スティーヴン・ホーキングが2018年3月14日に亡くなった。偉大な天才の死生観はいったいどのようなものか興味がある。壊れたコンピュータはそこで終わりで、あの世の世界はないと言ったと伝えられるが、さて亡くなった今、いわゆる中有にいるのか、あるいは完全な無と化したのかこの世の誰もリアルな言葉を持って語ることは出来ない。
ドストエフスキーは「恐ろしい自然現象に対する恐怖の念」と表現しながらあの世の世界はあるとゾシマに言わせている。
スティーヴン・ホーキングは一見すると宗教そのものを否定しているようで、2010年の『ホーキング、宇宙と人間を語る』では、「宇宙創造の理論において、もはや神の居場所はない」と述べていて物理学における一連の進展により、もはや神の居場所はないと確信するに至ったというが、これはキリスト教的天国やあの世の世界を否定していると思えないこともない、あるいはやはり完全否定しているのかもしれない。
一方で博士は宇宙人の襲来を真剣に心配している、宇宙人を信じる人は割合死後の世界も信じる人が多いように思うのでこれは意外だったが、宇宙人は物理学で納得のできる範囲にあるのだろう。
イギリス紙『ガーディアン』に掲載されたスティーブン・ホーキング博士のインタビューから博士の死生観を眺めてみよう。
ホーキング博士は紙面で、「人間の脳は機械のコンピュータと同じで、壊れたらその機能を失う」や「壊れたコンピュータはそこで終わりで、あの世の世界はない。あの世の存在は、死を恐れる人たちのファンタジーでしかない」という内容の発言をした。
『ホーキング、宇宙を語る(A Brief History of Time)』(1988)では「神というアイデアは、宇宙に対する科学理解と必ずしも相いれないものではない」と記していたが、その後四半世紀で宗教に対する態度は著しく厳しいものになった。
脳はコンピューターのようなもの。部品が壊れれば動作しなくなる。壊れたコンピューターには天国も来世もない。天国は、暗闇を恐れる人間のための架空の世界だよ。
ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟では「暗闇を恐れる人間」が「恐ろしい自然現象に対する恐怖の念」と表現は多少変わっているものの文意は真逆の意見を、つまり来世の存在を述べている。
②なかには、すべては初め、恐ろしい自然現象に対する恐怖の念から生まれたもので、来世も何もないって主張する人もいます。(カラマーゾフの兄弟 ドストエフスキー 亀山訳) ドストエフスキー自身はあると考えていたのだろう。
しかしながら、
神は存在するかもしれません。とはいえ、創造主ぬきでも、科学で宇宙を説明することができます。
わたしはこの49年間、死と隣り合わせに生きてきた。死を恐れてはいないが、死に急いでもいない。やりたいことがまだたくさんあるからね。
この回答からはすんなりと無宗教とはいえないものを感じ取れる、いわば仏教的とでも言うべき死生観がにじみでていないだろうか、はなかなか一筋縄ではいかない。
ホーキング博士はブラックホールと宇宙の誕生時に虚時間を導入するぐらいだから、死後の探求でも虚空間と虚時間を導入してくれれば仏教の空間思想にアナロジーあるいはメタファとして近づき、それを期待したのだがそちらには関心が無かったようだ。
あるいはこんな風に考えてみたい、博士はインタビューで、自分の考えは21歳の時に発症した運動ニューロン疾患との闘いにも影響されていると語っているので、 こんな不自由な生活が死後も続くなんてまっぴらごめんだ、こんな生活は今回限りにして後は無の世界になってほしい、つまり「天国は、暗闇を恐れる人間のための架空の世界だよ」と反対の意味で願望なのかも知れないと。病気で苦しんだので不条理を与える神は認めたくないとも考えられる、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」のイワンを彷彿とさせる。
あるいはこのような心境かもしれない、死んだ後まで又再び輪廻するなって考えるだけで気が滅入る、ALSで生きることは決して容易なことではないけれど、それは大統一理論を目指すという生きがいで奮い立たせている、だからそれはそれで帳尻があっているけどしかし死んだあとくらいは、静かにそっと寝かせておいてほしい。
スティーヴン・ホーキングのUFO観も大変面白い。
石原慎太郎氏がイギリス人宇宙科学者ホーキンス氏から聞いたという話はUFOが存在するか否かの二元論的議論に第三の選択肢を提供するものとして大変おもしろい。石原氏が議員時代に議会でホーキンスが講演してある議員が地球以外の知的生物の存在について質問したところたちどころに百万程度ありと答えたという。ではUFOの来襲あるいは来訪はありえるかとの問いに対しては「地球程度の文明は100年で必ず滅びるので来訪も来襲も可能性はゼロだ」との回答があったそうだ。その場の様子・雰囲気が容易に想像できる。その発言の直後に通訳が流れるとどっと笑いが起きたに違いない。しかし一拍おいて恐怖が各議員を襲ったのではないか。
しかしその後に考え方を変えたようだ。UFOの来襲あるいは来訪はありえると考えているようだ。
宇宙人がやってきたら、コロンブスのアメリカ大陸到着と同じことが起こるでしょう。あれは、ネイティブ・アメリカンにとって好ましいことではなかった。知的生命体が私たちが会いたくない何かになるかもしれないことは、私たち自身を見ればわかることです。
その他大変興味深い言葉を残しているのでメモをしておく。
