・初めての方は、こちらもどうぞ!→『ようきてな』
・豊田真大の自伝『超個人的疑問』はこちらです。
・嫁の『ダラックマのブログ』も良ければ一緒にお読みください。
こんばんは!
「それ」が望むものを常に愛で満たす皆様。
本日は14時半ごろに起床して座禅1時間を無事に終えました。
相変わらずの姿勢、筋肉の緊張、悪想念、妄念、心の痛み、憎しみ、等々の連想大爆走の状態ですが、戻していきます。
心の調整をするのが座禅ですかね。
そのあとで『グルジェフ弟子たちに語る』の読書です。
肉体・本質・人格のお話。
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肉体とは遺伝されてきた、動作する、この体ですね。
本質は、感覚と感情による情緒の働きですが、これは生まれもったもの、気質です。
人格とは、読んだり、聞いたりしたことから形成された自分ではないものです。
思考・感情・動作・本能・性の各中枢が、この肉体・本質・人格に影響していますが、これはイコールではないですね。
そして思考、感情、肉体(動作・本能・性)の中枢が3つの魂を著している。
どうも勘違いしていたようですが、グルジェフさんによれば、連想は、どの魂にも、発生していて、これが途絶えることは、即、死に繋がると書かれています。
これに対して、連想器官というのは、この各中枢の働き、連想に対応している機関であり、これには生命が無く、機械なのだとしている。
この機械は現在自己意識のことだろう。
この連想器官は、肉体・感情・思考の魂の記憶テープから生まれた連想を、ラベリングしてある場所から、適当な対応を引き出している。
ということは、僕が、胸から溢れてくる、悪想念と思っていたのは、感情中枢の連想を、処理している部分だけを指していて、そのほかにも、肉体中枢・思考中枢の連想を処理しているということだろう。
ここに『迷い』『怒り』『欲望』があって、これが、エゴ(連想器官)をして、生きているという錯覚を生ませているようだ。
この思考は本来の役割は、霊の声を、各中枢に到達させることである。
このように思考が→感情・肉体の『悪魔』を導ける状態へ移行することによって、なすことができる人間になるのである。
なったのではなく、起こったのではなく、意図的に望む行為を実現することができるようになるためには、心と体を変えなくてはならないということだ。
この変えるのは、肉体の緊張と、感情の感覚と情緒であるが、これを理性によって達成しようというのが、グルジェフさんの目指した方向である。
しかし、これは、無理なのだ。
肉体と感情と知性の中枢が別々であり、これに目覚めることは、どうしても必要なことであって、この着眼点と言うか、教えは、凄まじく、素晴らしい。
が、この内の、変化を及ぼすワークについては、統制では不可能なのである。
変えなくてはならないのは、感覚と感情である。
この変化はエネルギーによって為されるのであるから、このエネルギーをどのように生み出すかに力点を置かなければならないのだ。
自己を客観的に見ること、自己同一化の解除と、自己想起は肉体と感情に対する働きかけであるが、これは、意識と心を自己から引き剥がす作業である。
そうして自己が、つまり、エゴが解放されたときに、魂の側が、生きるということを目指していたのがワークであるが、この方法は、エゴの無い人になって、初めて生きてくる手法であって、普通に生きている、つまり、我々には適さないのである。
この高度な、修練を、普通の人に広めることも意味が無いし、また、この手法自体が、欠陥を抱えているのであるが、それは、過激さである。
自己破壊の衝撃が、眠りを突破させるのではなく、愛の力が突破させるのだ。
反応体の仕組みである、肉体→感情→思考→魂が、魂→思考→感情→肉体になる必要はないのである。
このようなものは、エネルギーの波によって、到達可能なものなので、思考センターにそれを記憶させる必要はなく、逆に有害になる。
到達してから、可能であることを、そうでない人に、伝えようとしても不可能だ。
しかも、可能であるというだけのことで、そうする必要も無いことなのである。
この世界で『為す』必要は無いのだ。
なぜなら、元々、この世界は、あなたの、あなただけの物語だからである。
エネルギーの波は、手放すことによって到達するのであって、意図的行為が、それを為すことなど絶対にない。
であるからして、悪魔ベルゼバブの手法は、感情の崩壊である。
ワークは絶望させることに主眼があるのであって、自己を想起すること、意図的に苦悩をすることが、その戦闘を激化するように常に煽るのである。
ついに崩壊の瞬間がきて、ワークは捨てられるが、その理論は、なんと、崩壊後も行き続けるのだ!!!!
だが、それは必要の無いことなのだ。
優しく包まれた記憶があるだろうか?
その空気感が、この世界を、満たしているとき、宇宙と人間、また、その眠りの意識、それぞれの認知、すべてが放たれていく。
アートマンもブラフマンも、神も仏も、悟りも、自覚も、目覚めも、天国も地獄も、そのほかにある生も、死も、病も、老いも、一切の認識が、、、
一切の戯論が宿滅したとき、無所有の境地が現れるという。
あなたは、どこにも、いないのだ。
無我であるのだから、元々、純粋にして穢れなどないのである。
この無我であるというのは、生きていることである。
この生きている世界に、あなたは、もともといないのだ。
それが、不生無始のわたしである。
大空と魂の認識や、わたしは在るの状態でさえ、すべて夢なのだ。
が、生きているwwww
宇宙と人間の、この奇蹟!!!!
