じることができるようになるし、
つらいことがあっても乗り越えていける心や知恵をもてるのではないのか?
それには膨大な無駄を経験することがとてもだいじだと私は思う。
それがどれだけ人生に彩りを添えるか、お上の方々には特に伝えたいが、そんなことは難しい世の中でもあるようで。。

ミシンをもらってしまった

2019-03-25 08:20:00 | いろいろ
長年お借りしているアレイアスタジオのオーナーさんは、ドラえもんみたいな方。
ついつい「◯×が欲しい」なんて呟くと、気づいたらそれが用意されていたり。
一番すごい例は、この教室のスタジオ自体。
自分のオーディオの趣味や、家内の陶芸の趣味の部屋を作ろうと思っていた」
事実ではあっただろうが、私に気を遣わせないように優しい言い訳をして、
実際ご自身たちは一度もお使いにならないまま。
以前借りていたところを追い出される形で、途方にくれていた頃。
あるとき呼ばれて行ってみると教室仕様に改装されていた屋上スペースだった。
キーボードが新しくなったり、PAやギターアンプ、コピー機、椅子、テーブル、、
感謝の言葉は尽くせない。

そんな中先日、『雑巾を手縫いしています。』なんて雑談を交わしたら、、
「ミシン、使う?もう使わないからよかったら」
えー!!もうオーナーさんたら。なんてこと。(涙)
卓上だが、なかなか重量あるミシンをがらがらキャリーに載せて帰ってきた。
長年ミシンがなくて、随分前の作品だが、こういうのも手縫いで仕上げた。
あー、嬉しい。何作ろう!!


キヨシローさんの曲にダーリンミシンってのがありますね。
https://youtu.be/SByeMOxBp-E
ミシンを踏む姿はラブアンドピースな気持ち。

子供が小さかった頃

2019-03-24 10:01:00 | 暮らし
教室が23年目を越えると、生徒さんの人生も進み、夫になり妻になり、父になり母になる。
残念ながら自分の人生に、我が子という縁には恵まれなかったが、それを埋めて余りあるほど、我が生徒さんたちは私に孝行してくれる。
可愛いたくさんの孫みたいな子供たちの存在だ。
アレイアのレッスンスタジオは屋上物件で、ちょっとしたスペースがある。
小さい子供なら走り回れるし、天気の良い日はパラソルのあるカフェテーブルで空を見上げて寛げる。
園芸好きのオーナーさんが、木々、薔薇🌹をはじめ季節折々の花を育てていらっしゃる。
私も時々草むしりや水撒きに、少しだけ貢献する。

人生は長くしかし短い。
子供たちが無邪気でまっすぐに成長していくかけがえない日々は、せいぜい小学校にあがる前までと言っても過言ではないだろう。
しかし後年、その記憶は子供たちにはないかもしれない。
あるのは育ててきた親にとっての思い出と、無形にその子に備わった何かと少しの記憶..

二度と戻らぬそのとき。
とはいえ親もひとりの人間で、自身の人生の時間もある。
もし何か好きなことがあれば、それがもしかなうことならば、
すっかりやめてしまわずに、よかったら続けてほしい。少しずつでいいから。
スタジオのオーナーさんに与えていただいている環境と、個人教室の自由さという偶然もあり、
親になれなかった自分だが、そんな世代の少しでも役に立てれば!と思っている。

ああ、あんなことをしてもらったな。
そう気づく時、もう親はこの世にはいなかったりするくらい、
子供は勝手なものかもしれない。
でも気づきます、たぶんいつか!!
私もそうです。
このトシになって、おとーさんにやってもらったことを思い出します。
そんなときは、天国のおとーさんにありがとうを言います。
今日はとても良い天気。ママと小学生のチビっ子がやってきます。

内田裕也さん 浅草の思い出

2019-03-22 20:51:00 | 音楽
25th NEW YEAR ROCK FESTIVAL 1997-1998
追悼勝新太郎 狂気乱舞。
東京
浅草ロックンロック
ジョー山中

安岡力也
シーナ&ロケッツ

桑名正博
新井英一

白竜
李世福コネクション

PANTA
氏神一番

カブキロックス
NEWS
GOLGO BUTCH
RISINGSUN

MELLODY JUNCTION
石橋勲 BAND

Before Christ Butterfly
SHAMAN

赤と黒
GENE RATION WOLF

WILD THING
ムラマサ

Orange County
SISTER KAYA & RUNNING NUTS

内田裕也&トルーマン・カポーティ・ロックンロールバンド

26th NEW YEAR ROCK FESTIVAL 1998-1999
FU-RA-CHI-MO-NO@不埒者.人は人だ。愛は愛だ。生は生だ。
ロックはロックだ。That's All。
東京
浅草ロックンロック
ジョー山中 & F.E.N.

