今日も寒いです。
阿蘇は昼でも零下のとこもあって、霜柱が溶けません。
薪の消費が激しくなるので、できれば暖かくなってほしいものです。
さて、今日のヘミシンク。
先ず最初に、私の持っている「チャネリング感」について書いてみます。
良く、「あの存在はアヤシイ」とか「あの存在のいう事は素晴らしい」とか「本当」「偽者」とかいろいろな議論のあるチャネリングですが。
あれは基本的に受け取る側の情報処理能力に差があるだけで、向こうからの情報はいつも同じだけ送られてきているのだと思っています。
つまり、全て、チャネラーの言っている事に嘘は無いという事です。ただ、情報の受け取り方に偏りがあったり、思い込みが入ってきたり、そこに過去からの信念などが入り込んでくると、そのチャネリングした存在の情報を断片的にしか受け取れず、その合間を自分の経験で埋めてしまったりと、そういう感じになるのかな、と思っています。
「あ・して・・。あ・・・す・・。」
こういう風に、仮に文章情報を受け取ったとします。この文章、たぶん皆さんそれぞれに抜けている部分を想像していると思います。
「あいしている。あなたがすきよ。」
「ああしておけ。あれはこするな」
「あすしておく。あめりかすしや。」
とかすぐに3つくらい文章が浮かびます。
つまり、チャネリングの情報が結構人によって違うのはこういうところではないかと。
一般的には最初の文章を受かべた方が一番多かったのでは?と思いますが。あとは人それぞれですね。
この情報で、どれが真実なのか?
それは分かりません。多数が真実と思っている方は最初の文章をそうだとおもうでしょうけど、「自分のが真実」と思っている方は最期のやつを真実だと言い張るかもしれません。
でも、私達にはそれを判断する基準がありません。人の話を聞いて、データを集めて、それっぽいのを推測する事しか出来ないのですよね。
PCで例えると、ハイビジョン画質の映像をダウンロードする時、ウインドウズ95とか98搭載のパソコンではまず難しいです。静止画か、何時間もかかってちょこっとダウンロードできるかどうか。
しかし、ウインドウズ7搭載であれば、さくさくとダウンロード可能です。
でも、一番いいのはそのハイビジョン画質の元を現場でコピーして、ブルーレイで持ってくる事ですよね。
私達がチャネリングとか向こうの情報を得ているのは、このハイビジョン画質のものをネットでダウンロードしているようなものだと思っていただければ一番分かりやすいかな、と思います。
だから、それぞれで受け取り方が違う。それに、その情報の一番の大元よりは必ず劣化している。
現場でブルーレイにコピーする、というのはつまり向こうの世界に移動しなければならないわけで。つまり死後の話ですね。
体外離脱もこちらに意識が少しは残っています。でないと体が機能を停止して死にますから。
どんなに体外離脱できようが、バイロケーションできようが、向こうの世界をリアルに体験しているような気持ちになっても、それは私達にとっては現実ではないのですし。あくまで、何かのフィルターを通して情報を得ているのですよね。
ただ、普通に生きているよりは向こうの情報源にアクセスしやすいというくらいで。
まあ、何が言いたいかというと、チャネリングとか向こうの世界の情報とか、それは受け取る側のフィルターやら現代の社会的通念、常識、そういうものにも左右されるものだと思っています。
だから、モンローさんも言ってますね、自分の体験をそのまま信じる必要はない、みたいな事を。これは私にもいえる事で、これまでブログやら書籍やらに書いてあるのは、あくまで「現代日本で菓子を作っている田舎に住んでいるサラリーマンが体験した、向こうの世界の情報らしいお話し」という事ですので。
そのまま信じてもらうと逆に恐ろしいです。人それぞれ、向こうの情報を得ている人は今の生き方が背後に必ずあるという事ですね。
なので、その情報を発している人の人となりをまず見る必要があるのかな、と思っています。どういう生き様でいるのか、どういう考え方で生きているのか。
ということで、私のブログには日常的な内容も多いわけでして。まあ、こんな奴が書いていると向こうの話もこうなるという感じで。そこで皆さんに各自で情報を判断していただきたいなあ、というところです。
