今日は祖父の初盆なので、父方の実家へゆきました。神棚の前で(祖父は神道系の宗教でしたので)お参りして、しばらく滞在して帰ってきた次第です。帰りに墓に寄ろうかと思ったのですが、もう20年以上行ったこと無かったのでどこにあったのか分からなくなって迷ったあげく到着できませんでした。このように祖先不孝功な私ですが、今のところ怨まれてもいませんから大丈夫でしょう。意識は何処で祈っても届くものですからね。墓に捕らわれすぎてもいけないのでしょうけど、あるとやっぱり気になります。前に墓不要論を唱えていたのは、こういう気持ちを子孫に持ってほしくないからなのですけどね。
で、親子3人、祖父の神棚の前で祈っていると、ふっと後ろに来てくれたような感覚がありました。フォーカス27あたりからちょっと意識してくれたのでしょうかね。そういえば、朝起きてすぐに子供が変な夢の話をしてくれました。曾爺ちゃんを空から下ろしてから、自分が背負って祖父の家に連れてきて、そこでお参りしてからまた空に連れて帰った。という内容の夢を見たとか。ヘミシンクやっていると、あながちただの夢とは思えず子供だから何かを見たのかなあと思った次第です。子供も今は4歳ですが、夢の中では大人になってたそうで、子供の夢はリアルヘミシンクっぽくて面白いですね。
さて、そんな日のヘミシンク。昨夜、寝入り際に階段から何か黒い影が上がってくるイメージを感じまして、半分夢かと思いながらも「リーボール作っておかないと何か来ている。」と考えながら寝ていました。すると夜中に何度も変な夢(憶えてはいませんが)で目が覚めて、朝起きるとめちゃくちゃ体がだるいのです。咳もでて頭痛がするので風邪だろうとは思うのですが、頭がくらくらして体もだるだるでまともに動きにくい状態です。でもチャボ小屋の掃除とかしていましたが、汗がやたらと出て、体の調子の悪さ全開でした。薪を切ろうと思っていたのですが、急遽取りやめて休息することに。紫のイメージと光に包まれるイメージとピラミッドとエネルギーバーツールのイメージをして一生懸命癒そうとしたのですが、まったく効かず。フォーカス35あたりのエネルギーとか、地球のコアに接続するとかいろいろ試しても一向に効果ナシ。なんだろうなあ、ただの風邪かなあ、と思いながらトイレに入り、昨日寝る前に見た陰をイメージしたらそこに居るような気がしました(イメージです)。そこで光る紐を取り出し、その陰をぐるぐる巻きにしてフォーカス27にもって行ってくれるようヘルパーに頼んでみましたら(イメージです)、急に調子が良くなりました。まさに憑き物がおちた感じ。まだ風邪の症状はありますが、トイレに入る前と後ではまったく感じが違いました。「もしや、昨日夢だと思っていた陰は本当になにかの存在だったのでは?」と思ったりして。今は盆のじきですから、いろんなところにふらふらしているものが供養を求めて来る事もあるのでしょう。たまたま波長が合うと、来てしまうのかもしれませんね。ま、しばらく不調になっても死ぬわけではありませんからまあそれほど騒ぐことでもないのでしょうけど。お盆の時期はこういうこともあるかもしれません、と言う話ですね。
ちょっとここで、死後の世界に関する事を書いておきます。あくまでこれは私の見た事であって、これだけが正しいという訳ではありません。よのなか切り口が違うといろんな解釈がありますから。まあ参考程度に読んでおいてくださいね。
死後フォーカス27に普通連れて行かれますが、そこに入ると子孫の事や残してきた家族のことはそれほど気にならなくなると思います。なぜかというと、「人それぞれに、それぞれの学びがある。」と達観できるようになるからです。なので、子供がお金が無くて苦労して死にそうになっていても、「ま、これも学びだ。」くらいのドライな見方が出来るようになるようです。その人にはその人用のガイドがちゃんと付いていますから、わざわざ親が出て行くこともないのですね。ただ、子供が同じディスク(類魂)の仲間だった場合は死後に子供のガイドになることもあるようですが。死後に肉親に対してドライにものを見られるのは、それは全てが上手く行っていることを知っているから。物を知ることで、今目の前にある障害がそれほど気にならなくなることは現実の世界でもあることですね。昨日のレンガ積みの話でもそうですが。レンガを積むという苦行も、その先にある楽しい目標があればそれも苦労とは思わないはずですらね。
