こんにちは
また3月11日の震災の日が巡ってきました。
この日になると思い出す人がいます。
あの日わたしはコンサートホールの中にいて大勢の人たちと共に帰れなくなってしまいました。
水を求めてホールの中をウロウロしていますと、話しかけてきた30代後半くらいのOLらしき人。
「誰かと話していないと不安で不安で」と消え入るような声。尋常でない印象を受けました。
あの時もっとずっと長くお話ししてあげればよかった、一晩中でも、と未だに気になります。
もともと精神不安定な人だったのではないかと。あの人は大丈夫だったのか・・
今回は3月11日にはふさわしくない題材になってしまったのですけど。
今まで撮り集めてきた吊り看板の中からメルヘン風なものばかりを選び出してみますと、結果的
にドイツのものばかりでした。
もっとも、メルヘンという言葉自体もドイツ語ですので、やはりドイツが代表格なのでしょう。
メルヘンを日本語に訳せば「おとぎ話」とか「物語」。
今回選んだ中でも、物語のありそうな装飾の吊り看板だけをアップいたします。
↓下の街は、ドイツの中央部と南部の境目あたりにあるバンベルクです。
↑この街はまったくの無傷で中世の街並がそのまま残っており、ドイツでも希少な例だそうです。
第二次大戦でも、壊滅状態になった街もあった中で、戦火を受けなかったという運のいい街です。
↓そのバンベルクの街にちょっと変わった吊り看板を見つけました。
いくら晴天とはいえ、2月の寒い日なのにオープンカフェは盛況。
これはレストランの吊り看板です。
↓ズームアップ。
↑吊り看板にはよくあるパターンで、白鳥みたいな長い首の鳥が口ばしに看板をぶら下げています。
でも普通、この首の部分は綺麗な透かし模様になっていて、こんなブリキか鉄をくりぬいたベタ板
ではありません。この首は蛇みたいに見えてわたしは好きではないのですけど。
でも、ドイツのメルヘンって、こんな風にちょっと気味悪い感じもあるのですよね。ドキッとする。
↓どういう物語なのでしょうか、部分を拡大してみました。
↑お姫さま抱っこは、結婚式の新郎新婦のようです。新婦がにっこりとして嬉しそう。
左のお客さんにウェイターがお料理を運んでいますけど、披露宴のお客さんなのでしょうか?
おお、このめでたき日に陽はさんさんと降り注ぎ、薔薇の花はかぐわしく、われ美酒を傾けり。
この人は新婦のお父さんかもしれませんね。(笑)
↑そのバンベルクは、街を流れるレグニッツ川が枝分かれして運河のように入り組んでいて、川の
沿岸は舟をつないだ漁師町。小ベニスとも呼ばれています。
↓次は、やはり南ドイツのまたまたローテンブルク。前回取り上げたばかりの街ですけど。
↑これは大きな吊り看板でした。
この人たちは何をしているのでしょうか。拡大しました。↓
↑女王さまに鍵を渡しています。お食事や飲み物も運んできて。
その昔、戦いに負けてお城を引き渡すとき、相手の王さまにお城の鍵を渡したものだそうです。
その歴史をもじっているのでしょうか。全員女性。これが男性だと情景が生臭いものになるから?
ホテルのお部屋の鍵をお渡しして、女王さまのようにおもてなしをいたしますホテルです。
↓そのローテンブルクの街です。
この街も一部西側に大戦の爆撃を受けたとはいえ、主要な所はほとんど無傷で中世の街並のまま。
下の写真のように、あちこちに装飾の吊り看板が掛かっていました。
↓下もローテンブルクに掛かっていた吊り看板です。たぶんホテルの看板。
ローテンブルクはドイツでも人気の観光地ですので、小さな街の中に三角屋根の中世のお宿風の
ホテルがたくさんありました。
↑吊り看板の左にあるのはお城ですけど、このお城の形はローテンブルクの街の紋章の形です。
↓部分を拡大してみました。
↑最後尾には馬に乗った兵士。では、幌馬車には王さまが乗っているのでしょうか。
前の三人は聖職者か従者。この街の人なら何のストーリーなのか分かるのかもしれません。
↓最後に、ドイツ北部でよく見かけたメルヘン風な建物の写真を一枚。ポツダムの街です。
屋根に目があるように見えます。夜は灯りが猫の目のように見えるのでは?
この屋根をユーモラスと思う人もいれば、気味悪いと思う人もいることでしょう。あなたは?
グリム童話の「ヘンデルとグレーテル」の森の中などに出てきそう。
あれは、子供の口減らしを書いたほんとうは怖いお話。
ポツダムは、ドイツ東北部の首都ベルリンの郊外にあります。
第二次大戦の末期に、日本軍の無条件降伏を宣言したポツダム宣言の内容が米英中の三国(実質的
には米と英)によって話し合われ、決定された場所でもありました。
その会談が開かれたお屋敷もまた猫目の屋根でした。