まさおレポート

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「バリ島物語」バガバッド・ギータ 精霊に終わりなし。永遠にして不死なり

2009-11-04 | バリ島 文化・風習・葬祭・ヒンドゥ・寺院・宮殿

この物語の中にバガバッド・ギータの詩句が2カ所使われている。書の冒頭、目次の前には

「生誕の終末は死なり。
死の終末は生誕なり。
法はかくの如し」
 
プロローグが終わり、第一章が始まるところで、

「心賢き者は生ける者のために悲しまず、
はたまた死せる者のためにも悲しむことなし。
すべて生くるものは永遠に生く。
消えゆくものはただ外殻のみ、
ただ滅ぶべきもののみなり。
精霊に終わりなし。永遠にして不死なり」

・・・バガバッド・ギータより

とあり、いずれも輪廻する永遠の生命をうたう。バガバッド・ギータは叙事詩マハーバーラタの一部で、ヴェーダと並ぶ重要なヒンドゥ教の聖典だそうだが、仏教の生命観と同じであることをこの詩で実感した。もちろん知識としては知っていたのだが、知ると識るの違いか。

 

  1. バガヴァッド・ギーターは700篇の韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典のひとつである。ヒンドゥーの叙事詩マハーバーラタにその一部として収められており、単純にギーターと省略されることもある。ギーターとはサンスクリットで詩を意味し、バガヴァン、すなわち「神の詩」と訳すことができる。 wiki


この詩句と中身のストーリがどうむすびついているのか。バリ人がごく当たり前のように転生を信じており、日常生活でもかなり死と近い生活を送っていたことが記されてる。時は現代ではなく、100年近い過去の話だが、100年くらいの差など問題ではないだろう、要はバリ人の心の深いところにあるものを理解できればよいのだ。

バリの諸王(タバナンやバドウン,クルンクンなど)が崩御すると、多くの妻達は火葬の日のなかに身を投じる習慣がオランダ植民地になり前まで続いていた。これはインドと同じ。オランダ人がこの習慣を禁止したとある。

バリの聖職者は仏教の僧のように寺で長年修行するのではなく、父から、古文書の読み方、儀式にふさわしい日の選び方、マントラの呪文、手印の結びかたを習う。マントラや手印など密教を彷彿とさせる。

椰子の木を伐るときには、「殺すのではない。家に柱がいるためだ」と言って聞かせる。「許せ、尊き椰子よ、私の斧であなたの幹を伐るのを許してくれるように」日本のかつての木こりもこんな風なのだろうか。日本の神道も樹に神が宿るとし、樹を伐ると祟りがあることを恐れる。共通したものがあるのだろう。

バリで滞在したビラの庭に大木があったがその家の祖母が亡くなると木が枯れた。その木を伐ってマジャパイト将軍の像を作り安置していたが、これなども木に対する信仰の表れの明らかな例だ。

家を新築して、皆が集まってくるときには「この新しい家を惨めな汚い小屋だといったが、いうまでも無くこれは良き礼儀の命ずるところに従ったのである。」とある。過度な謙遜は日本だけかと思ったがそうではない。バリにもあった。さらに嫉妬を恐れる心根だろう。家を新築したら他人に嫉妬されブラックマジックをかけられるという話をバリ人からしばしば聞いた。(知人のバグースから故郷のシンガラジャでのエピソードを聞き、他の一人は小柄な初老のガードマンだった)

バリ人の労働観が興味ぶかい。「神々は人が死ぬまで働くようにお作りになったのではなく、生活を楽しみ、祭りの日を守り、充分に休息をとるようにお作りになったのだ」

火葬のあとで老人がつぶやく。「おまえの母はよい妻だった。」海を見渡す彼の目の前を、消え去った年月が通り過ぎるかのように彼はいった。「あれは良い妻だった、今は魂が自由になって喜んでいるだろう。やがて新しい子供として生まれ変わって、我々と一緒に暮らすようになるだろう。」ヒンドゥの死生観が表白されている。

オランダの地方官にバリ人の性格を説明する。「クリス踊りを見物することは、代表殿にとっても意味が無いわけではないと思います。我々はいつもバリ人について判断を誤る危険があるのです。彼らは礼儀正しく、大変穏和で、大変よく服従し、子供っぽい向こう見ずな陽気さを持っています。それが一瞬にして残忍性と異常とに転じ得るという事が、バロン(ダンス)をみるとよくわかるのです。

クリス踊りでバリ人がもつ複数のキャラクタの隠された一面が踊りでる。踊りのもつ不思議な一面で舞や能楽にも相通じる。刀を持ったり仮面、マスクをかぶると一層その一面が色濃くでてくる。子供のころに祭で、近所の若者が天狗の面を被って変身するのを遠い風景として記憶しているが、その変わりように驚いたものだ。誰でも多重人格性を持っているということか。

それにしてもヒンドゥと仏教の近似性はどうだろう。多様な仏教諸派の違いよりもヒンドゥと仏教は近い。インド教の一宗派といっても差し支えないだろうと思うくらいだ。

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