で、前置きが長くなりましたが。ようはチャネリングの情報に、「真偽」と言う問題を持ってくる事自体が難しいという事です。
「こいついい事言ってるなあ。」
と思えば共感すればいいのですし、
「この考え方はイヤ」
と思えばそこは後で考えてみればいいのですし。なんで自分はこの考え方がイヤなのか?と。
私も多数本を読んできましたが、私の苦手なアセンション系とかでも、基本的には言っている事は同じなんですよね。ちょっと上から目線が嫌なだけですが。
まあ、そういう事で、枝葉をみて好きになるのか嫌いになるのかどうかの話だけですね。
現実世界でもそうです。「真実」というものは時代と共に変化してますし。
単に多数の人達が共有できる情報がそこに存在しているだけのお話しだと思いますよ。
「地球は丸くて、太陽の周りを回っている。」
これは今の人達が持っている真実ですが、13世紀の人々はそれが嘘だと思っていたわけですし。
「証拠を提示して、多くの人に共通の認識を持ってもらう。」それが出来なければそれは真実とは判断されないのですし。
まあ、前置きはこのくらいで。つまり、こういうこと考えているような人間が、これからミシェルと対談してみます。という事です。
「で、ミシェルとかはつまりミカエルなわけだけど、世の中ミカエルを名乗る存在はたくさんいるよね。はっきり言って、どれが偽者なの?」
「そう聞かれると困りますね。全部同じものなんですから。」
「どのへんが?妙に偉そうに言う存在も居れば、ミシェルみたいに控え目な存在もいるよね。」
「そうですねぇ、たとえば『叱られて育つ』子供と『褒められて伸びる』子供が居ます。そうすると、大人はそれぞれに違う一面を見せて子供の生長を促しますよね。叱ることを主にする場合と、褒めることに重きを持ってきたり。
それと同じです。」
「つまり、私達は子供扱い?」
「そうではありません。部下でも上司でも同じでしょう?おだてると仕事をしてくれる上司が居れば、それはおだてるでしょう。皆同じレベルだと思ってください。人によってそれぞれに対応を変える場合があるという事です。」
「それって、優柔不断に見えない?」
「その、なぜおだてるのか?なぜ上から目線なのか?そこを考えて下さい。最終的に行くところは同じなんですよ。その過程の違いです。
「私はたぶん上から目線とか、叱ってくるタイプとは話が合わないのでミシェルみたいなのが出てきているわけかい。」
「そう思っていただいて結構ですよ。」
「でも、なんでミカエルなの?私はキリスト教でもなんでもないんだけど。」
「その人に一番認識しやすい形で出てきます。別にミカエルでなくてもいいんですよ。不動明王とかそういうのでも。」
「不動明王はいやだなあ。修行しないといけなさそうだし。」
「そういう事ですよ。消去法でいったら、圭さんに一番合っているのがミカエルだったと、そういう感じです。いきなりイスラムの神々やヒンズーの神々が出てきてもピンとこないでしょう?」
「えらく消極的な高次のメッセンジャーだね。」
「見えるものだけが真実だとは思わないで下さい。不動明王もミカエルも、基本的には同じ情報源なのですから。」
「お、あたらしい仮説だね。ミカエル=不動明王。確かに似てるけど。」
「どこの宗教にも同じような役割を持つキャラクターが存在しているはずです。圭さんの見るアニメや、小説、童話、そういう物語にも大体のパターンはありますよね?主役と脇役、それには必ず役割があって、主役が能動的だと脇役が受動的、主役が受動的だと脇役が能動的、という感じで。
神々が傍観している存在であれば、どうしても行動派のキャラが必要になってきます。
それがミカエルとかそういうものだと思っていただけるといいですね。」
「つまり、ミカエルという個別の存在はいないという事?」
「いいえ、圭さんの目の前にいるじゃないですか。」
「仮の名前じゃないの?」
「そう呼ばれるものは、そうなるのです。圭さんは、『圭さん』と呼ばれるから圭さんなんであって。物質で言うと、たんぱく質と水分の集まった集合体ですよね。それに意識が入っているだけの。それを個別に認識するために名前がついているのでしょう?」
「そう言われるとそうだけど。名前がついて時点で、それはそれとして固定化されるという事なのかい?」
