声欄とえくれあと眼鏡とへそのごまと…

大人と社会について、自らの考え思いで腐していきます。社会への抵抗ではなく挑戦。

明けましておめでとうございます

2010-01-24 15:16:28 | 読んで欲しい度☆☆☆
ズルズルとブログを更新しないうちにIDを忘れ、年があけてしまいました。もう7ヶ月が過ぎていますね。

『このブログを一体、誰が見ているのか?!』という疑問はあるものの、嬉しいことに何人かの方がちょくちょく覗いてくれているようで、何かを発信することと発信しないことの間には絶対的な差があることは間違いなく、このブログを見て何かを感じてくれる人が一人でもいれば良いという思いで再び更新していきたいと思います。
もちろん、自分の中に発信したい事があるというのが更新する一番の理由ですが。
まぁ相変わらず社会はクソですしね。

で、更新するにあたって処理しておかないといけない事がありますね。
まず、おばあちゃんの事。
おばあちゃんは今でも生きています。今年で96歳になります。
病院に運ばれて、手術を受けた後3週間ほどで退院しました。
あれ以来、新しく始めたことが2つあります。
一つは特に用事がない週末には、おばあちゃんと近くのうどん屋に出かけること。
もう一つは、食事の時におばあちゃんの写真をとることです。

『食べることは生きること』と漠然と本能的に感じたからです。

6月3日(水)のこと その3

2009-07-15 22:04:16 | 読んで欲しい度☆☆☆
待合室では不思議と涙は出なかった。
おばあちゃんとの思い出があれこれと脳裏に浮かぶ訳でもなかった。
何も考えられなかったというよりも、ただボーッとしていた。
だから待っている時間が長く感じられた。

一時間ほど経ってエレベーターが開いて、ベッドが出てきた。
追いかける様に『無事に終わりましたよー』という看護師の声を聞いてホッとした。
『処置をしますのでしばらくお待ち下さい』と言われて、悪くない状態である事がわかった。

10分ほどで集中治療室に呼ばれると、おばあちゃんはやっぱりというべきか『何が起こったんやろ』と錯乱状態。
『とにかく良かったな』と伝えて、疲れで眠そうなので5分もしないうちに集中治療室を出た。

結局11時頃、叔父の車に乗って家に帰り、自分の部屋に入るとドッと疲れた。
しかし何故だかすぐには眠れなかった。

6月3日(水)のこと その2

2009-07-08 00:48:53 | 読んで欲しい度☆☆☆
9時頃、晩ごはんを食べ終えてテレビを見ていると、母のケータイが鳴った。
神妙な面持ちで聞いている。

N波医師からだ。
急におばあちゃんの容態が悪くなったらしい。
今から緊急手術を行うので病院に来て下さいとの事。

叔父と祖母に連絡をとり一緒に病院に行くことになった。
弟は友達と遊びに出掛けて連絡が取れなかった。

こういう事は、関わりが薄ければ大した事の無い様に思われる。
緊張感が少ない。
反対に関わりが深ければ心配で仕方ない。
ちょうど学生時代の中間テストとか期末テストと同じ感じだ。
頑張って勉強していたらテスト前は緊張感があるが、全く勉強していなければテストの結果に興味は薄い。

叔父の車を待っている時、どうしようもなく涙が出てきた。
このままおばあちゃんと話が出来なくなってしまうかも知れないと思うと悲しかった。

街灯に背を向けてTシャツの袖の部分で涙を拭った。
生まれてから、初めて死ぬという事が何かを感じた。

病院に着くと、入り口付近だけが明るく、廊下はもう消灯していた。
集中治療室の看護師に聞くと、『さっき手術室に入ったのでそろそろ出てくると思います』と言われた。
またあの待合室で待つしかなかった。

口数は少なかった。
母以外は。
おそらく喋っていなければ気が済まない人なのだろう。
しかしそんな事はどうでも良かった。
おばあちゃんが帰ってくれさえすれば、それ以外の事は何でも良かった。

6月3日(水)のこと その1

2009-07-06 02:49:01 | 読んで欲しい度☆☆☆
昼3時頃、母とお見舞いに行った。
おばあちゃんはベッドの背中にもたれて体を起こしていた。
この状態が最も楽らしい。
口にしていた酸素は取れていたが、点滴は打っていた。
脈拍は常に30台で安定していて、一昨日の様に50以上になったり、30以下になる事も少なかった。

