こんばんは。
本日はかなり出勤時間が迫っているので短くなるかもしれませんが、更新します。
母親の家で焦り気味にキーボードを叩いている。
テレビで「シートベルト」の重要性を語る声がしている。
交通事故は悲惨なのにルールを守る人は少なかったりすると思うが「なんとなく」っていうのがあるだろうな。
みんなしてるとかね。
母親が「あ、味噌汁、真大、あんに」と言っている。
もはや飲んでいる時間は無い。
「あんた車のキーは?」と不機嫌そうにつぶやく。
この不平不満とヒステリック傾向は、もう30年以上前から同じだろうと想像するw
今日は時計の音がしている。
ジジジジジとトンッ、トンッ、トンッ。
体が疲れていてだるさを感じる。
喉に痰が絡んでいるような感じで調子が悪い。
光は夕方らしいが、寂し気で暗く感じる。
雄大な夕陽の時と、この薄暗い時とあるが、なにか灰色を感じるのは好きではない。
さて本日は16時半ごろにО先輩の電話で起きました。
手伝ってほしいことがあるのですが、僕は、仕事が被っているので難しそうです。
とりあえず電話を終えて「眠りすぎた」と考えながら煙草を吸い、スマホをのぞく。
それから坐禅40分です。
今日はちょっと精神的に安定していなかったのですが、落ち着けようとがんばっていたので、マシでした。
いつもの延々と続く他者への批判や、心配事への対応はあとでいっぱいさせてあげるからと、頭さんに語るのであります。
それでまあ、粘っていたので、まあまあでしたね。
このときに、リラックスできないのであれば、普段は、もっと難しい。
それが、なぜか、できていると錯覚するのだから人間は怖い生き物である。
自分の小指が負傷していても、まったく気が付かず、どこでしたかすら分からない。
そういう中でも「注意深く自己を思い起こしている」と頭は思い込んでいるというザマである(笑)
昨日の僕の実話ですw
ほんで、読書ですね。
ベルゼバブの孫への話ですが、バビロニアの知識人の話から遂にアシアタシーマッシュの登場までやってきました。
非常に聖なる個人。
バビロンで魂があるかないかの議論が絶頂に達している話。
一方は『二元論』であり、魂はあり死後は形態が変わるがある。
一方は『無神論』であり、魂などはなく「ひとつの法則」があるだけである。
これは現代でも宗教間の対立で鋭く現れている問題ですね。
まあ天国と地獄があり、その生前の行いにしたがって、神がしかるべき場所へ送るみたいなのと、そんなものはなく因果があるのみっての?
これは、まあグルジェフさんなら「魂は完成する可能性が与えられているが、そうでないものは無に帰すだろう」とか言いそうだな。
しかし、この辺りの理論に空想をたくましくした結果、数々の真理が生まれ、その『真理』なるものがバビロンを永久に破壊するのであった。
ここでの要点は、人間の理性は、どんなものでも真理と納得してしまうと言うことである。
トウモロコシが世界だと言われても証明されうるwwwwwwww
で、そのあとで母親の家で食事を済ませ、ブログ更新しているのでした。
山芋とマグロの丼、めちゃうまかった!
て、ことで、もう1分くらいしか猶予がありませんので、いつもの宗教トークは一言でw
その認知の先にあるのではなく、認知される以前に在るもの、なにもせずとも、そこにいる、そこが、人間の本性である。
ほいでわー、また!
本日はかなり出勤時間が迫っているので短くなるかもしれませんが、更新します。
母親の家で焦り気味にキーボードを叩いている。
テレビで「シートベルト」の重要性を語る声がしている。
交通事故は悲惨なのにルールを守る人は少なかったりすると思うが「なんとなく」っていうのがあるだろうな。
みんなしてるとかね。
母親が「あ、味噌汁、真大、あんに」と言っている。
もはや飲んでいる時間は無い。
「あんた車のキーは?」と不機嫌そうにつぶやく。
この不平不満とヒステリック傾向は、もう30年以上前から同じだろうと想像するw
今日は時計の音がしている。
ジジジジジとトンッ、トンッ、トンッ。
体が疲れていてだるさを感じる。
喉に痰が絡んでいるような感じで調子が悪い。
光は夕方らしいが、寂し気で暗く感じる。
雄大な夕陽の時と、この薄暗い時とあるが、なにか灰色を感じるのは好きではない。
さて本日は16時半ごろにО先輩の電話で起きました。
手伝ってほしいことがあるのですが、僕は、仕事が被っているので難しそうです。
とりあえず電話を終えて「眠りすぎた」と考えながら煙草を吸い、スマホをのぞく。
それから坐禅40分です。
今日はちょっと精神的に安定していなかったのですが、落ち着けようとがんばっていたので、マシでした。
いつもの延々と続く他者への批判や、心配事への対応はあとでいっぱいさせてあげるからと、頭さんに語るのであります。
それでまあ、粘っていたので、まあまあでしたね。
このときに、リラックスできないのであれば、普段は、もっと難しい。
それが、なぜか、できていると錯覚するのだから人間は怖い生き物である。
自分の小指が負傷していても、まったく気が付かず、どこでしたかすら分からない。
そういう中でも「注意深く自己を思い起こしている」と頭は思い込んでいるというザマである(笑)
昨日の僕の実話ですw
ほんで、読書ですね。
ベルゼバブの孫への話ですが、バビロニアの知識人の話から遂にアシアタシーマッシュの登場までやってきました。
非常に聖なる個人。
バビロンで魂があるかないかの議論が絶頂に達している話。
一方は『二元論』であり、魂はあり死後は形態が変わるがある。
一方は『無神論』であり、魂などはなく「ひとつの法則」があるだけである。
これは現代でも宗教間の対立で鋭く現れている問題ですね。
まあ天国と地獄があり、その生前の行いにしたがって、神がしかるべき場所へ送るみたいなのと、そんなものはなく因果があるのみっての?
これは、まあグルジェフさんなら「魂は完成する可能性が与えられているが、そうでないものは無に帰すだろう」とか言いそうだな。
しかし、この辺りの理論に空想をたくましくした結果、数々の真理が生まれ、その『真理』なるものがバビロンを永久に破壊するのであった。
ここでの要点は、人間の理性は、どんなものでも真理と納得してしまうと言うことである。
トウモロコシが世界だと言われても証明されうるwwwwwwww
で、そのあとで母親の家で食事を済ませ、ブログ更新しているのでした。
山芋とマグロの丼、めちゃうまかった!
て、ことで、もう1分くらいしか猶予がありませんので、いつもの宗教トークは一言でw
その認知の先にあるのではなく、認知される以前に在るもの、なにもせずとも、そこにいる、そこが、人間の本性である。
ほいでわー、また!