今日はね。姐さんが生まれて始めて飼った犬、「愛犬マリー」の命日なのです。
もう7年たっちゃった。
はやいな。でも、長いな。
マリーは生まれつき病弱な子でした。
病院に行かない月はなかったくらい。
2歳の頃、肝臓が急激に悪くなって、GPTとか測定不能な高い数値。
尿から石が出たり、お風呂に入れば必ず膀胱炎。(汗)血尿しょっちゅう。
おしりの毛もしょぼしょぼ。w
どんな療法食も、漢方も、あらゆる事を試しても、
肝臓の数値は変わらなかった。
子犬の頃のマリー。
それが、10歳の時、祝日でたまたま行った救急病院で、
病名が解った。「門脈体循環シャント」。
お薬を飲んで1年。マリーの肝臓の数値がやっと普通になった!
と。思ったころ、子宮蓄膿症発病。
肝臓が悪くて、麻酔をかけたら死んでしまうかもしれなくて、
それまで手術が出来なかったのね。
でも、今なら!って、入院させた。
手術は無事成功。
だけど、マリーは、環境の激変、手術のショックからか、
一切お水も飲まないし、おしっこすら我慢してた。
実は、ここの病院。1階の診療室はとっても綺麗な大きな病院だったのだけれど、
2階の入院室は、驚くほど管理が行き届いていなかった。
2~30匹の犬猫が冷たいタイルで囲まれた小さな檻に入れられ、
悲痛な鳴き声が鳴り響く。
看護婦さんは二人。
「00さんが面会に来ました」と、下から連絡が来ると、
慌ててその子のケージだけ綺麗にする。みたいな。。
姐さん、面会時間の間は、ずっと、マリーのそばにいました。
小さな、タイルで囲まれた檻の中に入って。
マリーがこわがらないように歌を歌ったりして。
入院から5日目。7年前の今日。
朝9時の診療時間に病院へ行くと、主治医の先生が
「マリーちゃん、熱も下がって来て、安定してきました。
これなら輸血もしないでいけそうです!面会時間まで
ロビーでしばらく待っていてください。」
11時から面会。
10時半頃だったな。看護婦さんが上から駆け下りて来た。
「容態が急変しました。上へ来て下さい」
マリーは、死んでいた。
酸素マスクをつけて、心臓マッサージをされていた。
もうべろは、だらんと口から出ていた。
姐さん叫び続けました。マリー!!って。
退院したら、大好きな軽井沢に行く事を約束してた。
「マリー!軽井沢行こう!おうち帰ろう!」
2時間くらい、その状態が続いた。
旧軽井沢のカフェで、上機嫌のマリーと姐さん。
その間、ほんの一瞬、マリーのベロが動いて
目をあけようとした時があった。
看護婦さんが「奇跡だ。」って呟いた。
実は、マリーは、朝の先生の診療後、誤飲をしてしまったらしい。
息が出来なくて、冷たいおりの中で誰にも気づかれず虹の橋まで行った。
姐さんが、すぐ下のロビーでマリーに会えるのを待っていた同じ時間に。。
看護婦さんが気づいた時は、もう手遅れだった。
ちょうど7年前の今頃。
病院でつけて頂いた小さなお花のリボンをつけたマリーの遺体を車に乗せて
姐さんは、ただただ軽井沢に向かってそのまま走った。
もし裁判でもして、勝てばマリーが生き返るなら、一生かけても戦いたかった。
激高して生き返るなら、いつまでも叫びたかった。
でも、そんな事は起こらないのだもの。
だめと知っていても、私のために汗を一杯かいて、2時間も
心臓マッサージを続けてくれた主治医の先生に御礼を言って病院を後にした。
碓氷峠のカーブで、このまま直進してしまおうかと思った。
そんな日なんだ。
今日は。
でもね。マリーと過ごしたかけがえのない11年。
そして、マリーが呼んでくれた、でぶ(かぶ・猫)をはじめとする、
新しい命との出会い。
そう。今日は、我が家の紅一点モモの誕生日でもあるのです!