あと、自分がフォーカス27にいたタイミングで自分の子供とか親とかが捕らわれ領域に捕まっていたとしても、自分がガイドになっていない限りは気にもしないと思います。それはガイドやヘルパーの学びのために捕まっているのだから、という見方をするから。死後は現在の感情とは異なった基準で物事を見るようになる気がします。現に、フォーカスレベルに入り込んでいる時よりも、戻っていてきてからのほうが気持ちの動きが激しくなりますので。これは私の場合は、ということですけど。
親や肉親、子供に対する情というものはどうやら肉体がある状態でのみ意味のあるもののようです。肉体があるときに子供が死にそうになっていたら、どのようなことが在ろうと飛んでゆくと思います。それが普通です。「これも学びだ」とか言って放っている人は異常か、あっちの世界に入りすぎている人くらいです。今の感情は今必要なものですので、子供や親に対する気持ちをしっかりと持つことは大切なのだと思います。死後、この気持ちはどうなるのだろうか?と思うよりも、「生きている間にしか味わえない気持ちならば、この気持ちをしっかりと体感して生きてゆくぞ!」というかんじで、前向きにこの何ともいえない肉親や親しい人の間にある感情を楽しんでいかれるのが良いと思います。死んだあとは、死んだ時に考えるといいのです。ヘミシンクで見るのは、映画のダイジェスト版を見せられているようなもの。その映画全ての内容は、実は分からないのです。私の体験していることも、あの世とか精神世界のごく一部ですから。他の方法で見ている方も大勢いますので、そういう方の本も読みつつ理解を深めてゆくのがいいのかと思います。個人的に、江原啓之さん、深見東州さん、越智啓子さん、とかの本も読んでみると面白いですね。ヘミシンクとはまた違った切り口で書いてありますので。ま、受け付けない人もいると思いますから立ち読みしてから購入は考えて下さいね。
次回のピラミッド制作実験は8月16日ですので、よろしくお願いします。たぶん、これ作れという指示があっちから来ていますので大丈夫だとは思いますが。
最近、「なんだかチャネラーになりつつあるなあ。」と思う今日この頃。ヘミシンクって、はまってゆくとこうなるんでしょうかね?
で、親子3人、祖父の神棚の前で祈っていると、ふっと後ろに来てくれたような感覚がありました。フォーカス27あたりからちょっと意識してくれたのでしょうかね。そういえば、朝起きてすぐに子供が変な夢の話をしてくれました。曾爺ちゃんを空から下ろしてから、自分が背負って祖父の家に連れてきて、そこでお参りしてからまた空に連れて帰った。という内容の夢を見たとか。ヘミシンクやっていると、あながちただの夢とは思えず子供だから何かを見たのかなあと思った次第です。子供も今は4歳ですが、夢の中では大人になってたそうで、子供の夢はリアルヘミシンクっぽくて面白いですね。
さて、そんな日のヘミシンク。昨夜、寝入り際に階段から何か黒い影が上がってくるイメージを感じまして、半分夢かと思いながらも「リーボール作っておかないと何か来ている。」と考えながら寝ていました。すると夜中に何度も変な夢(憶えてはいませんが)で目が覚めて、朝起きるとめちゃくちゃ体がだるいのです。咳もでて頭痛がするので風邪だろうとは思うのですが、頭がくらくらして体もだるだるでまともに動きにくい状態です。でもチャボ小屋の掃除とかしていましたが、汗がやたらと出て、体の調子の悪さ全開でした。薪を切ろうと思っていたのですが、急遽取りやめて休息することに。紫のイメージと光に包まれるイメージとピラミッドとエネルギーバーツールのイメージをして一生懸命癒そうとしたのですが、まったく効かず。フォーカス35あたりのエネルギーとか、地球のコアに接続するとかいろいろ試しても一向に効果ナシ。なんだろうなあ、ただの風邪かなあ、と思いながらトイレに入り、昨日寝る前に見た陰をイメージしたらそこに居るような気がしました(イメージです)。そこで光る紐を取り出し、その陰をぐるぐる巻きにしてフォーカス27にもって行ってくれるようヘルパーに頼んでみましたら(イメージです)、急に調子が良くなりました。まさに憑き物がおちた感じ。まだ風邪の症状はありますが、トイレに入る前と後ではまったく感じが違いました。「もしや、昨日夢だと思っていた陰は本当になにかの存在だったのでは?」と思ったりして。今は盆のじきですから、いろんなところにふらふらしているものが供養を求めて来る事もあるのでしょう。たまたま波長が合うと、来てしまうのかもしれませんね。ま、しばらく不調になっても死ぬわけではありませんからまあそれほど騒ぐことでもないのでしょうけど。お盆の時期はこういうこともあるかもしれません、と言う話ですね。
