アンシの絵と装飾吊り看板・その1

2018-05-31 22:15:17 | 旅行 ・ 装飾吊り看板

 

  こんにちは

  忙しくしていましてブログを書くのがすっかり遅れてしまい、せっかくいらして下さったかた、

  申し訳ありませんでした。

 

  前回お知らせしましたように、今回はフランスのアルザス地方の挿絵画家アンシ(アンシおじさ

  ん)がデザインした吊り看板や絵をご紹介します。

  「アンシ(HANSI)」とか「アンシおじさん」というのは自身で名付けたニックネームで本名は、

  ジャン=ジャック・ヴァルツ。1873年~1951年の人です。

 

                 
                          アンシの挿絵

 

  アルザス地方独特の可愛い民族衣装の少女や牧歌的な情景を描き、絵本なども発表していて一時期

  フランスで国民的人気の高かった画家でした。

  今でもアンシの絵入りの食器やグッズは雑貨店などに並んでいて、愛好されているそうです。

 

              
                 絵本                    絵本

 

  ご存知のように、わたしは去年の暮にアルザス地方を旅行したのですけど、旅行から帰ってきて、

  初めてアンシの存在を知ったのです。

  それまでは、アンシがデザインした装飾の吊り看板が掛かっていることさえ知りませんでした。

  でも、吊り看板の写真だけはいつものようにしっかり撮っていましたので、ネットで調べて、何

  とかアンシのものを特定できています。

 

  今までは無名の作者が造った吊り看板ばかりだったのに、今回初めて作者が分かった看板に出会う

  ことができて、これは収穫でした。

  なので、画家アンシのことも興味が湧いて、調べてみました。

 

  今のところ、アンシの吊り看板はコルマールに六つ、リクヴィルに三つ、把握できています。

  今回はコルマールのものから見て頂きたいと思います。

                            

           

  ↑上の看板、憶えていらっしゃいますか?アンシ作です。

  調べているうちに「白鳥薬局」の看板と分かりました。蛇は医療の象徴。女性は薬を作っています。           

                   

                               

  ↑この看板もアンシ。やっぱり、と思いました。

  今回調べていて分かったのですけど、文字のCHARCUTERIE(シャクトリエ)は、肉・ハム・

  ソーセージの専門店のことだそうです。本来はという意味ですけど。

  家畜のガチョウを追う少女。二人のコックは牛の頭と太腿(?)をトレイに載せて運び、左の豚

  も同じ運命に。豚に聖人が聖書を読み聞かせています。心安らかに死を迎えられるように。

 

  風刺画っぽいのですけど、アンシは絵のほうでもドイツへの風刺画を山ほど描いています。

  反ドイツ感情が激しくて、それがもとで後年ドイツのゲシュタポに狙われ、死に至るのです。

 

  ↓下のアンシの絵はコルマールの町。↑上の豚と聖人の吊り看板が掛かっています。

  この吊り看板は去年も同じ場所に掛かっていました。きっと百年以上、同じ風景でしょう。

                   
                           「良き肉屋」  

 

  ↓下の看板もまたCHARCUTERIE(シャクトリエ)と書いてあります。

  もともと、このお店は肉・ハム・ソーセージ屋さんだったのですけど、現在は洋品店。

  でもアンシの吊り看板はそのままにしているのだそうです。

           

  ↓ライオンのつま先に、アンシ(HANSI)のサインが見つかりました。

                    

 

  ↓この看板もアンシでした。リースの下辺りにサインがあるはずですけど、見えません。

           

 

  アンシのことを少しご紹介しますと。

  アンシが生まれた1873年は、譜仏戦争でフランスが敗北しアルザス地方はドイツに奪われ、

  ドイツ領になった(1871年)ばかりの頃でした。

  フランス国民からドイツ国民になる、その苦境は察するに余りあります。

  それは、次の第一次大戦でフランス側が勝利しアルザスが復帰するまでの48年間続きました。

  

  アンシは反ドイツの強い感情を抱いており、熱烈なフランス愛国者でした。

  ドイツが教える学校で勉学することを放棄してドイツ人教師にもことごとく反発し、退学します。

  その後、美術学校に入って絵の道に進み、コルマールでデザイナーとして働きながら絵を描きます。

 

             
               後年描いた、生徒がドイツ人教師に反発している挿絵。

 

  政治運動にも参加し、ドイツやドイツ人を徹底的に皮肉った風刺画を発表し続け、フランスを礼賛。

  アルザスの人々はフランスに復帰する日を待ちわびていることを絵でアッピールし続けました。

  なのでフランスでは、失われた領土を思い、アンシの絵はたいへん愛好されていたと言います。

 

  ところが事実は少し違っていたようで、アルザスの人たちはドイツに馴染んでおり、フランスに

  戻りたいとはそれほど思っていなかったということがその後の研究で分かってきたそうです。

  結局、政治的な背景があって、アンシの絵は親フランス反ドイツ運動のプロパガンダ(宣伝)で

  しかなかったという見方が広がり、アンシの画家としての人気は急激に落ちてゆきます。

  

  ドイツ時代には、反逆者としてドイツ権力にマークされ何度も投獄されており、遂に警官の隙を

  突いて逃亡し、フランスに亡命。

  第一次大戦が勃発するとフランス軍に入隊して進んで偵察部隊の先導を務め、アルザスの村が

  フランス軍の手に落ちるたびにそれを「解放」として喜びを絵に描いたそうです。

 

                    
                             アンシ

  

  第一次大戦でドイツが降伏してアルザスはフランスに復帰したものの、また第二次大戦が始まり、

  大戦中にドイツナチスによってフランスは占領されてしまいました。

  反ドイツ主義者としてマークされていたアンシはスイスに亡命する途中にゲシュタポに危うく暗殺

  されかかって、その時の重症が原因で衰弱して亡くなってしまいます。

 

        
                            

  古くから、ドイツになったりフランスになったりを繰り返してきた国境の、アルザス地方の愛憎

  の実情が本当はどういうものだったのか、極東にいるわたしには分かるはずもないのですけど。

 

  でも、アンシのアルザスの情景画を見ていますと、その愛郷の思いが伝わってきて、親フランス

  反ドイツのプロパガンダ(宣伝)の絵だったと一概にカテゴリーに入れるのは少々乱暴ではないか

  と思いました。

  もしかすると、この人の絵はフランスでもドイツでもなく、遠い国々で共感される絵なのかもしれ

  ませんね。

 

  まだ、アンシの吊り看板が残っていますので、絵などと共にもう一回続けたいと思います。

 

 

                               

 

        

        


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