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豊田真大のVOICE OF JOKER

僕たちはひとりではない

自己を犠牲にしてはならない

2017-06-01 07:18:13 | 日記
おはようございます。

本日は多少、余裕のある更新ができそうです。

いつもの通り母親の家のパソコンを借りています。

チーズトーストを食べながら、もぐもぐと書きだしました。

このごろ、すごいお腹がすく。

父親はトイレから出てきて、立ったままテレビを見つめている。

GPS衛星の特集みたいだ。

時計はジジイッジジジジジジジジと秒針を刻む。

こんな変わった音の時計、よく見つけるよなw

口の中にチーズの味が残っていて、なんとなく満足感がある。

今日は外の光が少し曇って見える。

パソコンの左後ろに置いてある腕時計も秒針の音があるのかトッ、トッとゆっくり時を刻む。

差があるなあ。

母親がキャベツとレタスに虫が付いたと言って不満げにしている。

髭を剃ったのか、顔洗ったのかと父親に訪ねている。



さて、本日は、深夜から眠っていませんorz

またしても昨夜は残業から帰って、即、眠ってしまい、たぶん0時ごろに起きてきたと思う。

そこからボケーっとスマホと読書をしていたが、眠ろうと思っても眠れない。

部屋を真っ暗にして、目を瞑っているのだが、なにか興奮しているのか、体の中から訳の分からない落ち着きのなさが……。

ぐわーっと大の字に成ったり、手足をバタバタさせて、それを解消しようとしても無理。

結局、まあ寝転んではいたが眠れず。

朝方にお風呂入ってから坐禅に移行しました。

40分。

こちらの坐禅も、今日はなぜか全く落ち着きがなく、妄念は凄いは、姿勢は固いし、リラックスもできず。

なんとか粘っていましたが、この、よく分からない心の暴れようは静まりません。

まあ、それでも、一応は変な感覚の認識はあったので、座らないよりはマシなのだろうか。

顔の左側から肩にかけてと、頭、それに腹から胸にかけて、更に、足の指などの感覚が乏しく、また左右前後の体のバランスが悪すぎる。

重症です(笑)

まあ、しばらく続けるとマシにはなると思いますが、忘れちゃうからなあ人間。

感じないと、知らない間に、とても悪くなったりする。

この知らない間にというのは怖いものだ。


で坐禅を終えると読書ですね。

ベルゼバブの孫への話の、今回は、生贄の儀式を減らすために地球に降下していくところ。

すべての呼吸あるものを愛せよ!

ということで、まあ、そうは言っても食べねばならぬわけだが、感謝は必要だよね。

そういう生物があるおかげで、我々は生かされているわけだから。

ここで独立心のある生き物をグルジェフさんは褒めてますねー。

ライオンとか猫の独立心は、生物として優れている、理性の段階が高いというわけだ。

これは、つまり人間も、自立したものと、そうでないものでは、理解の幅が違うことも含まれるかもしれない。


で、読書を終えると母親の家で食事です。

納豆ご飯と味噌汁、鮭瓶、チーズトースト。

食べてから外で煙草一本吸って、更新に来たわけでありますね。


さて、時間が乏しくなりました(笑)

この自分自身を生きるということを、思い出したのですが、ここで、心の迷いが、苦しみとなっている。

その迷いを取るには、止める事であるが、心活動が停止して、この自然がグワッと分離なく自己の中で鳴り響く時。

この時に自然が爽快に駆け巡るわけだが、しかし、この心理の側も、同じ自然である。

つまり命は、ここにあるのだ。

そのときに問題は、この自己を排除して、無視してしまうことである。

この自己の働きと相手の働きが、区別なく、ここで巻き起こっている。

私は、この相手と同等なのだ。

つまり相手を繊細に思いやる時、自己を犠牲にしてはならない。

この普段の自己も、その相手に含まれるのである。

これは、つまり、繊細に思いやるのは、全体としての生命、つまり自我活動をも含めた、これらすべてなのだ。

そのすべてが、諸行無常に「新鮮に」この私の生命を生きている訳である。

であるからして、この自己とは、人間の悪徳である自己中心主義を脱してはいるが、この自己に沸き起こる自然なる想いや感情をも、自然と見て、相手と自己の差別なく、ここに慈悲があると言うことが大切である。

