おやじの遊び道具。

  シケたおやじも、愛されたいのだ!

「蟹工船」を読んだのか

2008-08-18 | ショウセツ&しなりお
新潮社の「蟹工船」(420円)が売れているらしい。

先だっても尊敬する親方からも、読んだかどうかの確認をされた。
そりゃま、プロレタリアート文学の金字塔だから読んでないわけないでしょう。
国語の本にそう書いてあったので、仕方なし半分で読んだのだが。
出稼ぎ労働者を極限までに搾取し続ける、地獄のような職場「蟹工船」。
その内情と資本家に対抗すべくストライキで団結する労働者を描いた作品だ。
当然のことながら17、8歳の小僧が読んでもちーともつまらねえ。
というのが本音だった。
チンコをけつの穴に突っ込む、ホモの話かいってなところ。

で改めて思い起こしてみても(再読したわけではない)、
その描写とストーリーは面白いのだけれども(この年齢になってその背景がみえてきた)、
しかし伝えたい本意が気に入らん。

「俺たちが働かなかったら、一匹の蟹だって金持ちの懐に入っていくか」
(ここでの「俺たち」という表現もいかにも多喜二の思想だ)
「(船も)水夫と火夫がいなかったら動くか」

「蟹工船のようなクソ壷に入れられている人間でも、
実はかけがえのない存在なんだと描かれていた。
こういう、俺たちが社会の主役だという思いに共感して入党したんですよ」

シャバにて好き好んで借財をつくり、
自分の意思でその地獄に入り込んでいった人間が
個人で太刀打ちできぬからと集団となって経営側に盾をつく。
その落としどころは環境改善か、賃金の上乗せか。
仕事をボイコットすることに精一杯で、その目的が明確でない。
「嫌なら来るな、おまえの代わりはいくらでもいるんだ」
そういわれりゃ、ぐうの音もでないだろう。
確かに船上の空間からは逃避することはできぬ。
そんなことも分からぬか。

正義でも主役でもなんでもない。
自堕落な自身を生を盾することで主張する愚者だ。

現代においても経営側・労働側などとして対立する。
馬鹿げた話である。
経営は搾取する側であり、時として雇用を維持する側である。
内部で沸き起こるエネルギーは対立としてではなく、
外部に向け発散昇華そして利益として循環させるべきだ。
そうしてこそ双方の利害も一致する。
働かされている、…馬鹿を言うな。
ギリギリの喫水ではあるものの、それで食わせてもらてるんだろう。

さて現代ではワーキングプアなるキーワードを絡めて、
このストーリーに自己投影しているのか
あるいは客観視してストーリーを楽しんでいるのか。

どちらにせよ、
当時ほどの生と性に関して緊迫感がないのは確かだ。
昔も今も本来、生死の喫水ギリギリのところでやっているのだ。
集団意識は、その現実をも希薄にさせる。

平等にすべてが配分されても、そこにはストレスがないということはない。
万人が納得する環境づくりは、まずムリだ。
人間に欲と自尊心があるかぎり。
些細な鬱積がじりじり蓄積され、それがいづれ爆発するのだ。
90年代初頭にどこかの国家が、真っ赤に炎上してしまったように。

あつい。

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