しめっぽいブログになってしまいました。(汗)
ごめんなさい。
でも、いつか書いておきたいと思っていたんだ。
人生には、どうにもならない別れというものがあるという事を
マリーは教えてくれたと思うのです。
経験した人でないと、理解出来ない、小さな命を失った無限の心の穴。
だから、姐さんは、同じ痛みを持った方達のために
出来る事があるのなら、微力でも力になりたいって思うのです。
最後まで読んでくれてありがとう。マリーより。
もう7年たっちゃった。
はやいな。でも、長いな。
マリーは生まれつき病弱な子でした。
病院に行かない月はなかったくらい。
2歳の頃、肝臓が急激に悪くなって、GPTとか測定不能な高い数値。
尿から石が出たり、お風呂に入れば必ず膀胱炎。(汗)血尿しょっちゅう。
おしりの毛もしょぼしょぼ。w
どんな療法食も、漢方も、あらゆる事を試しても、
肝臓の数値は変わらなかった。
子犬の頃のマリー。
それが、10歳の時、祝日でたまたま行った救急病院で、
病名が解った。「門脈体循環シャント」。
お薬を飲んで1年。マリーの肝臓の数値がやっと普通になった!
と。思ったころ、子宮蓄膿症発病。
肝臓が悪くて、麻酔をかけたら死んでしまうかもしれなくて、
それまで手術が出来なかったのね。
でも、今なら!って、入院させた。
手術は無事成功。
だけど、マリーは、環境の激変、手術のショックからか、
一切お水も飲まないし、おしっこすら我慢してた。
実は、ここの病院。1階の診療室はとっても綺麗な大きな病院だったのだけれど、
2階の入院室は、驚くほど管理が行き届いていなかった。
2~30匹の犬猫が冷たいタイルで囲まれた小さな檻に入れられ、
悲痛な鳴き声が鳴り響く。
看護婦さんは二人。
「00さんが面会に来ました」と、下から連絡が来ると、
慌ててその子のケージだけ綺麗にする。みたいな。。
姐さん、面会時間の間は、ずっと、マリーのそばにいました。
小さな、タイルで囲まれた檻の中に入って。
マリーがこわがらないように歌を歌ったりして。
入院から5日目。7年前の今日。
朝9時の診療時間に病院へ行くと、主治医の先生が
「マリーちゃん、熱も下がって来て、安定してきました。
これなら輸血もしないでいけそうです!面会時間まで
ロビーでしばらく待っていてください。」
11時から面会。
10時半頃だったな。看護婦さんが上から駆け下りて来た。
「容態が急変しました。上へ来て下さい」
マリーは、死んでいた。
酸素マスクをつけて、心臓マッサージをされていた。
もうべろは、だらんと口から出ていた。
姐さん叫び続けました。マリー!!って。
退院したら、大好きな軽井沢に行く事を約束してた。
「マリー!軽井沢行こう!おうち帰ろう!」
2時間くらい、その状態が続いた。
旧軽井沢のカフェで、上機嫌のマリーと姐さん。
その間、ほんの一瞬、マリーのベロが動いて
目をあけようとした時があった。
看護婦さんが「奇跡だ。」って呟いた。
実は、マリーは、朝の先生の診療後、誤飲をしてしまったらしい。
息が出来なくて、冷たいおりの中で誰にも気づかれず虹の橋まで行った。
姐さんが、すぐ下のロビーでマリーに会えるのを待っていた同じ時間に。。
看護婦さんが気づいた時は、もう手遅れだった。
ちょうど7年前の今頃。
病院でつけて頂いた小さなお花のリボンをつけたマリーの遺体を車に乗せて
姐さんは、ただただ軽井沢に向かってそのまま走った。
もし裁判でもして、勝てばマリーが生き返るなら、一生かけても戦いたかった。
激高して生き返るなら、いつまでも叫びたかった。
でも、そんな事は起こらないのだもの。
だめと知っていても、私のために汗を一杯かいて、2時間も
心臓マッサージを続けてくれた主治医の先生に御礼を言って病院を後にした。
碓氷峠のカーブで、このまま直進してしまおうかと思った。
そんな日なんだ。
今日は。
でもね。マリーと過ごしたかけがえのない11年。
そして、マリーが呼んでくれた、でぶ(かぶ・猫)をはじめとする、
新しい命との出会い。
そう。今日は、我が家の紅一点モモの誕生日でもあるのです!
しめっぽいブログになってしまいました。(汗)
ごめんなさい。
でも、いつか書いておきたいと思っていたんだ。
人生には、どうにもならない別れというものがあるという事を
マリーは教えてくれたと思うのです。
経験した人でないと、理解出来ない、小さな命を失った無限の心の穴。
だから、姐さんは、同じ痛みを持った方達のために
出来る事があるのなら、微力でも力になりたいって思うのです。
最後まで読んでくれてありがとう。マリーより。