話は差し支えなく出来るので、とにかく励ます様に元気になってからの話をした。
『元気になったら、好きな肉を食べに行こう』とか『またデイケア行かなアカンな』とか『(いつもしている)算数と漢字のドリルしやなアカンな』とかだ。
おばあちゃんは半ば飽き飽きした様な笑顔を見せながら、ふんふんと頷いている。

そういう話の中で、母がおばあちゃんに言った。
『楽しみにしてたのに残念やったな』と。
おばあちゃんは、1000円を持ってデイケアのみんなと買い物に行く日を2週間前から楽しみにしていたらしい。
残念ながらそれが今日だったのだ。
そこで母が続けて『買い物に行ったら、何を買おうと思ってたん?』と尋ねた。
するとおばあちゃんは、はにかみながらゆっくりとした動作で私を指さして『くつ』と言った。
私は意味が理解出来なかったが、母が『この子の靴、買ったろうと思ってたんかー』と言ったので、やっとそこでわかった。
その言葉を理解すると、同時に私は涙が出そうになった。
少し前から楽しみにしていた買い物が、私の為だったという事実。
サンダルばかり履いている私に、こっそり靴を買って来て喜ばそうという楽しみを持っていたのだろうと思うと、込み上げてくるものがあった。
しかし直感的に私はそれをこらえた。
そして平常を装って『退院したら買いに行こうか』と言った。

そんな話をしていたらもう5時近くになっていた。

帰り際、布団を捲っておばあちゃんのふくらはぎを触ると少し冷たかった。
母と少しだけマッサージをして帰った。

6月2日(火)のこと

2009-07-03 23:45:03 | 読んで欲しい度☆☆☆
今日はお見舞いには行かない日。
昨日行っていない人(母、叔父、祖父、祖母)が行く事にしたからだ。

代わりに私は近くの掛かり付けの病院に、昨日の事を話しに行かないといけない。
私としても聞きたい事があった。

午前中に余裕を持って病院に行った。
まず掛かり付け医に、大変やったねと労われた。
私は完全房室ブロックと診断された事、おばあちゃんの状態、そしてN波医師に病気の既往歴を伝えて欲しいと話した。
既往歴は昨日のうちにファックスで送ってくれたそうだ。

そこで疑問に感じていた事を聞いた。
まず、ペースメーカーを入れる手術の難易度。
これは、総合病院で普段から経験を積んでいる循環器内科の先生であれば、心配はないとのこと。
また、おばあちゃんの脈は手術の金曜日まで無事に動いているものなのだろうかと聞いた。
これは、寿命というもので個人差がある。
何とも言えないとのこと。
手術がうまくいくように願っていますとも言われた。
本当にそれに尽きる。

夕方、お見舞いから帰って来た母から様子を聞くと今日も普段と特別変わらないらしい。
それよりも30そこそこのN波医師の若さに驚いていた。

このまま行けばおばあちゃんは、まあ大丈夫だろうと思った。
ちょっとした安堵感から夜、オナニーをした。
ティッシュに出された精子のお世辞にも良いとは言えない匂いを感じて、命って何だろうと漠然と考えていた。
知らない間に眠っていた。

6月1日のこと その4

2009-07-02 20:36:44 | 読んで欲しい度☆☆☆
私は待つしかなかった。
おばあちゃんを励ますように話しかけた。
ただ、時々脈が30を下回りランプが光ってアラームが鳴るのだけが気になった。

夕方5時頃になって弟から、今から行くと連絡があった。
6時前には弟が着いた。
おばあちゃんは弟をしっかりと認識している。

母ももうすぐ仕事が終わるだろうと思い、それを看護師に伝えた。

しかし来ない。
メールも返って来ない。
もう7時を回っている。
面会時間は一応8時までとなっていて、看護師からも催促された。
仕事が何時に終わるかは、はっきりと聞いていなかったが夕飯の支度がまだだったのでそんなに遅くならないはずだが。
病院の外に出て、何回電話をしても出ない。