「そう呼ばれるものはそうなのですよ。」
「じゃあ、アマーリエさんの本を10月にいただいたので読んでいるけど、あの人のところに出てくるミカエルと君はまったく雰囲気違うよね。本当に同じモノ?」
「そうですよ。」
「どのへんが?」
「全て同じ元から来ていますから。」
「でも、それを言うと、私達だって上に行けば同じ元になるわけだろう?」
「圭さん達とはちょっと違います。I/T的思考でいえば、全ての個人情報はすでにそこにあります。確かに一つの元から発していますが、個別の状態、ホウキみたいなものだと思っていただければ。」
「ホウキ?」
「あれ立ててみますと、ホウキの掃くところは一本一本の繊維ですね。それが束ねられて、一つの柄にくっついています。フォーカス35の状態があの柄とくっつく部分で、したの繊維のところがそれ以下のフォーカスレベルに存在している意識だと思って下さい。
現実世界から向こうの世界まで、一人の意識は一人の意識として存在しているのです。となりと交わる事はありません。情報の交換くらいはしてますけど。
フォーカス35以上の状態が、ホウキで言うと柄のところになって、全て同じまとめて同じものとして認識されてしまうという事ですね。ホウキはホウキと。
しかし、私達は水のようなものです。ホウキではありません。フォーカスレベルの高いところに存在している状態が水だと思って下さい。それに砂糖とかが入ると砂糖水になります。
砂糖水はいくら下に移動しても砂糖水です。いきなり塩水になったりしません。
ただ、皆さんの前に現れる時、砂糖水が凍った状態で出てくるのか、雪のような結晶で出てくるのか、そのままどろーっと出てくるのか。
それで印象が変わると思います。でも全部同じ濃度の砂糖水なんですよ。」
「ミカエルという元の味は同じで、単に形態の違いで同じ存在でも言っていることが違って聞こえるという事?」
「冷たい砂糖水はピシッとなりますよね。生ぬるい砂糖水はなんとなくぬるーってなりますよね。雪のように現れると美しいイメージです。いう事が厳しいミカエルは氷、美しく荘厳な姿は雪、という感じで思っていただけるといいですけど。」
「じゃあ、ミシェルはぬるーってした感じなんだ。」
「そう言っていただいても反論はしませんよ。」
「結局、その姿を見て、同じものと思うか思わないかは見ている人次第ってことか。」
「雪と氷を、元は同じ砂糖水と見ない人には、全く別の存在にしか感じられないでしょう。」
「なんでそうやって姿が変わるの?」
「水は冷たいものに近づくと凍ります。分かります?」
「言いたい事は分かった。」
「全て、そういう事ですよ。」
「向こうの世界の存在に真偽を聞く前に、まずはその情報からなにを得る事を望んでいるのか。それを受け取る自分の内面にそこを聞いてみる必要があるということか。」
「自分でその判断を下せるようになっていただきたいですね。」
「それが『向こうとつながる』ことの意味するところ?」
「皆さんはいつでもつながっているのですけど、それに気付かない。だから、私のようなミカエルという存在の言う事に左右されるのですよね。
私達はただ出てきて、皆さんと話をしているだけの存在です。自分でつながっているということを自覚して、そのあたり判断していただきたいものですね。」
「で、私の場合はミシェルとこうやって話して、勝手に判断していいわけ?」
「圭さんのお好きなように。」
「みょうな方向に進んで、あとでとんでもないことになったりしないかな。」
「それは御自分の責任ですから。その時はその時です。」
「意外と冷たいね。」
「そういう風になる人のところに私達は出て行ったりしませんから。」
「人を見るのかい?」
「ゆルーい感じの人のところはゆるーい感じで物事が動くので、みょうな方向に進む前にゆるーいかんじで方向変わりますから。とんでもないことになりにくいのですよ。」
「それいいの?」
「一気に変化が来ないからいいんじゃないですか?」
という感じで、カウンターで会話している感じで対談してみました。
後でちょっと、はるんちゃんがなんでカフェにいるの?と聞いてみると、「あなたの雰囲気ではああいうのが合うんですよ。」と言われてしまいまして。
見る人の雰囲気でたぶん、ミカエルのキャラもだいぶ変わるのでしょうね。
