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管理人 まりあっち

第6回 オクタノールの特殊用途

2006-03-22 06:21:38 | Weblog
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     世界の環境ホットニュース[GEN] 570号 05年03月22日
     発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
            水俣秘密工場【第6回】             
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 水俣秘密工場                       原田 和明

第6回 オクタノールの特殊用途

可塑剤原料としては米国有力メーカーに不採用となったオクタノールに、通産省
はなぜ拘り続けたのでしょうか? 輸送に海上保安庁の護衛までつけるとは尋常
ではありません。グッドリッチの回答書から考え併せると、可塑剤以外の用途、
それも米政府が求めるような特殊用途があったと考える以外にありません。

ひとつの可能性が国会議事録の中にありました。1954(昭和 29)年 6月3日、衆
院・通商産業委員会化学工業振興に関する特別委員会に参考人として呼ばれた三
井化学工業株式会社顧問・二階堂行徳がオクタノールの意外な特殊用途を語って
います。ジェット戦闘機用の燃料添加剤(潤滑油)という用途です。

航空戦史上、はじめてジェット機同士の空中戦が行われた朝鮮戦争は 1950年6月
に勃発、米軍を驚かせたのは、優れた上昇力と加速性能をもったソビエト製の最
新鋭戦闘機ミグ15でした。後退翼をもつミグ15は、直線翼の米軍ジェット戦闘機
を圧倒。これに対して米空軍も後退翼の F-86Fセイバーを投入し、制空権を奪
い返したのです。やがて戦局は膠着状態になり、1953 年 7月に停戦でしたから、
チッソ水俣工場のオクタノール生産(52 年9月)はジェット戦闘機の重要性が強
く認識された朝鮮戦争の最中に始まっています。

 「これはアメリカの調べでありますが、ドイツでは航空機用の特殊潤滑油を石
 油から約三万四千九百八十トン、それから今のオレフインから約三万五千トン

 それからエステル型の合成品が約四千七百七十トン、合計七万四千七百五十ト
 ン戦時中の一九四二年につくつておりますが、このエステル型の合成品といい
 ますのは、ドイツで戦時中に工業化した最もすぐれた潤滑油でありまして、こ
 れは高級アルコールと二塩基性酸の化合エステルで、目下問題のジエツト航空
 機用に欠くことのできないものであります。そのジエツト航空機用の潤滑油を
 つくります原料は、オキソ法によってつくるのであります。」

この翌月7月1日に防衛庁が発足、新たに航空自衛隊が誕生しています。そして、
1954年度に初めて米国からジェット戦闘機を購入することが予算化されました。
(1954年2月25日、衆院予算委員会第一分科会)

そのジェット戦闘機にエステル型の潤滑油が欠かせないというのです。二階堂は
その一成分・高級アルコールを特定していませんが、オクタノールが工業化され
た代表的高級アルコールで、チッソ水俣工場が当時国内唯一の工場でした。高級
アルコールとは値段が高いという意味ではなく、炭素が6個以上ある炭素数の多
いアルコールのことをいいます。飲用のアルコールはエチルアルコールで炭素数
は2個ですので高級アルコールではありません。

オキソ法とは石油原料から高級アルコールをつくる合成方法で、日本ではオキソ
法オクタノールの工業化は、6年後の 1960年に三菱化成(現三菱化学)によって
達成されました。三菱化成は オクタノールと イソブタノールに「開発目標を絞
り」、工業化技術の開発を急いでいましたが、結果としてチッソ水俣工場がアセ
トアルデヒド経由という特殊な方法で8年間も埋め合わせをしていたのです。

しかし、二階堂はチッソの方法にはまったく触れていません。二階堂が国会に招
かれた1954年は既に「劇症型」水俣病患者が発生していましたが、まだ公式には
発見されていませんので、当日の彼が水俣病の存在を知る由もありません。従っ
て彼はチッソの方法を隠したのではなく、オキソ法完成までの「つなぎ」の技術
にすぎなかったから触れなかったのでしょう。

 「今日本でジエツト機をつくる態勢はできたように承つておりますが、ジエツ
 ト機エンジンをつくつても、また燃料は割にたやすくできるそうでありますけ
 れども、できましても潤滑油がなければ飛ぶことが絶対にできない。世界各国
 ともに、今ジエツト航空機の潤滑油は秘密にしてやつております。辛うじて用
 を足しておる程度のように、いろいろ乏しい資料でありますけれどもうかがわ
 れておるのであります。」

日本の航空産業が生産と研究を再開できたのは 1952(昭和27)年4月でした。G
HQが「兵器、航空機の生産禁止令」を解除してからです。工場では朝鮮戦争に
参加した米軍機の点検・修理が 主な業務でした。7月に「航空機製造法」が公布
され、通産省重工業局に航空機課が新設されました(チッソは軽工業局が統括)。
そして、ジェット燃料用潤滑油の製造は軍事機密に属する事項だったのです。二
階堂の話しは潤滑油のもう一方の原料確保を巡って争奪戦が展開されているとい
う世界情勢の解説へと続きます。

 「これは余談でありますけれども、この二塩基性酸といいますのは、今のとこ
 ろではひまし油の中の一成分でありまして、ひまし油の一成分と高級アルコー
 ルとの化合物でありますから、このひまし油の獲得で英米ともに非常な努力を
 し暗躍をして、ブラジル、インドはアメリカが買い占めております。しかたが
 ないのでイギリスがニカラグアに今栽培を奨励してひまし油の獲得をしておる
 というような報道にも接しておるくらいに、非常に重要な問題でありまして、
 その原料は、オキソ法で高級アルコールをつくることによって一つの原料がで
 きるのであります。その片方の相手は今のところ、ひまし油であります。(中
 略)相手方のひまし油からとつた原料を使いますれば、高級アルコールと合成
 して十分潤滑油の性能が得られる品物ができるのであります。高級アルコール
 というものはこんな重要性が現在あるのでございます。」

ジェット戦闘機は原爆と並び最重要戦力でしたが、その性能を左右するのが、ひ
まし油とオクタノールだったのです。ひまし油の国際的争奪戦があったのならば

オクタノールもまた重要な軍需物資だったに違いありません。