手掛かりがないので、近くに住む祖父と祖母に電話する。
おばあちゃんの現状と母が来ない現状をだ。
結局まだ帰って来ていないらしい。

もう7時半を過ぎている。
メールぐらい返せよと苛立たちながら、集中治療室に戻ろうとすると、弟が電話で話している。
私が祖父たちと電話している間に母親は弟に電話していたのだ。
しかも面会時間との兼ね合いで、来るか来ないかはっきりしない。

弟と母が話している間に、私にメールが届いた。
叔父からだ。
内容は『おばあちゃんが倒れたそうだ。仕事から帰ったら、一緒に病院に行こう』だった。
祖父と祖母から聞いたらしい。
ただその情報の発信源は私だ。
完全に情報が錯綜している。
おばあちゃんが倒れた事よりも、それを取り巻く出来事の方がよっぽど鬱陶しい。
簡単に、家に集まっておいてとメールを返した。

結局、おばあちゃんの状態と面会時間を考慮して、母は来ず、私と弟が医師から話しを聞いて帰る事にした。

集中治療室に戻り、N波医師にその事を伝えると別室に通された。
病名は完全房室ブロック。
心臓の中で電気信号がうまく繋がっていない状態だそうだ。
ペースメーカーを入れれば治るとのこと。
しかし容体が悪化して、緊急手術でペースメーカーを入れた場合、もう一度手術しないといけないそうだ。
少し様子をみながら、金曜日には手術をする予定という。

だいたい分かった。

弟とタクシーで、9時前に家に帰ると母、叔父、祖父、父がテーブルを囲んで待っていた。
医師から聞いたこと、普通に話も出来る状態を見て大丈夫そうだと感じた事を話した。

ビールをゴクリと飲んだ。
長い1日だった月曜日がやっと終わった。

6月1日のこと その3

2009-07-01 21:34:17 | 読んで欲しい度☆☆☆
待合室といっても、長いすが4つほど置いてあり、ついたてがしてあるだけだ。
私は入口のそばに座った。
奥には二十歳になるかならないかの女の子が一人座っていた。
くたびれた様にケータイをいじっている。

病院では待つのが仕事みたいなものだ。
若い看護師がやって来て、書類を渡され今度は連絡先を2つとキーパーソンを書かされた。
家の中で薬とか保険証を管理している人がキーパーソンだ。
母親の名前とケータイ番号を書いて渡した。

看護師が去った後、現在の状況を弟と母にメールをした。
弟は学校で母は仕事だがどちらも夕方には終わるだろう。
こういう時は出来るだけ情報を送る人を制限しなければならないという事を知っていた。
情報が錯綜したりして対応出来なくなってしまうからだ。

しばらくすると、奥の女の子のお母さんらしい人が来ると女の子は泣き出してしまった。
『急やったからな。近いうちに訪ねようって言うてたとこやったもんな。』と慰めていた。
エレベーター付近からは看護師同士の雑談と小さな笑い声が聞こえてきた。

病院という所は死に直面している所だと改めて感じた。
それに反して、医師や看護師は非常にシステマチックだと感じた。
死に触れている絶対数が違うからだろうが、家族が重篤の時に看護師の笑い声は不愉快に違いない。

そんな事を考えていると看護師がやって来て『用意が出来たのでどうぞ』と私に言った。
消毒をして集中治療室に入るとおばあちゃんの口には酸素、腕には点滴があった。
それでもおばあちゃんの意識はしっかりしていて、話は出来た。
ただ『どうなったんやろ』と少し混乱している様子だった。

先ほどの若い医師が現れた。
担当のN波と名乗った医師は、脈が弱いのと酸素が足りていないと言った。
パネルに表示される脈は40から50の間だ。
ご家族の方が来たら詳しく説明しますとも言った。

6月1日のこと その2

2009-06-29 22:44:09 | 読んで欲しい度☆☆☆
初めての救急車。
医師と横並びに座り、救急隊員がこちらを向いて座る。
天井まで積まれた医療器具の多さに驚いた。
しかし何より驚いたのは救急隊員と医師のシステマチックな会話だ。
こちらの動揺をよそに話は淡々と進む。
書類を渡され、おばあちゃんに生年月日を聞いて住所と書いた。
フロントガラスから前方を見ると、前の車が左右に分かれて道が出来る。
まだまだ日本も捨てたものでは無いなと変な安心感を得た。