この、自己、つまり私は、私のものではないが、それを抹殺してはならない。

そこも含めての全体、それに対して、確実性が突き抜けた時、つまり、確かなるものであるということから外れた時、この現実が、夢となると共に脱力し慈悲が現れるが、その愛の力は、この、元の自己にも注がれる。

相手と自己は同等でなければならない。

ひとつらなりの、まるっと繋がった、生命の実物。

その完成は、ここにあるだろう。


ってことで仕事行ってきまーす。

また時間がやばい(笑)

安心できれば、なんだっていい

2017-05-31 07:42:42 | 日記
おはようございます!

本日は寝すぎました笑

坐禅も読書もしておりません。

起きてきて、ご飯食べただけという。

まあ即席瞑想はしましたが、これだけだと姿勢はよくならないだろうなあ。

昨夜、0時半ごろに目が覚めて、3時ごろまで起きてたのが原因。

時間ないけどブログは簡易更新、焦りながら。


安心を与えるのは、悩みを取るということで、その悩み、つまり迷いは、煩わしく思うことから生じている。

この想いの中で苦しむのは、自分が恐怖していることが、あるからだろう。

そこに安心を与える、つまり、その恐怖をとり、悩みを減らすのが、逆に、悩ませる人なんかもいるわけだ。

これが真理ですと歌いながら笑

それは、その人が解放のイメージをもって、そのイメージから語るからである。

ほんとうは、人は、それぞれ、抱えているものが取れれば、それだけで優しくなるw

しかし、一応、伝統的に受け入れることが、こころの重荷を外すことなのだ。

いまここもそれなのだが、もし、煩わしくなれば、捨てて構わない。

不動の安心は、信念には寄らないし、人によって在り方は様々であっていいからだ。

そして誰もが、自己から解放されうるが、それは自分が消失することではない。

自己の思い込みが外れるだけである。

ナンチャッテww

まあ遅刻しそうなんで行ってきます。

またー!

templeめちゃいいよ、オススメデス

2017-05-30 06:49:18 | 日記
おはようございます。

2、3日きちんと更新できていませんでしたが今日は書けそうです。

また母親の家にいます。

まあ母親の家と言っても隣なので、同じ家みたいなものですがw

今朝は何か清々しい空気感があって、なんとなく機嫌がいいです。

父親がNHKのニュースを見ていて笑っている「フファファファファ」

母親は「長いこと噛んどらなアカン」と何か怒っている。

この関係性が僕の内面にも現れているとは、夢にも思っていないだろう苦笑

洗濯機の回っている音がする。

時計は今日はドドドドドドドドと秒針を刻んでいるように聞こえる。

空気が気持ちいい。

淡い光と静けさがあり、なにかに溶けている。


で、まあ今日は深夜の2時半に目が覚めると言うおかしなことにw

疲れすぎていて、残業終えて帰ったら、ご飯食べて速攻寝ていたからだろう。

起きてからも、やる気が出ず、寝転んで大の字になって扇風機強風で当たってボケーっとやってましたwwww

なんも考えずにボケーっとするのが好きなのですwwwww

それからモンスターストライクというスマホのゲームで遊んでいました。

2時間ほどだらだらして、ようやく動く気力が多少出たので、坐禅をします。

45分間。

なんか一昨日、車の移動中にちらっと聞いた話では40分が定番みたいなので変えようかなあ。

坐っていて、まあ、良い感じ。

自分がいるのが、繋がっている、このことが大切かもしれない。


それから読書ですね。

またしても『ベルゼバブの孫への話』を読んでいるのですが、ちょっと難しい章だったので全く理解不能(笑)

