群飲佚遊ヲ制スベキ事

飲んで遊んで放蕩を尽くせば末は長者か無頼の徒か・・!

教授2

2013-10-02 06:49:15 | 海外
教授との出会い後、ある日教授は、80歳になる友人と訪ねてきました。「いやあ、日本人の友達が出来たので、日本語を話せる人を連れてきました。」と。教授よりも若く見える。少し小柄で、にこにこ顔、満面に笑みを浮かべ、「こんにちは」と挨拶をしてくれた。

その後あれこれと話が進む。「実は、私は昔、日本の国民学校へ行っていました。」驚いた。戦前の日本軍支配下の「東北」地方の小学校に通っていた。教科書の中身や学校名、担任の先生の名前などをゆっくり日本語で話してくれた。2011年の冬でした。感動してお話しを聞いていたのだが、知らない土地名前などあらかた忘れてしまった。

それから後は、身体も不自由そうだったのでいらっしゃらなかった。たった一度だけだが、深く印象に残った。次回にあれこれ聞けばと思っていた。それがいけなかった。名前も昔の地名もすっかり忘れてしまった。

日本語を話す人が上海に多い。日本語で話しかけられると、つい、気を許してしまう。同じ仲間意識になって、相手の立場や考え方を尊重する気持ちが薄らぐ。これは同じだろうと意見の同意を求めたくなる。

一ヶ月前、久しぶりに教授と公園で出会った。日本語を話したお友達の消息を尋ねると、「Old chinese hate japanese.dislike Japan.」とかえってきた。はっとした、十代で戦争に遭遇した人たちは、たとえ日本語が話せても、気持ちは憎しみでいっぱいだろう。