高校の必修科目の履修漏れ発覚。
これは、すごく大きな問題だ。
文部科学省の偉い方は、各校の問題の責任者を処分すると言われているそうだが、そんなことで解決する問題なのか、本当の責任はどこにあるのか、ごまかさずに腰をすえて考えてほしい。
これは単に高校だけの問題ではない。
日本社会のあり方そのものが問われているのだ。
現行の大学入試制度を決めたのは誰か。
学習指導要領の内容を決めたのは誰か。
そこに矛盾はないのか。
それを決めた人たちは、学校教育の現場を知っているのか。
卒業生の大学合格者数を基準に校長を評価することを決めたのは誰か。
入試だけが難しくて、入ってしまえば、講義に出ていなくても、まじめに勉強しなくても、なんとか卒業できてしまう日本の大学(もちろん、すべての大学がそうというわけではないが)。実力なんて伴わなくても、出身校の名前だけで優遇される社会。
そういう大学のあり方、社会のあり方が、受験競争を過熱させてきたのではないのか。
日本という国(の為政者)は、真に人を育てていくビジョンを持っているのだろうか。
ほんとうに、子供たちのことを考えて、教育を考えているのだろうか。
学校では、教師も生徒も、ほんとうの意味で大切にされているのだろうか。
いじめられた生徒が自殺しても、「いじめはなかった」と言い張る校長。
履修漏れの責任を感じた校長が自殺しても、「情緒的に流されず……」などと言う役人。
自分の立場、自分の生活だけを大事にする大人に、教育を任せていいのだろうか。
命が、人が軽んじられる社会を作ってきたことを、みんなが反省しなければ、責任者を処分したって何も変わらない。
これは、すごく大きな問題だ。
文部科学省の偉い方は、各校の問題の責任者を処分すると言われているそうだが、そんなことで解決する問題なのか、本当の責任はどこにあるのか、ごまかさずに腰をすえて考えてほしい。
これは単に高校だけの問題ではない。
日本社会のあり方そのものが問われているのだ。
現行の大学入試制度を決めたのは誰か。
学習指導要領の内容を決めたのは誰か。
そこに矛盾はないのか。
それを決めた人たちは、学校教育の現場を知っているのか。
卒業生の大学合格者数を基準に校長を評価することを決めたのは誰か。
入試だけが難しくて、入ってしまえば、講義に出ていなくても、まじめに勉強しなくても、なんとか卒業できてしまう日本の大学(もちろん、すべての大学がそうというわけではないが)。実力なんて伴わなくても、出身校の名前だけで優遇される社会。
そういう大学のあり方、社会のあり方が、受験競争を過熱させてきたのではないのか。
日本という国(の為政者)は、真に人を育てていくビジョンを持っているのだろうか。
ほんとうに、子供たちのことを考えて、教育を考えているのだろうか。
学校では、教師も生徒も、ほんとうの意味で大切にされているのだろうか。
いじめられた生徒が自殺しても、「いじめはなかった」と言い張る校長。
履修漏れの責任を感じた校長が自殺しても、「情緒的に流されず……」などと言う役人。
自分の立場、自分の生活だけを大事にする大人に、教育を任せていいのだろうか。
命が、人が軽んじられる社会を作ってきたことを、みんなが反省しなければ、責任者を処分したって何も変わらない。