安岡力也
シーナ&ロケッツ

新井英一
白竜

李世福コネクション
COOLS

カブキロックス
NEWS

RISING SUN
MELLODYJUNCTION

石橋勲 BAND
Before Christ Butterfly

SHAMAN
赤と黒

ムラマサ
SISTER KAYA & RUNNING NUTS

the ORANGE
JSLASH

KAWASAKI B.B
クレージーKEN BAND

ドクロ団
MAMMY

発作モンキーズ
SPIRAL HOT JAM

内田裕也&トルーマン・カポーティ・ロックンロールバンド

この2回、某バンドのメンバーとして出演した。
順次録りがあってどんどん楽屋を空けていくから、皆さんとお会いできるわけではないが、
こうしてみるとまさにロック、男くさい現場だった。
皆すごくいい感じで、裕也さんも元気。
番頭さん役を力也さんがやっていて、気をつかってもらった。
ジョーさんとも何だったか話したし、一番の思い出は同じ楽屋だったクレイジーケンバンドの皆さんとあれこれ話したこと。まだブレイク前だったように記憶している。
下積みが長くて、、みたいなことを笑って話していたけど、直後にドカンと来た!!
裕也さんからは、短い訓示?的朝礼みたいな、結団式みたいな一瞬があったっけ。
夜中に本木雅弘さんが、風呂敷包みを抱えて陣中見舞いにやってきた。
気をつかってというより、良い家族なのだなと感心した。
だいたい、あんな大規模なイベントを先陣切ってやるなんて、それだけでもどうかしている。
面倒、苦労、目に見えているではないか!
先陣切るしかできない自分にはよくわかるつもり。生意気だけど。
結果あれだけの歴史を重ねてきたのだから、大拍手しかない。
私にとっての裕也さんはこの思い出だけだか、希林さんが愛し抜いた存在だということにひどく納得する。
普通ではなかったし、型破り、破天荒。
常識では考えられない面がたくさんあっただろう。
ふたりのことはふたりにしかわからない。
裕也さんが普通でなかった分、きっと希林さんも人並み外れてスタンダードではなかったかもしれない。
愛情にダメとか、良い悪いとか、ほんとに語れない。
長い闘病生活だったとはいえ、裕也さんはとっとと希林さんのそばに行ってしまった。
なんて素直で純粋で、良い方(やつ、と読ませたい)なのだろう。
さすが希林さん。
天国でも型破りにいつまでも仲良く幸せに。

この当時の録画、観たいな。若かりし自分。(^^)

イチローさんありがとう。

2019-03-21 21:51:00 | スポーツ
試合終了後、記者会見だそうだ。
『内容については本人のみぞ知る』とのことだが、8回の降板の際には東京ドーム中が「ありがとう、お疲れ様」の大声援が。
そして、シアトルマリナーズのチームメートひとりひとりとハグして去っていった。
どうやら今日でお別れらしい。
先発の菊池雄星君もチームメートも泣いていた。私も。

18歳から45歳まで、野球選手としては長い選手生活だったし、その間には数々の記録を作り、アメリカで真に尊敬される人物であることは間違いない。
国民栄誉賞も辞退したが、そういうところも大好き。
「まだ途中ですから」って。
そうよね、私などが賛同するのは失礼だが、まだ途中だった。
一番印象的だったのはWBCの2006年そしてなんといっても2009年。
https://no-05.com/wbc-2009/

メジャーのシーズン直前というのに、イチローさんは出場した。
しかもどうやらこの人は、個人のタイトルよりも記録よりも、
チームで勝つこと、皆でちからをあわせて勝つこと。
そのために野球をやっていて、生きているらしかった。
ずっと絶不調だった最後の最後に打った2009年のヒット、
優勝した後の子供のような無邪気な顔が忘れられない。
自分も仕事をキャンセルして、全試合を観ていた。
だってこんなこと一生に何回あるか。二度とないかもしれないのだ。

日々淡々と変わらず精進していく日常。
究極を言うと毎日が同じ。
レベルは違いすぎるが、自分もそうありたいといつも思う。
毎日が同じ。日々淡々と。
自分にとっては音楽と共にある日々の暮らしだが、他に何かやりたいことは究極いうとない。
楽しいかどうかと言われると、楽しいという形容詞ではないかもしれない。
でも充分すぎる。
だからこそイチローさんが大好きだった。

物事にはいつか終わりが来る。
寂しいけれど、イチローさんありがとう。