今日も高倉町を歩いた。なんか、日々の活動に追われ抜けていた部分を感じる。夕方からは、原点に帰れ!と、星原の方にお会いした。3時間ぐらいお話をしてもらった。吉美地域は、報徳社というのが立ち上がっていた。吉美小は、「報徳賞」というのがあったそうです。そこで、ITで調べてみました。今の吉美地域はこの精神で出来上がったものという感動するお話でした。
報徳精神とは 二宮尊徳(金治郎)の教えで「至誠」「勤労」「分度」「推譲」をいいます
二宮尊徳 江戸時代末期の農政家、当時の産業の主力の一次産業である農業の生産性を高めた実践指導者です
至誠 まことの道とは世を救い、世を益することをいいます。この意味においては仏教・神道・儒教・(キリスト教)も原点は皆同じです。宗教と違う所は理屈をこねるのではなく、まことを尽くし実行する所にあります。
勤労 二宮尊徳のとなえた説に天道・人道論というのがあります。 天道とは春夏秋冬、晴天・雨天等自然事象全てを指します。植物の種は全て土壌の上で発芽し日光と水の力で生育します。これを動物が食べ物とし生きてゆきます。これが天道です。この自然環境の基で人は種の中で米とか大根とか人間の役に立つものをより分け、生育中も雑草を除去し、灌漑を行い収穫を多く得ようとします。このように人が手を加え自分達の利益のためになすことを人道と呼びました。人道は作為的なものですから放置すれば自然に廃れてしまいます。これに歯止めをかけ人道を保持するのが勤労です。 分度 それぞれの分限を守り、相応の生活をするということ。これにより収支のバランスがとれた安定した生活ができます。至誠と勤労をもって収入を増やし、これに見合った支出をするのが順序で単に支出を押さえるけちけち倹約生活とは違います。見合った支出といっても贅沢やムダは戒めていますから当然収支過となります。この分を次に述べる推譲に回すわけです 推譲 分度を確立した上で行うもので、収入の一部を将来のために譲ることをいいます。自分の子孫のために譲ることは比較的簡単ですが、村おこしのために、社会のために譲ることはなかなかできないですね。しかし村や社会が豊かになれば必ず自分に還元される、そのために将来に渡る生活の安定幸福の保証のために必要なものが推譲です。例えば推譲金を灌漑事業に充てたとします。この結果干ばつ・洪水の心配もなくなり自己の作物の収穫量も増えるといった具合です。 報徳訓 報徳関係の会合で必ず唱和するもので報徳精神を説いたものです。原文は漢文で当然縦書きであるため横書きにすると感じが違ってしまいますが・・・
父母根元在天地令命 身体根元在父母生育 子孫相続在夫婦丹精
父母富貴在祖先勤功 我身富貴在父母積善 子孫富貴在自己勤労
身命長養在衣食住三 衣食住三在田畑山林 田畑山林在人民勤耕
今年衣食在昨年産業 来年衣食在今年艱難 年々歳々不可忘報徳
父母の根元は天地の令命にあり、身体の根元は父母の生育にあり、子孫の相続は夫婦の丹精にあり、父母の富貴は祖先の勤功にあり、我が身の富貴は父母の積善にあり、子孫の富貴は自己の勤労にあり、身命の長養は衣食住の三つにあり、衣食住の三つは田畑山林にあり、田畑山林は人民の勤耕にあり、今年の衣食は昨年の産業にあり、来年の衣食は今年の艱難にあり、年々歳々報徳を忘るべからず、と読みます
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