
80年代初頭、この頃は週末になると六本木のムゲンやマハラジャでよく遊んだ。そこで知り合ったケンちゃんは今どうしているのだろう。そんなことを考えているとある夜老人ホーム「灯」にケンちゃんが招き寄せられるようにやってきた。
けんちゃんの最後のダンシング
カラオケ室のドアが開いたとき、
最初に聞こえたのは、ギシギシというリズムのない足音だった。
サングラスに赤いチェックのシャツ。
ジーパンはくたびれ、スニーカーは左右で色が違う。
でも、その男は一歩ごとにこう言っていた。
「おい、ここ、 歌っても怒られねぇ場所 なんだろ」
彼の名はイワセ・ケンジ(通称けんちゃん)。
アメリカ帰りの自称ロッカー。
ロスでヒッピー風に暮らしていたらしい。
「言っとくけど、俺が“ダンシングオールナイト”最初に歌ったのは83年のL.A.だぞ。
誰も知らなかったから、“オレの曲か?”って勘違いしてたくらいだ。」
誰も信じてない。
でも誰も否定しない。
けんちゃんは、ここに来た理由をこう言った。
「気づいたら、昼のプログラムが夜の孤独に勝てなくなった。それだけよ」
プログラマーとしての仕事は優秀だった。その後セキュリティ会社の顧問だったとか、
ソフトウェア作成の会社を経営して倒産したとか噂は色々ある。
でも、本人はすぐ話を逸らす。
「それよりさ 今日は歌っていいか?」そして流れるイントロ。
『ダンシング・オールナイト』
最初のフレーズをかすれた声で出した瞬間、
カラオケ室にいた全員が「あ、これは本気のやつだ」と気づいた。
若い頃の艶はない。
けど、時間がまとわりついた声には、
その分の深さがあった。
ひと夜のきらめきに 揺れる
その“夜”が、
どの夜だったのか、誰も聞かないが知る人はこの中にいる。
でもそのとき、
元シャンソン歌手のレミが、部屋の隅でふっと口元をゆるめた。たぶん、彼女は知っていた。この歌の中に、自分がいる夜があることを。
マイクを往年のように振り回すこともなく歌い終わったあと、けんちゃんは一言。
「 このマイク、軽いな。昔はもっと重く感じた。でも今は、抱えてるものが減ったのかもな。」
ミナミが聞いた。
「それ、いいことですか?」
けんちゃんは笑った。
「知らねえよ。けど、今はマイク持って踊らなくしている。それが一番腰に楽かもしんねぇじゃん。」
その日から、けんちゃんは週に一度だけ、必ず“あの曲”を歌う。
誰かが合わせて手拍子を打つ。
レミは決まって途中で目を閉じる。
そして、けんちゃんは歌い終わるたびにこう言う。「今夜も、終電で帰るつもりはない。
ここは“最後のライブハウス”だからな」
男が、最後に静かに踊る場所。
それが、この老人ホーム「灯」だった。