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まさおレポート

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カラオケの歌える老人ホーム 第9話 バリで出会ったベトナム帰還兵

2025-04-01 | 小説 音楽

老人ホーム「灯」に白い帽子を深くかぶった男がふらりと入ってきた。俺は思わず息を呑んだ。まさか、あのバリで出会ったベトナム帰還兵ではないか。

もう25年以上も前になる。バリの小さな安宿で数日を過ごしたときのことだ。宿のテラスでぼんやりリンゴをかじっていると、少し離れた部屋の米国人と目が合った。言葉を交わすうちに、一人旅の寂しさもあってすぐに打ち解け、毎晩のように宿のレストランの片隅で夕飯をともにした。

彼は俺と同じ年齢で、ベトナム戦争の帰還兵だと打ち明けた。奨学金を得て大学を卒業し、東海岸の街でエンジニアとして静かに暮らしていた。やがて年金が出るので早々に引退すると話していた。四十代後半で引退など羨ましい限りだが、それだけの代償を彼は払ってきたということだろう。物静かな男で、ベトナムでの経験のためか常にどこかペシミスティックな影を引きずっていた。筋肉質な体格を維持していたが、食事はいつも控えめで、白米と薄いスープだけで十分だと言っていた。

ある朝、彼が宿の玄関で自転車に荷物をくくりつけていた。これからどこへ行くのか尋ねると、彼は静かに「ベトナムへ行くんだ」とだけ答えた。美しい国だと彼は語った。自転車でゆっくりと、かつて戦った土地を回るのだと。言葉に出さなくても、彼の抱える過去がどれだけ重いものかは想像に難くなかった。俺はただ静かに頷くだけだった。

その男が、今、「灯」にいる。何を想い日本までやって来たのか。どうやら、俺がここにいることをどこかで耳にしたらしい。ふと男は帽子を脱ぎ、穏やかに俺のほうへ歩み寄ってきた。

「歌わせてくれないか。ボブ・ディランの『風に吹かれて』を」

それが彼の再会の挨拶だった。俺は静かに微笑んでマイクを手渡した。二十年ぶりに聴く彼の歌声は、昔よりもいくらか深く、哀しく、しかしどこか解き放たれたように澄んでいた。

どれだけの道を歩けば

人は一人前になれるのか

どれだけの海を渡れば

白い鳩は砂浜で安らげるのか

どれほどの砲弾が飛び交えば

永遠に禁止されるのか

友よ、答えは風に吹かれている

答えは風に吹かれている

“How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, and how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the

 


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