又四郎夢日記

ニコマス紹介や、雑学、雑記など。

岡山の聖者坪田利吉

2013-12-14 17:26:16 | 岡山
坪田利吉は広島県の生まれですが、岡山で社会貢献した人です。
利吉は子供の頃に義父によって座敷牢に閉じ込められて強制労働させられていました。ある日、脱走に成功するのですが、行くあてもなく尾道の海岸をさまよっていると、親切な人が遍路として聖地巡礼の旅を勧めてくれたので、巡礼の旅に出発します。この時、利吉は十三歳でした。

遍路といえば、四国のお遍路さんが有名ですが、昔は他の地方でもさかんだったようです。利吉は関東、九州、四国と旅をして、千が寺詣りを終えて岡山に着いた時には、二十一歳になっていました。巡礼の旅を終えた利吉はこう考えました。「孤独な自分が一人前になれたのは人様のおかげ。これからの生涯は人の為にささげよう」。それから利吉は万納屋と名乗って行商を始めます。利吉は毎日の売上を、商品の仕入れ用、家計用、社会奉仕用の三つに分けて積み立てていきました。

利吉が行った社会奉仕活動は色々あったようですが、代表的な物としては、小学校に傘を寄付したという話があります。傘立てもこしらえて数千本の傘を寄付したそうですが、大人が平気な顔でその傘を使っているのを見てやめました。無料宿泊所も造りましたが、盗人が利用したり、博打宿にされたりして止めました。石の橋を架けたところ、人々に喜ばれたので、何本も橋を架けていきました。公園や散歩道に石のベンチもつくりました。

その中で恐らく最も大きな物は、鉄骨の警鐘台(火の見櫓)です。しかし数本立てたところで資金が不足しました。そこで野崎鉄工所へ相談にいったそうです。すると、「立ててあげましょう。何年かかろうとチビチビ払いなさい。もし払えずに死んでしまったら香典としてあなたに差し上げる。」との返事。利吉は毎日午後六時に仕事を終えていたそうですが、それ以来、午後九時まで働くようになったそうです。

この火の見櫓や橋は、一部が現存しています。写真は岡山の橋などで観られます。

残念な事に利吉が活躍した岡山でさえ、坪田利吉の名はほとんど忘れられています。せめて出身地広島と岡山の人くらいは、知っておいた方がいいんじゃないでしょうか。