どのミカエル見ても、基本的に言っている事は同じようなものですからね。その表現がちょっと違うだけで。表現に気を取られずに、その本質を感じることが大切のようです。
今回、やたらブログが長くなっていますが、こういう日は仕事がヒマだった、という事ですので。
阿蘇は昼でも零下のとこもあって、霜柱が溶けません。
薪の消費が激しくなるので、できれば暖かくなってほしいものです。
さて、今日のヘミシンク。
先ず最初に、私の持っている「チャネリング感」について書いてみます。
良く、「あの存在はアヤシイ」とか「あの存在のいう事は素晴らしい」とか「本当」「偽者」とかいろいろな議論のあるチャネリングですが。
あれは基本的に受け取る側の情報処理能力に差があるだけで、向こうからの情報はいつも同じだけ送られてきているのだと思っています。
つまり、全て、チャネラーの言っている事に嘘は無いという事です。ただ、情報の受け取り方に偏りがあったり、思い込みが入ってきたり、そこに過去からの信念などが入り込んでくると、そのチャネリングした存在の情報を断片的にしか受け取れず、その合間を自分の経験で埋めてしまったりと、そういう感じになるのかな、と思っています。
「あ・して・・。あ・・・す・・。」
こういう風に、仮に文章情報を受け取ったとします。この文章、たぶん皆さんそれぞれに抜けている部分を想像していると思います。
「あいしている。あなたがすきよ。」
「ああしておけ。あれはこするな」
「あすしておく。あめりかすしや。」
とかすぐに3つくらい文章が浮かびます。
つまり、チャネリングの情報が結構人によって違うのはこういうところではないかと。
一般的には最初の文章を受かべた方が一番多かったのでは?と思いますが。あとは人それぞれですね。
この情報で、どれが真実なのか?
それは分かりません。多数が真実と思っている方は最初の文章をそうだとおもうでしょうけど、「自分のが真実」と思っている方は最期のやつを真実だと言い張るかもしれません。
でも、私達にはそれを判断する基準がありません。人の話を聞いて、データを集めて、それっぽいのを推測する事しか出来ないのですよね。
PCで例えると、ハイビジョン画質の映像をダウンロードする時、ウインドウズ95とか98搭載のパソコンではまず難しいです。静止画か、何時間もかかってちょこっとダウンロードできるかどうか。
しかし、ウインドウズ7搭載であれば、さくさくとダウンロード可能です。
でも、一番いいのはそのハイビジョン画質の元を現場でコピーして、ブルーレイで持ってくる事ですよね。
私達がチャネリングとか向こうの情報を得ているのは、このハイビジョン画質のものをネットでダウンロードしているようなものだと思っていただければ一番分かりやすいかな、と思います。
だから、それぞれで受け取り方が違う。それに、その情報の一番の大元よりは必ず劣化している。
現場でブルーレイにコピーする、というのはつまり向こうの世界に移動しなければならないわけで。つまり死後の話ですね。
体外離脱もこちらに意識が少しは残っています。でないと体が機能を停止して死にますから。
どんなに体外離脱できようが、バイロケーションできようが、向こうの世界をリアルに体験しているような気持ちになっても、それは私達にとっては現実ではないのですし。あくまで、何かのフィルターを通して情報を得ているのですよね。
ただ、普通に生きているよりは向こうの情報源にアクセスしやすいというくらいで。
まあ、何が言いたいかというと、チャネリングとか向こうの世界の情報とか、それは受け取る側のフィルターやら現代の社会的通念、常識、そういうものにも左右されるものだと思っています。
だから、モンローさんも言ってますね、自分の体験をそのまま信じる必要はない、みたいな事を。これは私にもいえる事で、これまでブログやら書籍やらに書いてあるのは、あくまで「現代日本で菓子を作っている田舎に住んでいるサラリーマンが体験した、向こうの世界の情報らしいお話し」という事ですので。
そのまま信じてもらうと逆に恐ろしいです。人それぞれ、向こうの情報を得ている人は今の生き方が背後に必ずあるという事ですね。
なので、その情報を発している人の人となりをまず見る必要があるのかな、と思っています。どういう生き様でいるのか、どういう考え方で生きているのか。
