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ネコ20匹を世話するため、本を書いたりバイク乗ったり。見えない世界ととその狭間を見ながら日常を生活する一人の男の物語。

自我と内面と

2013-03-09 23:10:37 | 『日常』

今日は夜に祖父の米寿の祝いがありまして。それで夜まで出ていたのですが。
だいぶ足の方が悪くなってきていたりして。
もう存命中の祖父母が一人になってしまうと、なんだかちょっと寂しくも感じますが。
こういう会は、昔はなんとなく面倒だと思ってましたけど、今は出られるときはでないとね、という気持ちが大きいです。
一生に一回のできごとの積み重ねならば、その一つでも一緒に過ごす時間がとれればいいなぁ、という感じで。
で、子供は久々に会った、いとこの子供たちと楽しく遊んでましたが。
なぜか、私の家のほうでは、従兄弟の子はみんな女の子。
なので会うとみんなで楽しく遊んでますけどね。
祖父にとっては曾孫達ですね。こういう風景も田舎だから見られる風景でもありますか。


今日は少し自分を見つめる機会がでてきまして。
そうか、そういえば自分の探求について最近書いてないし。何を感じているのかとか、自分の感覚で書いてなかったなぁ、と思いまして。

そのなかで体験していったこと、経験したこと、気付いたこと、などを書いていこうかな、と思っております。

最近インナーチャイルドの癒し的な話が多く来ているので、これは何かあるのかな。と思ってましたら。
今日そのあたりの自己を見る状況になりまして、それで自分の見た内面を少し書いてみます。

自分というのは常に人に見られる感じと、自分が見ている感じと。
人から見られる感じと、それぞれにあって。それのなかで自分を固定していたり。過去からの自分を引きずってきていたり。
そういうことをやっているとだんだん自分が見えてこなくなってきたり。
その中で、自分の本質を覆い隠していくと。だんだんと取り返しのつかない状況になってくることもあって。

ちょっとここからは自分の濃い部分の話になるので。「かるいのがいい」という方はここまで。
以下、濃い話。


ヘミシンクをしていて私は今ここに、この位置にとりあえず存在してますが。
私は、常に人のことを気にしています。
それはしょうがないところで。自分というものの立ち位置を把握したいし。今の自分の位置を見ることで安心したいし。
そういう時には、自然と身近な人や関わった人や、そういう人たちを無意識に「利用」しようとしている自分もいて。

来てくれるお客様、手伝ってくれる人たち、そして、ブログを読む人たち。
そういう人たちを利用して自分の位置を上げようと。
そんなことを無意識下でやっている自分も存在している。ということ。


顕在意識では、「人のため」「人の幸せのため」「世界平和のため」とやっているのですが。
今でもこれからも、変わらずその気持ちはありますし、ワークでもこれまでそういう気持ちでもやってますよ、もちろん。

ただ、潜在意識にある自分の側面を見て行くときに。自分の濃い部分見えて来ることがありました。
そこをちょっと書いてみます。

私はアセンションという言葉と、その日の世界が滅んで急激に変化する。ということを聞くと「願望に世界が破滅していったほうがいいと思う、自分が手を下さなくて世界が変化するのを望んでいる人たちが言うことじゃないの?」と思っていたこともありまして。
スピリチュアルでのこういう考え方が苦手だったのはあります。

その考えを自分にはそういうの無いって、否定していた感じですか。

ところが、自分にその否定していた感情が、意識があったからそういう人たちの「急激に変化する」という気持ちに反応していた自分にも気付いて。
そして、実は自分がそれを一番願っていたことにも気がついて。

私は自分ではない、ほかの人によって、自分の世界が破壊されて。
それから新しい自分の世界を構築して。
それから、また人に破壊してもらって。

という「自分以外の人」に破壊してもらうことを願っていて。実際にそれを無意識下で行動として外に出ていたところもあった。
ということを感じたというのでしょうか。
今日はそういう濃い部分を見た、見せてもらったものでした。

