種田山頭火(たねだ さんとうか)について
【作 家】
種田山頭火(1882-1940)は、山口県に大地主の長男として生まれる。幼いころから秀才で、早稲田大学に入学するも、神経衰弱が嵩じて退学。のち、萩原井泉水門下の同人となり、「層雲」に自由律俳句を投稿するや、たちまち頭角をあらわし、文名が高まる。もっとも、その間、父が事業に失敗して破産したり、自らの経営する書店が倒産する等の問題があり、次第に酒におぼれるようにもなった。その後、雲水姿で各地を放浪しながら、句作に励むようになる。享年58歳。
【俳 句】
分け入つても分け入つても青い山
まっすぐな道でさみしい
しぐるるや死なないでいる
雪がふるふる雪見てをれば
どうしようもないわたしが歩いている
酔うてこおろぎといっしょに寝ていたよ
ついてくる犬よおまえも宿なしか
殺した虫をしみじみ見ている
月が昇つて何を待つでもなく
風の中おのれを責めつつ歩く
月のあかるさはどこを爆撃していることか
休んでゆこう虫のないているここで
こんなよい月をひとりで観て寝る
お天気がよすぎる独りぼっち
秋風、行きたい方へ行けるところまで
※ ※ ※
【随 筆】
地獄から来た男は走らない、叫ばない。黙って地上を見詰めつつ歩む
自分の道を歩む人に堕落はない。彼にとっては、天国に昇ろうとまた地獄に堕ちようとそれは何でもないことである、道中に於けるそれぞれの宿割にすぎない。
ほんとうに苦しみつつある人は、救われるとか救われないとかいうことを考えない。そういう外的な事を考えるような余裕がないのである。
苦痛は人生を具象化する
涙が涸れてしまわなければ、少くとも涙が頬を流れないようにならなければ、孤独の尊厳は解らない。
傷つけられて――傷つけられることによって生きてゆくものがある
自己の醜劣に堪え得なくなって、そして初めて自己の真実を見出し得るようになる
正しきものは苦しまざるを得ない。正しきものは、苦しめば苦しむほど正しくなる。苦痛は思想を深め生活を強くする。苦痛は生を浄化する。
生命ある作品とは必然性を有する作品である。必然性は人間性のどん底にある
道は非凡を求むるところになくして、平凡を行ずることにある。漸々修学から一超直入が生れるのである。飛躍の母胎は沈潜である
本来の愚に帰れ、そしてその愚を守れ