・妻の『ちぃのブログ』も宜しければ併せてお読み下さい。
ブログ読者に人気の記事
おはようございます。
本日は午前6時40分ごろに目覚めました豊田です。
夜更かししたので体が重い。
晩酌を結構しているので、それかもしれない。
ここで「ありがとう」と言います。
ありがとうを言いながら洗面をします。
千鶴さんが変わった夢を見たらしい。
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が、僕が「ありがとう、ありがとう」と言っていると途中で話を止めてしまった。
洗面を終えると座禅を15分ですね。
相変わらずの空想と感覚いったりきたり。
どちらも自動的に働いているがフォーカスしている意識が、どちらか片方にいる。
座禅を終えるとコーヒーを淹れるのだが、千鶴さんが淹れてくれてた。
「濃くない?」と味を確認される。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
そのまま玄関脇で、煙草を吸いながら、読書ですね。
昨日で1冊、読みきったので、今日から新しい本です。
っていっても、前から、もっているのですが、再読ですね。
今日は薄曇の空である。
読み終えて、千鶴さんが用意してくれたおにぎりを食べながらブログ更新中。
うーん、気が利く。
書いていたら、鶏肉と人参のスープも、もってきてくれた!
で、今日も何かありますかいな?
うーんと、昨日から疑問に思っていたのですが、よく読む話で、起きる事しか起きていないというのはストーリー、夢だからだというのがあります。
僕は、ここのところは、イマイチわかりません。
例えば、観照意識が、働き出せば、現実を客体化しているので、自己が、それを含めた周囲と一緒に、まあ、確かにスクリーンに映った夢と言えなくも無い状態になる。
しかし、夢と、ストーリーから目覚めたら、普通は夢がなくなりますが、そんなことはありませんね。
ずっと夢があるわけです。
で、この夢と自己が融合する事のことを僕は書いたりしている。
ところが、よくある教師の方々は、夢から離れて、まあ、擬似自己、というか、いないという自己というか、そのポイントに自己を置いている。
だから、ストーリーは、もう、決まっていて、云々の話しがでてくるのではないか。
と、思うのであります。
このリアルな現実が、夢である、というのが、事実であるならば、まあ、極端な隠遁に至るのも良く分かりますが、そうではなくて、このリアルな現実は、心の反映なのです。
まあ、その心自体が、他者の、自然の現生させてきたものなのです。
だから自己などは存在しない。
しかし、現在意識を持った自己というものは存在しているのです。
つまり派生としての、小さな世界としての自己は、リアルにある。
夢としてみている、その、本当の自己こそが、落ちる、偽者です。
偽者と言うか、なんというか、自我の正体ですね。
どのようにすれば、その観照している意識から、私が抜けるかというと、現実の側が、心と融合する事なのです。
リアルの側が思考を剥ぎ落とすということですね。
そのことで、無我が、あることが理解できて、しかも、無駄もなく、ただ、わからないままに、ここに生かされていると知るんです。
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おはようございます。
本日は午前6時40分ごろに目覚めました豊田です。
夜更かししたので体が重い。
晩酌を結構しているので、それかもしれない。
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が、僕が「ありがとう、ありがとう」と言っていると途中で話を止めてしまった。
洗面を終えると座禅を15分ですね。
相変わらずの空想と感覚いったりきたり。
どちらも自動的に働いているがフォーカスしている意識が、どちらか片方にいる。
座禅を終えるとコーヒーを淹れるのだが、千鶴さんが淹れてくれてた。
「濃くない?」と味を確認される。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
そのまま玄関脇で、煙草を吸いながら、読書ですね。
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っていっても、前から、もっているのですが、再読ですね。
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うーんと、昨日から疑問に思っていたのですが、よく読む話で、起きる事しか起きていないというのはストーリー、夢だからだというのがあります。
僕は、ここのところは、イマイチわかりません。
例えば、観照意識が、働き出せば、現実を客体化しているので、自己が、それを含めた周囲と一緒に、まあ、確かにスクリーンに映った夢と言えなくも無い状態になる。
しかし、夢と、ストーリーから目覚めたら、普通は夢がなくなりますが、そんなことはありませんね。
ずっと夢があるわけです。
で、この夢と自己が融合する事のことを僕は書いたりしている。
ところが、よくある教師の方々は、夢から離れて、まあ、擬似自己、というか、いないという自己というか、そのポイントに自己を置いている。
だから、ストーリーは、もう、決まっていて、云々の話しがでてくるのではないか。
と、思うのであります。
このリアルな現実が、夢である、というのが、事実であるならば、まあ、極端な隠遁に至るのも良く分かりますが、そうではなくて、このリアルな現実は、心の反映なのです。
まあ、その心自体が、他者の、自然の現生させてきたものなのです。
だから自己などは存在しない。
しかし、現在意識を持った自己というものは存在しているのです。
つまり派生としての、小さな世界としての自己は、リアルにある。
夢としてみている、その、本当の自己こそが、落ちる、偽者です。
偽者と言うか、なんというか、自我の正体ですね。
どのようにすれば、その観照している意識から、私が抜けるかというと、現実の側が、心と融合する事なのです。
リアルの側が思考を剥ぎ落とすということですね。
そのことで、無我が、あることが理解できて、しかも、無駄もなく、ただ、わからないままに、ここに生かされていると知るんです。
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