人を利用して、人に破壊してもらって。

かなり都合のいい感じですよね。こういう人って。
実際、あんまし友達いなさそうですよね~。
って、自分のことですが。

それを無意識に使ってしまうから、急激なアセンションを待ちわびる人たちに対して、「ちょっと違うんじゃ?」と思ってしまったところあったのかなと思います。

自分の中にある破壊の意識。全ての周りを破壊して、それから世界を構築する。
そんなシヴァのようなことを考えている。無意識下で。

だから、それがいつの間にか何気ないことで外に出てきて、人を傷つける。
それが人を苦しめたりするけど、それに対しては自分は言い訳を作る。

「あの人は○○だから。」と。

そうなると、「あの人」が僕の世界を壊したから、あの人に責任がある。

となって、自分には責任が無いと思い込む。
その図式を無意識に作り上げて、そこに人を配置してしまう。

人からそこを突かれると、反射的に自分のその部分をかばう。
なぜなら、「自分にそういう部分があってはダメだ」という表の顔を大切にしたいと思うから。

でも、それは自分の中にあるシヴァ的な一つの側面を否定しているから、いつまでたってもその面が潜在的にあって。いつでも表に出てこようと動きだすと、それを否定するから。
自分の無意識に蓄積して。それを見ないように動く心理的パターンが作られていって。

気がつくと、その「内なるシヴァ」を「表の菩薩」で隠そうとする。

菩薩とシヴァ、それは二つとも自分の中にあるものなのに。
一つを大切にしているつもりになって、それを表に出して。
人の心地よいこと、人の気に入ることだけに意識を動かそうとすると。
シヴァが「そうじゃないだろう」と動き出す。

その無意識のシヴァが動いていることに気がつかないと、表の菩薩の感覚だけで動こうとするので。
シヴァの動きを把握できない。むしろ見てないことにしてしまったりして。

シヴァの動きが外にでてきても「それは自分じゃないし」と思ってしまうと。
それを人のせいにしてしまう、「別の人が自分を壊す」って。

でもそれは自分なんですよね。
自分の一側面、それを否定するから自然と人も否定してしまう。
人との距離も必要以上に取ろうとする。
なぜって?
人が自分を壊す、という幻想にとりつかれるから。

そうなると、自分のやるべきこと、今目の前にあるものからも目をそらし初めて、
周りのせいにし始める。
自分が否定しているシヴァをもっと愛さないから。受け入れないから。
そのシヴァを人に押し付ける。その役を人にやってもらおうとする。

迷惑な話ですよね。

ということを見ていって。
自分の濃い部分を感じていたしだいです。
まぁ、もちろんこういうのを直視するには、それなりの揺さぶりがかけられたり、問をやりとりしたりというのがあって、見えて来たりするものですが。

そのシヴァ。自分の中にあるそれを暴れさせないこと。
そして、否定しないこと。自分にあるものを受け入れること。

人のせいにするのを受け入れるのではないですよ。

自分の中にあるものが原因で、それをやってしまっていることに気づく。
シヴァは愛すべき存在。菩薩も愛すべき存在。
その二つを自分がきちんと愛して入れたら、受け入れていれたら。

無意識のシヴァが動き始めることも無くて。
意識的にその動きを把握出来るようになって。
そして、シヴァのエネルギーは創造的なものへと変化していく。

ある人に言われたことがあって。
「シヴァの信徒みたいな、青い人が居ますね」
とか。
あとはパールバディが出て来たりしたこともあって。
そういうエネルギー的なものあんのかな。と思うのと。
チベットとかの父母仏に対しても、「なんかこれいいよね」とやらしくない意味で反応していたり。

そうか、自分の中にあるのはこういうものか。
そして、シヴァを創造神へと動かせばいいのだ。

自分の中にある破壊は、その後の再生につながるなら。
自分がそれをやる意識をもって行動することで。
ネガティブな捉えられかたをしそうな破壊的なエネルギーも、昇華されて行く気がして。

そうだな、創造だな。と思ったしだい。

傍から見るとなんか妙な話に思えるカモしれませんが。
自分の内面を見る機会に、こういうものが見えてきたとき。自分がどういう反応をして、どういうふうに言い訳をして、どういうふうに自分の心を覆い隠して。自分の自我を優先させて。
自分を守る、今までの自分を守ることに精一杯動いてしまうのか。