ということで、私のブログには日常的な内容も多いわけでして。まあ、こんな奴が書いていると向こうの話もこうなるという感じで。そこで皆さんに各自で情報を判断していただきたいなあ、というところです。
で、前置きが長くなりましたが。ようはチャネリングの情報に、「真偽」と言う問題を持ってくる事自体が難しいという事です。
「こいついい事言ってるなあ。」
と思えば共感すればいいのですし、
「この考え方はイヤ」
と思えばそこは後で考えてみればいいのですし。なんで自分はこの考え方がイヤなのか?と。
私も多数本を読んできましたが、私の苦手なアセンション系とかでも、基本的には言っている事は同じなんですよね。ちょっと上から目線が嫌なだけですが。
まあ、そういう事で、枝葉をみて好きになるのか嫌いになるのかどうかの話だけですね。
現実世界でもそうです。「真実」というものは時代と共に変化してますし。
単に多数の人達が共有できる情報がそこに存在しているだけのお話しだと思いますよ。
「地球は丸くて、太陽の周りを回っている。」
これは今の人達が持っている真実ですが、13世紀の人々はそれが嘘だと思っていたわけですし。
「証拠を提示して、多くの人に共通の認識を持ってもらう。」それが出来なければそれは真実とは判断されないのですし。
まあ、前置きはこのくらいで。つまり、こういうこと考えているような人間が、これからミシェルと対談してみます。という事です。
「で、ミシェルとかはつまりミカエルなわけだけど、世の中ミカエルを名乗る存在はたくさんいるよね。はっきり言って、どれが偽者なの?」
「そう聞かれると困りますね。全部同じものなんですから。」
「どのへんが?妙に偉そうに言う存在も居れば、ミシェルみたいに控え目な存在もいるよね。」
「そうですねぇ、たとえば『叱られて育つ』子供と『褒められて伸びる』子供が居ます。そうすると、大人はそれぞれに違う一面を見せて子供の生長を促しますよね。叱ることを主にする場合と、褒めることに重きを持ってきたり。
それと同じです。」
「つまり、私達は子供扱い?」
「そうではありません。部下でも上司でも同じでしょう?おだてると仕事をしてくれる上司が居れば、それはおだてるでしょう。皆同じレベルだと思ってください。人によってそれぞれに対応を変える場合があるという事です。」
「それって、優柔不断に見えない?」
「その、なぜおだてるのか?なぜ上から目線なのか?そこを考えて下さい。最終的に行くところは同じなんですよ。その過程の違いです。
「私はたぶん上から目線とか、叱ってくるタイプとは話が合わないのでミシェルみたいなのが出てきているわけかい。」
「そう思っていただいて結構ですよ。」
「でも、なんでミカエルなの?私はキリスト教でもなんでもないんだけど。」
「その人に一番認識しやすい形で出てきます。別にミカエルでなくてもいいんですよ。不動明王とかそういうのでも。」
「不動明王はいやだなあ。修行しないといけなさそうだし。」
「そういう事ですよ。消去法でいったら、圭さんに一番合っているのがミカエルだったと、そういう感じです。いきなりイスラムの神々やヒンズーの神々が出てきてもピンとこないでしょう?」
「えらく消極的な高次のメッセンジャーだね。」
「見えるものだけが真実だとは思わないで下さい。不動明王もミカエルも、基本的には同じ情報源なのですから。」
「お、あたらしい仮説だね。ミカエル=不動明王。確かに似てるけど。」
「どこの宗教にも同じような役割を持つキャラクターが存在しているはずです。圭さんの見るアニメや、小説、童話、そういう物語にも大体のパターンはありますよね?主役と脇役、それには必ず役割があって、主役が能動的だと脇役が受動的、主役が受動的だと脇役が能動的、という感じで。
神々が傍観している存在であれば、どうしても行動派のキャラが必要になってきます。
それがミカエルとかそういうものだと思っていただけるといいですね。」
「つまり、ミカエルという個別の存在はいないという事?」
「いいえ、圭さんの目の前にいるじゃないですか。」
「仮の名前じゃないの?」