この生きている世界、瞬間は、2度とやってこない、神の、贈り物なのである。
驚くべき、神々の、技であるが、その神々とは、あなたのことなのである(爆笑)
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「それ」が望むものを常に愛で満たす皆様。
本日は14時半ごろに起床して座禅1時間を無事に終えました。
相変わらずの姿勢、筋肉の緊張、悪想念、妄念、心の痛み、憎しみ、等々の連想大爆走の状態ですが、戻していきます。
心の調整をするのが座禅ですかね。
そのあとで『グルジェフ弟子たちに語る』の読書です。
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肉体とは遺伝されてきた、動作する、この体ですね。
本質は、感覚と感情による情緒の働きですが、これは生まれもったもの、気質です。
人格とは、読んだり、聞いたりしたことから形成された自分ではないものです。
思考・感情・動作・本能・性の各中枢が、この肉体・本質・人格に影響していますが、これはイコールではないですね。
そして思考、感情、肉体(動作・本能・性)の中枢が3つの魂を著している。
どうも勘違いしていたようですが、グルジェフさんによれば、連想は、どの魂にも、発生していて、これが途絶えることは、即、死に繋がると書かれています。
これに対して、連想器官というのは、この各中枢の働き、連想に対応している機関であり、これには生命が無く、機械なのだとしている。
この機械は現在自己意識のことだろう。
この連想器官は、肉体・感情・思考の魂の記憶テープから生まれた連想を、ラベリングしてある場所から、適当な対応を引き出している。
ということは、僕が、胸から溢れてくる、悪想念と思っていたのは、感情中枢の連想を、処理している部分だけを指していて、そのほかにも、肉体中枢・思考中枢の連想を処理しているということだろう。
ここに『迷い』『怒り』『欲望』があって、これが、エゴ(連想器官)をして、生きているという錯覚を生ませているようだ。
この思考は本来の役割は、霊の声を、各中枢に到達させることである。
このように思考が→感情・肉体の『悪魔』を導ける状態へ移行することによって、なすことができる人間になるのである。
なったのではなく、起こったのではなく、意図的に望む行為を実現することができるようになるためには、心と体を変えなくてはならないということだ。
この変えるのは、肉体の緊張と、感情の感覚と情緒であるが、これを理性によって達成しようというのが、グルジェフさんの目指した方向である。
しかし、これは、無理なのだ。
肉体と感情と知性の中枢が別々であり、これに目覚めることは、どうしても必要なことであって、この着眼点と言うか、教えは、凄まじく、素晴らしい。
が、この内の、変化を及ぼすワークについては、統制では不可能なのである。
変えなくてはならないのは、感覚と感情である。
この変化はエネルギーによって為されるのであるから、このエネルギーをどのように生み出すかに力点を置かなければならないのだ。
自己を客観的に見ること、自己同一化の解除と、自己想起は肉体と感情に対する働きかけであるが、これは、意識と心を自己から引き剥がす作業である。
そうして自己が、つまり、エゴが解放されたときに、魂の側が、生きるということを目指していたのがワークであるが、この方法は、エゴの無い人になって、初めて生きてくる手法であって、普通に生きている、つまり、我々には適さないのである。
この高度な、修練を、普通の人に広めることも意味が無いし、また、この手法自体が、欠陥を抱えているのであるが、それは、過激さである。
自己破壊の衝撃が、眠りを突破させるのではなく、愛の力が突破させるのだ。
反応体の仕組みである、肉体→感情→思考→魂が、魂→思考→感情→肉体になる必要はないのである。
このようなものは、エネルギーの波によって、到達可能なものなので、思考センターにそれを記憶させる必要はなく、逆に有害になる。
到達してから、可能であることを、そうでない人に、伝えようとしても不可能だ。
しかも、可能であるというだけのことで、そうする必要も無いことなのである。
この世界で『為す』必要は無いのだ。
なぜなら、元々、この世界は、あなたの、あなただけの物語だからである。
エネルギーの波は、手放すことによって到達するのであって、意図的行為が、それを為すことなど絶対にない。
であるからして、悪魔ベルゼバブの手法は、感情の崩壊である。
ワークは絶望させることに主眼があるのであって、自己を想起すること、意図的に苦悩をすることが、その戦闘を激化するように常に煽るのである。
ついに崩壊の瞬間がきて、ワークは捨てられるが、その理論は、なんと、崩壊後も行き続けるのだ!!!!
だが、それは必要の無いことなのだ。
優しく包まれた記憶があるだろうか?
その空気感が、この世界を、満たしているとき、宇宙と人間、また、その眠りの意識、それぞれの認知、すべてが放たれていく。
アートマンもブラフマンも、神も仏も、悟りも、自覚も、目覚めも、天国も地獄も、そのほかにある生も、死も、病も、老いも、一切の認識が、、、
一切の戯論が宿滅したとき、無所有の境地が現れるという。
あなたは、どこにも、いないのだ。
無我であるのだから、元々、純粋にして穢れなどないのである。
この無我であるというのは、生きていることである。
この生きている世界に、あなたは、もともといないのだ。
それが、不生無始のわたしである。
大空と魂の認識や、わたしは在るの状態でさえ、すべて夢なのだ。
が、生きているwwww
宇宙と人間の、この奇蹟!!!!
この生きている世界、瞬間は、2度とやってこない、神の、贈り物なのである。
驚くべき、神々の、技であるが、その神々とは、あなたのことなのである(爆笑)