雨季のプール 静けさを映す水面の記憶
バリの雨季、朝のプールはしんと静まっている。
ヤシの葉がしなるたびに、雫がはらりと落ちる。
ジャグジーの縁には水がたまり、冷たい雨に打たれて波紋が重なる。誰もいないデッキチェア。泳ぐ者も、笑う声も、今はない。
けれど私はこの光景が好きだ。
なぜならここに、かつての自分たちの姿が、淡く浮かんでくるからだ。
あの頃、私はよくこの水の中で語り合った。
朝の光を受けて泳ぎ、昼はぷかぷかと漂い、夕方にはジャグジーで背中を丸めながら、たわいない話をした。
ときには黙って、水の中を歩くだけの日もあった。言葉がいらない日もあるのだ。
雨が降ると、すべてが沈黙する。
プールも庭も人の気配を失うが、私はその静けさに包まれるのが好きだった。
葉音と水音が交錯し、水面には空と雨と時間がすべて映り込む。
晴れた日の喧騒や観光の楽しさではなく、雨の日だけが引き出してくれる思い出がある。
静かな水面に過去が反射するように、忘れていた会話や視線が、ふいに蘇る。
この寒々しいプールが、なぜだか懐かしい。
それはきっと、雨が降っていたからこそ、心がやわらかく開かれた瞬間があったのだろう。
泳いだことよりも、歩いたことよりも、ただ黙って雨の中にいたことのほうが、こんなにも記憶に残っている。
雨季の朝。
静かな水面に映るのは、風景ではなく、心の底に沈んだひとときそのものだ。