又四郎夢日記

ニコマス紹介や、雑学、雑記など。

伝説の武器、防具11~源氏重代薄金鎧~

2015-01-15 15:59:56 | 伝説の武器、防具
久しぶりのこのコーナーですが、今回紹介するのは源氏重代(じゅうだい、ちょうだい)薄金鎧(うすがねのよろい)です。薄金は源氏重代である八領の鎧の一つです。重代は先祖伝来の家宝という意味で、八領は源氏の嫡流が受け継ぐ物です。武士というものは戦闘方式が変わって使えなくならない限り、先祖伝来の武具を使う事が重要視されていたようです。使えなくなってからも家宝として大切にしたんですね。

しかしこの薄金、平治の乱で失われたと言われています。ところが薄金鎧とされる物が現存しています。どうやら源氏嫡流の八領の一つとしての薄金と、その他の薄金があるようです。その他の薄金は薄金型の鎧、又は鉄混(かなま)ぜの鎧だという説があります。平安後期の鎧は革と鉄を重ねて作られていたので、革だけの鎧と区別して薄金と言ったのでは?という意見があるんですね。

伝説の武器、防具10~まろほし~

2014-10-19 16:17:35 | 伝説の武器、防具
まろほしとは十字十手とでもいう武器で一角流という古流武術(古武道)の一派の武器です。折りたたみ式の武器で、開くと十文字槍の穂先のような形状をしています。

まろほし


大きさは25cm程です。一角流の他にもこの武器を使う流派がいくつかあり、そのような流派の伝書には片手に剣、もう片方の手に十字十手を持った十手二刀とでも言う特殊な図が描かれていたりします。宮本武蔵の養父の流儀である当理流(とうりりゅう)の中の十手術の正体はこの十字十手という説があるので、その説が正しいとすると武蔵もこの武器を使っていた事になります。またこの武器は棒の先に取り付けると、簡易型の槍としても使えるとされています。

伝説の武器、防具9~石切、石割、岩通~

2014-05-26 18:04:07 | 伝説の武器、防具
石切(いしきり)は源氏重代(ちょうだい、じゅうだい)の刀です。重代というのは、その家の家宝という意味ですね。

石切は悪源太(あくげんた)との名を持つ源義平(みなもとのよしひら)が所有していたと言われています。悪源太と言うと悪人のようですが、昔の悪は必ずしも悪い意味ではありません。人名における悪という字には、強いという意味があったようです。義平はこの石切で戦ったとされていますが、義平以後は消息不明のようです。

石割(いしわり)は薙刀を改造した刀で、道長四天王の一人である藤原保昌(ふじわらのやすまさ)が所持していたと伝わっています。ややこしい事にこの石割の別名もまた石切と言います。現存するのかどうか不明です。

岩通(いわとおし)は源義経(みなもとのよしつね)の家臣である、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)の刀です。弁慶は実在していた人物ではありますが、伝わっているのは伝説ばかりで、本当の事はよく分からない人です。岩通も実在していた刀かどうかは不明です。

伝説では、岩通の長さは約126cmとなっています。日本刀の長さは全長ではなく刃渡りで表す事が多いので、おそらく全長は150~160cmほどではないかと考えられます。

伝説の武器、防具8~草薙剣~

2014-05-03 17:18:34 | 伝説の武器、防具
草薙剣(くさなぎのつるぎ)は日本神話三名剣の一つであり、天皇家に伝わる三種の神器の一つでもあります。別名を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも村雲剣(むらくものつるぎ)とも言いますが、古事記では草薙大刀であり、日本書紀では草薙剣、天叢雲剣の両方の名が記されています。また、日本書紀には惧娑那伎能都留伎(クサナギノツルギ)とも書いてあるようです。

記紀神話(古事記と日本書紀の神話)では、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した時に、オロチの尾の中から出てきたとされています。叢雲の由来は、オロチの上には常に雲気があるので叢雲と言うそうです。オロチ退治のお話を知らない方はアイマスで日本神話やってみた 第7話「ヤマタノオロチ」をご覧下さい。

草薙の由来は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が火攻めにあった時に、この剣で草をなぎ払って危機を脱したので、日本武尊が改名して草薙と名づけたんだとか。最も、古事記では最初から草薙になっていますが。

草薙剣は誰も見てはいけない事になっていますが、江戸時代に見たという記録があるようです。それによると色は全体的に白であり、柄に近い部分は魚の背骨のような節があったとか。しかも見た人達は流罪になったり、病気で死んだりしたという曰くつきです。

この時に見られた草薙剣は熱田神宮の物であり、これとは別に皇室にも草薙がありますが、こちらも見てはいけない事になっているので、現代人で見た人はいないようです。草薙剣は何度か盗まれたり、壇ノ浦の合戦で海中に没したと言いますが、その度に神意によって復活した事になっています。

伝説の武器、防具7~小豆長光~

2014-04-02 17:17:04 | 伝説の武器、防具
小豆長光(あずきながみつ)は上杉謙信(うえすぎけんしん)が所有していた刀となります。

特殊な物を除くと日本刀は刀鍛冶の名で呼ばれます。長光も刀の名であると同時に刀鍛冶の名です。刀鍛冶にも流派があって、長光は備前伝(びぜんでん)に属します。備前伝の中でも最も栄えた長船派(おさふねは)の正系(せいけい)ですね。長船は正系ではない刀鍛冶も大勢いたりします。

伝説によると小豆長光は、袋からこぼれた小豆が鞘(さや)の割れた刀に当たると真っ二つになったので、これを見た上杉謙信が譲り受けたとされています。川中島の合戦で武田信玄に斬りつけたのはこの刀だという事になっていますが本当のところはよく分かりません。

東北の方言で額をなずき、古語で脳をなずきと呼ぶので、脳天割りの刀だという説もあるようです。小豆長光は別名をあずきかけ、赤小豆粥(あかあずきがゆ)、とも言いいます。なずきかけが小豆となり、小豆が赤小豆粥に変化したとも言いますが真相は不明です。

この刀は江戸時代までは残っていたようですが、現在は行方不明です。