「そう呼ばれるものは、そうなるのです。圭さんは、『圭さん』と呼ばれるから圭さんなんであって。物質で言うと、たんぱく質と水分の集まった集合体ですよね。それに意識が入っているだけの。それを個別に認識するために名前がついているのでしょう?」
「そう言われるとそうだけど。名前がついて時点で、それはそれとして固定化されるという事なのかい?」
「そう呼ばれるものはそうなのですよ。」
「じゃあ、アマーリエさんの本を10月にいただいたので読んでいるけど、あの人のところに出てくるミカエルと君はまったく雰囲気違うよね。本当に同じモノ?」
「そうですよ。」
「どのへんが?」
「全て同じ元から来ていますから。」
「でも、それを言うと、私達だって上に行けば同じ元になるわけだろう?」
「圭さん達とはちょっと違います。I/T的思考でいえば、全ての個人情報はすでにそこにあります。確かに一つの元から発していますが、個別の状態、ホウキみたいなものだと思っていただければ。」
「ホウキ?」
「あれ立ててみますと、ホウキの掃くところは一本一本の繊維ですね。それが束ねられて、一つの柄にくっついています。フォーカス35の状態があの柄とくっつく部分で、したの繊維のところがそれ以下のフォーカスレベルに存在している意識だと思って下さい。
現実世界から向こうの世界まで、一人の意識は一人の意識として存在しているのです。となりと交わる事はありません。情報の交換くらいはしてますけど。
フォーカス35以上の状態が、ホウキで言うと柄のところになって、全て同じまとめて同じものとして認識されてしまうという事ですね。ホウキはホウキと。
しかし、私達は水のようなものです。ホウキではありません。フォーカスレベルの高いところに存在している状態が水だと思って下さい。それに砂糖とかが入ると砂糖水になります。
砂糖水はいくら下に移動しても砂糖水です。いきなり塩水になったりしません。
ただ、皆さんの前に現れる時、砂糖水が凍った状態で出てくるのか、雪のような結晶で出てくるのか、そのままどろーっと出てくるのか。
それで印象が変わると思います。でも全部同じ濃度の砂糖水なんですよ。」
「ミカエルという元の味は同じで、単に形態の違いで同じ存在でも言っていることが違って聞こえるという事?」
「冷たい砂糖水はピシッとなりますよね。生ぬるい砂糖水はなんとなくぬるーってなりますよね。雪のように現れると美しいイメージです。いう事が厳しいミカエルは氷、美しく荘厳な姿は雪、という感じで思っていただけるといいですけど。」
「じゃあ、ミシェルはぬるーってした感じなんだ。」
「そう言っていただいても反論はしませんよ。」
「結局、その姿を見て、同じものと思うか思わないかは見ている人次第ってことか。」
「雪と氷を、元は同じ砂糖水と見ない人には、全く別の存在にしか感じられないでしょう。」
「なんでそうやって姿が変わるの?」
「水は冷たいものに近づくと凍ります。分かります?」
「言いたい事は分かった。」
「全て、そういう事ですよ。」
「向こうの世界の存在に真偽を聞く前に、まずはその情報からなにを得る事を望んでいるのか。それを受け取る自分の内面にそこを聞いてみる必要があるということか。」
「自分でその判断を下せるようになっていただきたいですね。」
「それが『向こうとつながる』ことの意味するところ?」
「皆さんはいつでもつながっているのですけど、それに気付かない。だから、私のようなミカエルという存在の言う事に左右されるのですよね。
私達はただ出てきて、皆さんと話をしているだけの存在です。自分でつながっているということを自覚して、そのあたり判断していただきたいものですね。」
「で、私の場合はミシェルとこうやって話して、勝手に判断していいわけ?」
「圭さんのお好きなように。」
「みょうな方向に進んで、あとでとんでもないことになったりしないかな。」
「それは御自分の責任ですから。その時はその時です。」
「意外と冷たいね。」
「そういう風になる人のところに私達は出て行ったりしませんから。」
「人を見るのかい?」
「ゆルーい感じの人のところはゆるーい感じで物事が動くので、みょうな方向に進む前にゆるーいかんじで方向変わりますから。とんでもないことになりにくいのですよ。」
「それいいの?」
「一気に変化が来ないからいいんじゃないですか?」
という感じで、カウンターで会話している感じで対談してみました。