でも、その中でも何か感じられるものがある。

頭と背中と神経。

これは光と闇と空白のような関係性なのだが、この、3つのセンターが一つになることが大切である。

たぶんだがw


で、読書を終えてからブログを書いている次第であります。


さてさて、せっかくtemple初名古屋開催@瑞因寺に行ってきたので感想というのか、どのようだったか書き残しておこう。

いやあ、昨日も書いたけど、ほんとに良かったですよ。

12時過ぎの電車で亀山を出て、瑞因寺に着いたのは開始ギリギリの14時50分過ぎだったと思います。

なにしろ桑名から乗り換えて、冨吉ってとこで普通に乗り換えて、戸田でおりたら切符がJRで精算できなくて焦り、そこからバス停までめちゃ遠いし、
バス停で待ってたらバス来ないしwwww

ボールペン買うの忘れてたから、ダイソー寄って、歩くのだが、マップ見ながらだからね。

あ、そうだ。

電車の中では藤田一照さんとの対話である「つながりを楽しんで生きること」をずっと読んでいたwww

やばいやばい、今日のテーマじゃないかと苦笑

しかも、そういえばこの日も二日酔いだったではないか。

常に、なにかあると二日酔いで参加している気がしてきたw

大和田さんの時もそうだったしね。


で、遂にお寺について緊張ドキドキ、汗だらだらで中へ。

入口が分からなかったので、こちらでいいですかーと覗いたら小出さん、いらっしゃった。

めちゃナチュラル。

ていうか緊張してアタフタw

そして、まあ、受付を済ませてボケーっと座っておりました。

何か観察していると、お坊さんらしき服装の方がちらちら見える。

なんか、あの独特の、丁寧で親切な雰囲気が全身からみなぎっている人がwww

おお、なんか嬉しい。


で時間になって、小出さんとご住職の飯田さんのお話。

青虫が蝶になるには、青虫は溶ける。

ということと、確か青空と雲のお話しだったと思います。

えーっと、ああ、僕は知らなかったのですが、藤田一照さんと山下良道さんの「アップデートする仏教」という本があるらしく、その辺に詳しい人たちがたくさん見えて、それでお坊さんが多かったようです。


それから対話の説明があって各グルーブに分かれて対話。

最初は『つながりを楽しんで生きること』に関して、好きな人たちと4人か3人に分かれて、お話ししました。

青虫が溶けるなら、一体、青虫には何の意味があったのか。

しかし、青虫がいて蝶になるのだから、青虫は消えるが、意味があったのかもしれない。

日常の中では「偶然の一致」があり、自分の見方で良い面も悪い面も気が付きやすいので意識して「よく見る」こと。

お釈迦様が、後ろからいきなり殴られて、おおっ!? と思うが、相手の人がどうしたのかが気になる。

そのように人との関係を築くのは結構難しそうだけど、これは今の僕にはヒントになる言葉でしたね。

まあ僕が、自然と無限との一体の話はよく分かるけど、普通の日常の人間関係で「つながりを楽しんで生きること」が難しいと切り出したので、いろいろアドバイスしてもらってる感じになってましたw

このことは結構、この日の僕にはテーマでしたね。


話している間、飯田さんと小出さんが、各グループの周りに来てくれますが、ニコニコしてて気持ちいい。

そう言えば龍泉寺の坐禅会に参加した時も、かなり爽やかな表情の人たちが多かったのを思い出した。

表情が『晴れ』なんだよね、なんかw


それから休憩。

僕は煙草吸いに外へ行ってたら、タイミングよく吸う人が見えたので灰皿借りて少し会話。

まあ灰は自然に帰しときましょうwww

何気に深かったという(笑)


みんな馴染んできて阿弥陀様とか欄間の造り? みたいな会話を楽しんでいたのを後ろで聞いていたw


あ!

