どちらかと言えば、小説よりはエッセイを好む。
エッセイでも、好きな作家は当然いて、
近ごろはその人の本を古本で買って、出来れば
全部買って読んで見たいという衝動に駆られる。
主に文庫本である。
それでも、文庫と言っても最近は
7、800円することも多い。
お金が十分にあれば、真っ新な文庫本を買ってあげたい。
その方が、作家にもわずかながら印税は行くわけだし、
次の作品を書いてくださいねというエールくらいにはなろう。
しかし、今日日の私の財布は、・・・
往時の5分の1くらいに小さくなってしまい、
やむを得ず、生きていくために食料品を中心に買うという
塩梅になる、そのことが実にもう情けない。
食欲というものは、
どんなにやや食べ過ぎでも、削ることは困難なものと知る。
音楽だって、映画だって中古品を買うことになる。
ぼくの場合、衣類は中古品を買うのは、センスの良しあしでいえば
グッと、中古品の服が大好きという特殊な好みに依るのかもしれないが。
最近は、古着屋をうろちょろする、どう見ても老人がちらほら目に付き、
若い層の古着愛好家の人にとっては不人気だが、ぼくなどが大好きな
1970年代頃の古着も、結構速くなくなったりするので、ううむ、
困ったものである、等とつぶやくことになる。
当然のことだが、ぼくも老人と呼ばれる世代の者である。
ネルシャツなどは、少々破れていても、虫に食われていても、
古いものが好みである。
本当にいいモノはバカ高い値を付けることも多い。
そういうものはマニアに任せておいて、
ぼくは品質もさることながら、色柄を衣類のテイストを大事に選びたい。
( 品質重視は当然のことで、その上にテイストが求められるのだ。)
貧乏だけれど、カッコ良く生きたいのである。
古本屋さんは出来れば昔からある古本屋さんを愛好する。
書いていることがメチャクチャである。
分かっている・・・つもりです、すんません。
星の数ほどの新品を並べた、大型店が、日曜日に多くの皆さんが
買い物をするような大型店が好きでないのである。
本も、衣類も、CDも、全国チェーン店の大きな店が好きくない。
困った性格である。
ちょっぴりと同時代の空気にも折り合いをつけながら、
ぼくもこんな時代を楽しく生きていく技術を少しずつ学んで
身に付けていかなければ、真実タダの頑固な老人になりそうである。
其れも嫌なのであるよなあ。
今日入ったカフェは、置いてある砂糖が、変な味の感じがして・・・
もう二度と入るまいと思った。
これも全国に多くあるチェーン店らしいのだ。
単なるぼくには味が合わないという事だけなのだろうが。
フォト・文 石郷岡まさを