ちょっとここで、死後の世界に関する事を書いておきます。あくまでこれは私の見た事であって、これだけが正しいという訳ではありません。よのなか切り口が違うといろんな解釈がありますから。まあ参考程度に読んでおいてくださいね。
死後フォーカス27に普通連れて行かれますが、そこに入ると子孫の事や残してきた家族のことはそれほど気にならなくなると思います。なぜかというと、「人それぞれに、それぞれの学びがある。」と達観できるようになるからです。なので、子供がお金が無くて苦労して死にそうになっていても、「ま、これも学びだ。」くらいのドライな見方が出来るようになるようです。その人にはその人用のガイドがちゃんと付いていますから、わざわざ親が出て行くこともないのですね。ただ、子供が同じディスク(類魂)の仲間だった場合は死後に子供のガイドになることもあるようですが。死後に肉親に対してドライにものを見られるのは、それは全てが上手く行っていることを知っているから。物を知ることで、今目の前にある障害がそれほど気にならなくなることは現実の世界でもあることですね。昨日のレンガ積みの話でもそうですが。レンガを積むという苦行も、その先にある楽しい目標があればそれも苦労とは思わないはずですらね。
あと、自分がフォーカス27にいたタイミングで自分の子供とか親とかが捕らわれ領域に捕まっていたとしても、自分がガイドになっていない限りは気にもしないと思います。それはガイドやヘルパーの学びのために捕まっているのだから、という見方をするから。死後は現在の感情とは異なった基準で物事を見るようになる気がします。現に、フォーカスレベルに入り込んでいる時よりも、戻っていてきてからのほうが気持ちの動きが激しくなりますので。これは私の場合は、ということですけど。
親や肉親、子供に対する情というものはどうやら肉体がある状態でのみ意味のあるもののようです。肉体があるときに子供が死にそうになっていたら、どのようなことが在ろうと飛んでゆくと思います。それが普通です。「これも学びだ」とか言って放っている人は異常か、あっちの世界に入りすぎている人くらいです。今の感情は今必要なものですので、子供や親に対する気持ちをしっかりと持つことは大切なのだと思います。死後、この気持ちはどうなるのだろうか?と思うよりも、「生きている間にしか味わえない気持ちならば、この気持ちをしっかりと体感して生きてゆくぞ!」というかんじで、前向きにこの何ともいえない肉親や親しい人の間にある感情を楽しんでいかれるのが良いと思います。死んだあとは、死んだ時に考えるといいのです。ヘミシンクで見るのは、映画のダイジェスト版を見せられているようなもの。その映画全ての内容は、実は分からないのです。私の体験していることも、あの世とか精神世界のごく一部ですから。他の方法で見ている方も大勢いますので、そういう方の本も読みつつ理解を深めてゆくのがいいのかと思います。個人的に、江原啓之さん、深見東州さん、越智啓子さん、とかの本も読んでみると面白いですね。ヘミシンクとはまた違った切り口で書いてありますので。ま、受け付けない人もいると思いますから立ち読みしてから購入は考えて下さいね。
次回のピラミッド制作実験は8月16日ですので、よろしくお願いします。たぶん、これ作れという指示があっちから来ていますので大丈夫だとは思いますが。
最近、「なんだかチャネラーになりつつあるなあ。」と思う今日この頃。ヘミシンクって、はまってゆくとこうなるんでしょうかね?
ぜひ、続けていってくださいね。
「限定された知覚はより大きなものを感じることができる。」こんな事を前に彼かだれかかから言われた気がします。たぶん真実なのでしょうね。
まるの日カフェに、また何か楽しそうなイメージを送ってみて下さい。たぶんポジティブなエネルギーの方が受け入れれやすそうですので。今度の16日の参加、お仲間の方もぜひご一緒にどうぞ、お待ちしています。
死んだ肉親に会うために…。
ちなみに、私のイメージした木もゴツゴツしてますね?そしてカフェの周りの風景に空や山…などをイメージしたのですけど、ハウスの中に出来ていたみたいですね。このように答えが出ると自信もつきますし、何よりも嬉しいです。私には少人数ですが仲間がいます。毎月21日に共同探索を行っていく予定です。私達もカフェに負けずに頑張ります。