・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。
おはようございます。
本日は6時10分ごろに起床して洗面、座禅15分、無事行いました。
千鶴さんとアニメの楽曲を歌いながら楽しく歯磨き。
ルパン3世のテーマ。
出だしで、ルパン・ザ・サードと鳴っていると千鶴さんが言う。
てっきりルパン、ルパーンと言っているのかと思っていた。
ここまでは順調だったのだが、そこから、洗濯物のポケットを見るという、僕のいつもの業務が追加され、そのあとで、僕が妻の大好物である『ポテトチップス』を齧っているので、バトルというか、僕が色々言って、嫁が怒るという、いつものパターンに突入。
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そのあとで座禅をしたので怒りパワーが胸の中をぐるぐるしていましたw
座禅を終えて読書をするのだが、今朝も寒くて、玄関脇に置きっぱなしになっていたコーヒーカップの中の水が凍っていた。
煙草を吸いながらコーヒータイムでもあるのだが、ライターの火がつかず、家へ入る。
読書を終えてから悠聖にヨーグルトをあげたり、嫁様に謝ったりしてからブログ更新しておりまする次第にございます。
で、本日は『違い』について書きたいと思うのであります。
世の中では様々な違いがあって、個性があって、喧嘩しているわけですが、それが集団規模の催眠にかかってしまうと戦争という、人類最大の惨禍が始まるのです。
つまり、他人の頭を叩き割るという行為が、始まるのです。
個人では絶対にしないような残忍な行為が、なぜか集団心理というものが働くと、私は「仕事」しているだとか、「任務を遂行」しただとか、また「正義」のための戦いだとか、まあ色々な大義名分という名の元に、これが始まるのですね。
見よ。自ら武器を持った、その恐怖によって、彼らは戦うのである。
という他者への恐怖心から、錯乱した集団なのであります。
この集団同士の戦争を終結させて平和になることが人類最大の悲願であり、最高に幸せな地球にする「神仏」への最大の貢献なのであります。
ここでは個人同士の心理ではなく集団心理が問題になっているのです、個人同士の個性があって、それぞれがオリジナルな本質を生きていることは問題ないのですが、そこに様々な考えを、ひとつの主義主張、また○○中毒へと統一させるという「頭でっかち」な統一作用が起こるといけないのであります。
つまり、ここではひとつの思想の元に、個性が死んでしまうという、事象が起こっているのでありますね。
例えば、真理にしても、個人が追求するべきものなのです。
リアルに、ここにある真理は、他人から与えられるものではないのです。
ただ、独り歩め!
と、釈尊は、というか仏典は言っているのです。
つまり他者の意見は尊重しなくてはいけませんが、元々、自分しかいないのですから、違いを認めた上で、自分は自分を生きるしかないのです。
集団心理が効果を出すと、区切られた社会、空間の中でしか通用しない「真理もどき」が生まれて、それを元に他者を裁くという病的傾向が必ず生まれるのです。
違いを認めるには、独りで真理を感得しないといけないのです。
いまここにある事実は、本来は、誰にとっても差別がないもので、無条件にあるものなのであり、出来事にも、主義や中毒にも、左右されないのです。
天上天下唯我独尊だからです。
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おはようございます。
本日は6時10分ごろに起床して洗面、座禅15分、無事行いました。
千鶴さんとアニメの楽曲を歌いながら楽しく歯磨き。
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出だしで、ルパン・ザ・サードと鳴っていると千鶴さんが言う。
てっきりルパン、ルパーンと言っているのかと思っていた。
ここまでは順調だったのだが、そこから、洗濯物のポケットを見るという、僕のいつもの業務が追加され、そのあとで、僕が妻の大好物である『ポテトチップス』を齧っているので、バトルというか、僕が色々言って、嫁が怒るという、いつものパターンに突入。
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座禅を終えて読書をするのだが、今朝も寒くて、玄関脇に置きっぱなしになっていたコーヒーカップの中の水が凍っていた。
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で、本日は『違い』について書きたいと思うのであります。
世の中では様々な違いがあって、個性があって、喧嘩しているわけですが、それが集団規模の催眠にかかってしまうと戦争という、人類最大の惨禍が始まるのです。
つまり、他人の頭を叩き割るという行為が、始まるのです。
個人では絶対にしないような残忍な行為が、なぜか集団心理というものが働くと、私は「仕事」しているだとか、「任務を遂行」しただとか、また「正義」のための戦いだとか、まあ色々な大義名分という名の元に、これが始まるのですね。
見よ。自ら武器を持った、その恐怖によって、彼らは戦うのである。
という他者への恐怖心から、錯乱した集団なのであります。
この集団同士の戦争を終結させて平和になることが人類最大の悲願であり、最高に幸せな地球にする「神仏」への最大の貢献なのであります。
ここでは個人同士の心理ではなく集団心理が問題になっているのです、個人同士の個性があって、それぞれがオリジナルな本質を生きていることは問題ないのですが、そこに様々な考えを、ひとつの主義主張、また○○中毒へと統一させるという「頭でっかち」な統一作用が起こるといけないのであります。
つまり、ここではひとつの思想の元に、個性が死んでしまうという、事象が起こっているのでありますね。
例えば、真理にしても、個人が追求するべきものなのです。
リアルに、ここにある真理は、他人から与えられるものではないのです。
ただ、独り歩め!
と、釈尊は、というか仏典は言っているのです。
つまり他者の意見は尊重しなくてはいけませんが、元々、自分しかいないのですから、違いを認めた上で、自分は自分を生きるしかないのです。
集団心理が効果を出すと、区切られた社会、空間の中でしか通用しない「真理もどき」が生まれて、それを元に他者を裁くという病的傾向が必ず生まれるのです。
違いを認めるには、独りで真理を感得しないといけないのです。
いまここにある事実は、本来は、誰にとっても差別がないもので、無条件にあるものなのであり、出来事にも、主義や中毒にも、左右されないのです。
天上天下唯我独尊だからです。
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