そうしているうちに10分ほどで病院に着いた。
緊急入り口から一番近いドアの無い処置室に運ばれた。
そこには二人の看護師と一人の若い医師が待っていた。
同乗してきた医師が説明をする。
救急隊員はてきぱきと片付けをして処置室を出て行ってしまった。
私はどこにいたら良いのか分からなかったので、2歩ほど下がって廊下らしきところに立っていた。
すると事務の服を着た中年の女性がどこからかやって来て、書類を差し出した。
おばあちゃんの住所と生年月日を書くとその女性はまたどこかへ行ってしまった。

説明をし終えた医師は大きめの声で帰りますと伝えて帰った。
私は仕方がないので前室のコンクリートの壁にくっ付いたベンチに座る事にした。

おばあちゃんを乗せたベッドが処置室の中を右へ左へ右へ動いた。
何が行われているか分からないから、もう任せるしかないという気持ちだ。

すると今度は事務の服を着た若い女性がやって来て、さっきと同じ書類を持って来た。
既に書いた事を伝えると帰っていった。
たらい回しとか医療ミスが起こる原因がちょっとだけ分かる様な気がした。
誰にとっても手続きが煩雑なのだ。

しばらくして、病院服に着替えたおばあちゃんが看護師に押されたベッドに座って出てきた。
移動するらしい。
エレベーターを待っている時、おばあちゃんは『死ぬかもしらんな』と言った。
看護師は微笑んで『大丈夫ですよ』と言った。
私も笑って手を触りながら『大丈夫や』と言った。
顔色も何も普段と変わらなかったので心の底からそう思った。

エレベーターから降りると、看護師から『処置をしますので、ここで待っておいて下さい』と言われた。
見ると、ついたてにはICU待合室と書いてあった。
おばあちゃんは集中治療室に入っていった。

6月1日のこと その1

2009-06-26 22:00:18 | 読んで欲しい度☆☆☆
今から思えば変な日だった。
前の夜、田口ランディの『神様はいますか?』を読んでいた。
その中に『兄が死に、子供が生まれて、父が死んだ。なぜ私は生かされているのか。』という様な文が出てきて、命ってなんだろうと漠然と考えながら眠りについた。

携帯電話が鳴っている。
眠い目をこすり、時計を見るともう昼過ぎだ。
デイケアセンターからだった。

おばあちゃんがデイケアから帰ってくる時、家族の者が玄関でお迎えをしなければいけない。
今日は家の者が出払っているから、近くまで来たら私に電話がかかる様に伝えてあったのだ。
しかし帰ってくるのは夕方のはずだ。

電話口から聞こえてくる声は早口で、寝起きの私にはちょっと分からなかった。
しばらくするともう一度電話が鳴った。
相手は相変わらず早口だが、とにかく聞き取れた事は『救急車で搬送するのですぐに来て下さい』だった。

こういう時は意外と落ち着いている自分に気付いた。
というより事態が飲み込めないので言われるがまま行動するしかなかった。

服を着て、自転車に乗って10分ほどでデイケアに着いた。
95歳になるおばあちゃんはベッドに横になっている。
デイケアが呼んだ医師によると、目眩がしたと言うから脈を測ったところ非常に弱っていたので大事をとって病院に運ぶとのこと。

おばあちゃんの意識はしっかりしているが、思いの外“おおごと”になっていることに驚いている様だ。
程なく救急隊員がやって来て、医師が説明をしている。

デイケアの職員の方に挨拶をして、医師と救急車に向かった。
初めての体験だ。
しかし心配する事は何も無い。
一応、病院で見てもらうんだろうという軽い気持ちだった。

給料日

2009-06-25 11:50:57 | 読んで欲しい度☆☆☆
『給料日前だから節約しなければ』とか『給料が出たから焼肉に行こう』と言うのはもう慣用句になりつつある。

しかしこれは大人としてどうなのかと問いたい。
給料はあらかじめいくらか分かっているはずである。
それで一ヶ月を過ごせば良いのだから、やりくりすれば給料日前に焼肉に行くのは可能だ。
それが大人であることではないか。

これと似たような事が社会で起こっている。
新卒採用だ。
『今年は不況だから少なくしよう』
『今年は好況だから多くしよう』
社会の仕組みとして間違っている様な気がしてならない。
長い目で見れば不況の時も好況の時もあるはずだ。
それを踏まえて人数を決めれば良いのでは?
もちろん微調整は必要だと思うが。