後でちょっと、はるんちゃんがなんでカフェにいるの?と聞いてみると、「あなたの雰囲気ではああいうのが合うんですよ。」と言われてしまいまして。
見る人の雰囲気でたぶん、ミカエルのキャラもだいぶ変わるのでしょうね。
どのミカエル見ても、基本的に言っている事は同じようなものですからね。その表現がちょっと違うだけで。表現に気を取られずに、その本質を感じることが大切のようです。
今回、やたらブログが長くなっていますが、こういう日は仕事がヒマだった、という事ですので。
フォーカス世界からの、情報は、同じことを言っている、問題は、それを受け取る側ってことですね。
たしかに、人間同士でも、同じことを言っても、受け取る方次第で、変わりますね。発言者の好き、嫌いにもよりますが。
今日のお話は、とても深いですね。
今日のまるの日さんのコメントは、殆ど共感できます。
その真偽を追求されたり、頭ごなしに嘘だと決めつけられても、どうすることもできません。同じように説明しても、信じれない人はどこ迄も信じようとはしない方向に行くものです。信じたくないと言うのも一つの捕われだし、恐れでもあると思いますね。
今日の文章を読ませて頂いて、とてもすっきりして気持ちが良かったです。
出雲に行ったときにあるものが写真に写りましたが、私にはそれが「ある姿」に見えましたが、別の方には何も感じないだろうし、また別の方には「火柱」のように感じるかもしれません。結局何もないって証明も出来ないですからね。
はて?はて?はて?
私の労働時間返して欲しいくらいです。
・・・自分がヘミシンクを始めるまでは。
そういう捕らえ方をすれば、良いんですよね。
「自分の波長に合うもの」を選ぶ!
能動的なスタンスで。
ありがとうございました♪
今こっちゎ2人だよ(*´ェ`*)
見せ合いっこした後3人で楽しもぉ(ヮラ
あっバ○ブ持って来てるから手ぶらでィィョ(*´σー`)
職場で難しい仕事を任されるのも宜なるかなと思います。
因みに私も昨年、ディクシャ仲間からアマーリエ氏の本を2冊、又貸ししてもらいました。
感想としては、言ってることは判るがんー…どうもあの使命感溢れる雰囲気とやや高めな視線にはどうも馴染めませんでした。
でも本日のミシェルさんの話で納得です。
今年もゆるゆるで行こうと思います。
それが、ヘミシンクで自分で体験することで、だんだん理解が深まってきました。
キリスト意識なんかもそうですよね?。
今度「不思議の国のアリス」がテリー・ギリアム監督で映像化されますが、3D楽しみです。
私はアリスフリークで、原作以外にも何冊もの訳の本を持っていますが、原作ー翻訳の世界にも同じ事がいえるなって思いました。
英語の言葉遊びの入った原作なので奇想天外な物語になっていて、訳者は相当苦労して日本語に翻訳しますが、原作のおもしろさは伝わりません。
「cats eat bats」は「猫はコウモリを食べるかしら」ただ頭のぼーっとしたアリスがCとBを言い間違えただけなんですけど、どうしても、こうとしか訳せませんよね。
そういう「意訳」がチャネリングにもありますよね。
C1って本当に縮図だな?と最近よく思います。
ミカエル=ミシェル=ミヒャエル=マイケル 世界中にいろんな名前があるところからも、
ひとつの知覚しやすいエネルギー体だということがわかりますね。
私最近思うんですが、ゲームやってるとこういう非物質的なもの、わかりやすいですよね。
火・水・大地・風のエレメントとか、オーブとかよく出てくるし。
ゲームが変わっても同じような要素が出てくるので、勝手に覚えちゃいますよね。
ファンタジー好きでゲームし始めましたが、今はヘミシンクの役に立ってます(笑)
最近ハマッテしまった漫画、「聖おにいさん」に出てくるミカエルもまた、ミーハーでやんわりしたキャラ。真面目なウリエルにも、心ひかれます。ああいう漫画も、上から書かされているんじゃないかな?って思えるぐらい、なんだか暖かい愛に満ちてる感じで、大天使のイメージが身近に感じられ、なんとなくまるさんのブログに登場するようなキャラにも思えてきたりして。。。
まるさんの、中庸を保った冷静な視点と書き方には、いつも敬服しております。今年も、ブログ、楽しみに読ませていただきます。どうぞよろしくお願い致します。