それを感じると、正直凹みますし。「自分、こんなことやっていいんやろうか?」とか思ってしまいますが。

でも、私は今まで自分のやってきたワークでも探索でも全ての基本は「人のため」で動いていたので。それに、さらに、今まで余計なところに回していた創造的なエネルギーを追加して。
ちょっと一気に登っていこうかな。

と思った今日この頃でした。

濃いお話にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
内面性に気づくと、スッキリしました。
もやもやが取れるというか。

誰も見たくない濃い部分。それを自分で見た時に反応する自分の姿は、結構痛いものですが。
受け入れられると、その時の自分が愛おしく思えて来たりして。
人間って、面白いなぁ、
と自分のことながら人ごとっぽくも見れていたりしますね。



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4 コメント

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まるの日さん、こんにちは。 (りんパパ)
2013-03-10 07:41:03
 米寿おめでとうございます。
 いとこ同士っていいですよね。

 私の親の兄弟は、六人いたので、いとこも十人以上います。
 昔は、良く遊びましたが、大人になると御無沙汰になります。
 ところが、最近は、お葬式で良く合うようになりました。

 もうすでに子供の時代で、いとこ同士合うと、昔話に花が咲きます。

 いとこの子供が大きくなっていることが、驚きますね。
 いとこ同士では、そろそろみんなで、のんびり温泉旅行でも行きたいね、なんて話していますが、なかなか日程が合いません。
 
返信する
初めてコメントいたします。 (はえともみ)
2013-03-10 12:17:34
(ときどきブログを読ませていただいてます)。

「菩薩とシヴァ、どちらも否定せず受け入れて・・・
さらには創造や昇華にまで意識をもっていく」話
とても勉強になります。

ありがとうございます。

当方、北陸在住。
こちらもだいぶ春らしくなりました。
返信する
Unknown (根木ミチル)
2013-03-10 15:49:31
数年来、自分のことをシヴァだと形容してきました。菩薩の面はもちろん認識されるでしょうが、それでは不公平なので、両方に市民権をと。また確かにすべてを承認すればするほど創造力は増すようです。統合から産み出される力なんでしょうね。

ところで昨夜見た夢にまるの日さんが出ていらして、私はその辺にいた人たちにまるの日さんのことを、私の兄弟魂なの、と説明していました!確かにお誕生日は同じなのですが。それじゃ、21も年上の双子かいな、ということですね・・?

もう5年くらいになりますか、ブログを始められてすぐの頃から毎日拝読し、確かに変遷も強く感じられ、これからの発展をみせていただけるのが楽しみです。

わたしと言えばゲートウエイはマスターできませんでしたが、がんになったので、ゴーイングホーム患者用を聴いています。

人生はすばらしいですね、本当にありがとう。

返信する
人のこの世での存在は、例えて言いますと “竹林” とでも申せましょうか。 (悩ケン)
2013-03-15 01:22:20
私たち現実世界に存在する者たちは地表に出ている “竹” であって我先に伸びようと木の幹は天に向かって突き出ています。

しかし、非物質世界に相当する地中の “根” は それぞれの幹に網の目状に繋がっているのですよね。

つまり、人は意識の一番深い所で皆繋がっている存在ということです。他の根から悪い養分が伝わって来たら “自分という一本の幹” も枯れてしまいますよね。

枯れないためには、悪い養分に打ち勝つ 強い養分を自分に持つことが必要ですよね。

自分に強い養分が持てれば根に伝わり、他の幹にも伝わりますよね。

例えて、インフルエンザでも かからないためには予防接種をしますよね。その予防接種のワクチンも 弱いインフルエンザの菌であって、わざと弱い菌を体内に入れて その菌に対する免疫力を体が作ることによって 外部から入って来るインフルエンザ菌に打ち勝ちインフルエンザが発症しないようになっていますよね。

つまり、悪い養分に打ち勝つ強い養分を体内に作るためには、悪い養分を ほんのチョッと体内に入れる必要がありますね。そこで免疫が出来るか出来ないかは自分次第です。

あるスポーツ選手の人生訓に 『努力しても それが必ずしも報われて成功するとは限らない。しかし、成功した者の全てが努力している』 と。

免疫力とは、現実世界でも非物質世界でも共通なことなのでしょうね。


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