ブラックホールに飛び込むと、あなたの質量エネルギーは宇宙に返されます。あなたがどんな人間だったかという情報を含んだ、めちゃくちゃな形態で。しかし、それは容易に認識できる状態ではありません。百科事典を燃やすようなものだと考えるといいでしょう。煙と灰を取っておけば情報は失われませんが、読むことは困難です。
私たちがひも理論を理解したとき、宇宙の始まりを知ることができるでしょう。私たちの人生に大きな影響を与えることではありませんが、私たちがどこから来て、今後の探索で何を見つけられるのかを理解するうえで非常に重要な理論です。
1日中何を考えているか
女性のことです。女性は完全なる謎ですね。
新発見の瞬間について
セックスと比較するわけではありませんが、長く持ちますね。
3人の子どもたちへのアドバイス
1つ、足元を見下ろすのではなく、いつでも星を見上げること。
2つ、仕事をあきらめないこと。仕事は意義と目的を与えてくれるものであり、それがないと人生は空っぽになってしまうから。
3つ、幸運にも愛を見つけることができたなら、逃してしまわないよう、その存在を忘れずいること。
行き詰っても、逆上するのはよくない。そんなとき私は、頭でその問題について考えながら、別の作業をします。ときには、前に進む道を見つけるのに数年かかることも。情報損失とブラックホールのときは、29年かかりました。
博士のご冥福を。
以下参考メモ
徐々に全身の筋肉が衰える難病に侵され、体の自由や言葉を失いながらも宇宙創成の謎に挑み続けた「車いすの天才物理学者」、スティーブン・ホーキング博士(76)が死去した。先進的な理論で学界に衝撃を与えた一方、著書や講演で一般の人にも宇宙の謎を魅力的に語りかけ、気さくな人柄も相まってファンが多かった。
大学院在学中に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、車いす生活になったホーキング博士は1985年に気管切開手術を受け、声も出せなくなった。しかし、音声合成装置を介して会話しながら研究を続けた。
74年に発表した「ブラックホール蒸発理論」は学界に驚きを持って迎えられたが、現在では多くの科学者がこの理論を支持する。この年、史上最年少の32歳で英国王立協会会員に選ばれ、79年からはニュートン以来の伝統を誇るケンブリッジ大ルーカス記念講座の教授を務めた。
一方、ブラックホールが消失する際、「内部の情報は外に出てこず、ブラックホールを通って別の宇宙に移動する」と主張したことに対しては、30年後の2004年になって「SFファンには申し訳ないが誤りだった」と認め、話題になった。
00年に出版した著書で「人類は今後1000年以内に災害か地球温暖化のために滅亡する。唯一の助かる道は別の惑星に移住すること」などと警告。07年には急降下する航空機で無重力を体験するなど、将来の宇宙旅行にも興味を示していた。
16年には米ニューヨークで記者会見し、光速の5分の1の速さで飛ぶ小型探査機の開発計画を発表。地球から4.3光年離れた太陽系の隣の恒星系「プロキシマ・ケンタウリ」に送り込む構想を打ち出し、地球外生命探査に意欲を見せた。一方、人間の操作が不要な「自律型致死兵器システム」(LAWS)の開発禁止を他の研究者らと連名で訴えるなど人工知能技術の軍事利用に警鐘を鳴らした。
また、14年の英映画「博士と彼女のセオリー」のモデルとなったほか、米国のSFテレビシリーズ「スタートレック」のファンとしても知られ、ニュートンやアインシュタインとポーカーのテーブルを囲む本人役で出演したこともある。長女のルーシーさんと共著の児童書「宇宙への秘密の鍵」は日本でも100万部を超えるベストセラーになった。
何度も来日したことがあり、93年7月には国内での講演会の合間に仙台市を私的に訪問した。この際、仙台を案内した土佐誠・仙台市天文台長によると、博士は「昔、アインシュタインが東北大を訪れたことがあると聞き、仙台に来てみたかった」と話したという。
市内のホテルで東北大の大学院生や教員ら数人でホーキング博士を囲んで夕食をとったが、緊張していた院生たちを博士が冗談で笑わせた。「後に博士の妻となった付き添いの看護師が『博士はわがままで手がかかる』と言っていたことを覚えている」と振り返る。
土佐さんは「非常に強い重力の下でミクロの世界で何が起こるかについて、先駆的な理論を立てた。宇宙の始まりやブラックホールに関する現在の議論のスタートになった」と死去を惜しんだ。
30年以上の親交があった前田恵一・早稲田大教授(相対性理論)は「昨年9月に英国で会った時は体調も良さそうで、ブラックホールの蒸発に関する新たな理論について研究仲間と熱心に議論をしていただけにびっくりした」と話し、「宇宙理論の業績もさることながら、ユーモアと周囲への気づかいがある人だった」と惜しんだ。
重力波の検出で昨年のノーベル物理学賞を受賞した米カリフォルニア工科大のキップ・ソーン名誉教授(77)とは公私を通じた友人で、あるブラックホールの存在を巡って「存在しない」に賭けて負けたホーキング氏がソーン氏に男性誌「ペントハウス」を贈ったエピソードも知られる。ソーン氏は同大の追悼文にコメントを寄せ、「宇宙に向けられた彼の洞察は、今後何十年も彼に続く物理学者にインスピレーションを与え続けるだろう」としのんだ。
また、自身も08年にALSを発症した嶋守恵之(しげゆき)・日本ALS協会理事は「ホーキング博士は『ALSは自分の研究にとって障害にはならない』と言い切り、優れた業績を残された。博士の半生をつづった映画『博士と彼女のセオリー』からはたくさんの勇気をもらった。何も諦めなかった博士を見習い、私も自分らしく充実した人生を送りたい」と話した。