そうだそうだ忘れていたけど、最初に念仏をみんなで唱えて、焼香もしました。

なんか、ああいう雰囲気は、いい。

やっぱりお寺で、環境が整っているし、来ている人も、みなさん空気感がある人たちだからね。


で、休憩後は「いのち」に関する対話で自由に話すことになってました。

グループを変えて新しい人たちでしたが、なんと、またしてもお坊さん(笑)

普段着の方だったので分からなかったのですけど、話してみたらそうだったのであります。

自然と仏教の話へ。

ほとんどお坊さんと話したことなんかないので異様に緊張してしまうw

それで気が付いたのだけど、結構、お坊さんは、今のお寺のあり方とかに疲れてるのかもしれない。

坐禅を長時間していると床が波打ってきたり、様々なすごい光景を目にするらしいが、みんな共通していることが多い。

仏教は後からいろいろと加わって複雑化しているが、基本は四諦八正道だから、それを理解すれば、そこまで難しくはない。

僕は何を話したかなあ。

仏教に興味を持つきっかけを聞かれたけれど、思い出しても、これっていうのがないwwwww

何がきっかけだったのかな?

んー、全く分からないw

あと禅とか念仏とかだとイメージがあるけど仏教となると巨大すぎて分からないなど。


あっという間に時間が来て終了。


非常に、よかった。

この形式って、行く前は、あまり期待していなかったのだが、ほんとに出会いっていいものだと思えます。

『素』の自分ねw

これがキーだと思いましたね!


なんとラッキーなことに懇親会もあって、みんなで世界のやまちゃんで手羽先いただきました。

まあ僕は、ここでいつものポンコツの、ただの酔っ払いと化してましたがwwwww

でも小出さんとも、お坊さんたちとも、自然な会話ができて、ほんと楽しかったああああああ。

阿闍梨とか禅僧さんとか、ミュージシャンのお坊さんとか、誠実そうに親鸞さんについて語る方とか、仏教に超詳しい人とか色々様々。

んー、まじで楽園(笑)


そして、ここで僕は久しぶりにこの言葉を聞きました。

『自分最高! 自分大好き』

これですw

それで、まあ、また思い出しましたが、ひとつになるときに自分を排除してはいけませんよ。


つまり対象と自己がひとつというのは、自己が対象にまた対象が自己に、まるっと繋がることなのですから、どちらがが消えるわけではないのです。

しかし、その二つが一つであり、どちらもが平等に在る時に、その狭間に、真の理解が、つまりないけどあるあるけどないそこが現れるのですwwww

しかし、それを掴むことも知ることもできません。

このつながりの結果、形のないものが、その周囲の変化によって、形あるものに見える。

そのようなものなのです。


ですから、僕は思い出しました。

自分を排除するのではなく、自分があり相手があり、自己と世界のお互いがありつつの融合、つまり境目のないところが、その境目から生まれる。

まあ、分かりにくい表現かもなあ。


という訳で、さんざん酔っぱらって、いろいろ食べて遊んで、名古屋をあとにしたのでした。


出会ってくれた皆様、ほんとうにありがとう!


ってことで、仕事の時間が例によってやばいので、行ってきます。

またねー!


だるいw

2017-05-29 07:32:54 | 日記
おはようございます。

今日はスマホからです。

飲みすぎてだるいww

昨日も相変わらずのポンコツを見せてしまいましたが非常に楽しかった。

お坊さん、めちゃたくさん。

小出さんもすごく空気感がよくて、居心地のいい時間を過ごせました。

自分最高とか、はたまた、素の自分を出すとか、言葉や思考の前、元々の自然な姿に戻るとか、いろんな話ができた。

まあ仕事なんで、あんまり長く書けないけど、非常に素晴らしく、よかったw

まあ今日もがんばりますかね!

ほいでわー