母の忘れもの

軽度認知障害になった母の記録

退院への道

2024-01-26 15:24:53 | 日記
母も入院生活に慣れてきたのか

少し落ち着いたように見える

病院の方針で面会は家族のみで

週一の15分間だけと言うことで

一週目、二週目は父だけで面会に行ったが

先週と今週は父と二人で行ってきた

先週から退院に向けての話も始まった

先週はまだ点滴をしていた母だが

やっとごはんも食べるようになったようで

今週会った時は点滴も取れていた

最初の2週間はせん妄状態だったのも

あったようで

方々に電話を掛けまくり

泣き喚き

祖父母が生きているかのような発言や

自宅の場所もわからなくなっているような

話しぶりだったので

これが続くのかと思っていたが

今週会った時には

祖父母が亡くなった事も

自宅の住所も分かっていたので

ホッとした

顔を見せる度に泣いている母は

崖から落ちたことになっているが(本人談)

病院に居なければいけないことは

受け入れたようだ

そんな中

病院の退院調整看護師さんと

退院後の行き先についての面談があった

家に帰りたがっている母を

なにも考えず「家に帰してやりたい」

と言う父

入院後あまり会えてなくて

現状がどうなのかもはっきりしないけど

少なくても今足は不自由になっている

病院でベッド生活だから

車椅子に乗るなり歩行器を使うなりして

トイレに行けるらしいがそれも

看護師さんが付き添ってくれるから

行けているだけ

先週は間に合わなかったことも

多かったようだ

そんな母を連れて帰って

入院前と同じように

自分は仕事に行き

布団生活が出来ると思っているのか?

母を自宅に帰すには

ベッド生活に切り換えなければいけない

自力でトイレやお風呂に入れなければ

いけない

母は床に座ったら自力では

立ち上がれないと思う

そんな母を一瞬でも1人には出来ないけど

それでも家に帰したいなら

それなりの準備がいるから

退院してすぐ自宅は無理だと思う

と、父には話したが

ちゃんと理解できてはいないだろう

とりあえず

足の機能をある程度訓練してから

自宅の準備をすることにしては?

と父に話してやっと納得したので

退院調整看護師さんには

リハビリの病院へ転院したい旨を伝えた

すると

リハビリをしっかりやってくれる病院
(3ヶ月)

リハビリもしてくれるが

とりあえず預かってくれる病院
(2ヶ月)

リハビリと介護をしてくれる

自宅復帰を目指す介護施設
(期限は特に説明がなかったが調べによると3~6ヶ月)

の3択が提示された

母は足の機能訓練も去ることながら

認知症のケアが重要になってくるので

介護施設をお願いした

父もそれでいいと言うので

病院側で手配して貰えることになった

来週施設に父と面談に行く運びとなったが

施設が現実味を帯びてくると

気がついてしまった

病院はすべてレンタルだったので

服や下着や日用品を

準備する必要がなかった

自分の物が全くない状態が

不安だったのかもと

先週母がお気に入りのベストや

靴下やお菓子とミカンを差し入れたが

施設はちゃんと準備しなければいけない

全国的に雪がすごかった日

本当は施設の面談の予定だったが

雪のため延期になり

私は仕事も休んでいたので

ちょうどいいから実家に行き

施設入りの準備をした

実家に行くと

きちんと片付いているように見えるが

実はゴミ、と言うものが

手付かずでそのままになっている

母がいない間に片付けようとは

思わないんだな

私としては骨折した母は

二度と履くことはない

高いヒールの靴を

ついでに片付けようと思っていた

大きな下駄箱の4段あるうちの3段に

母のご自慢の靴たちが並んでいる

中には認知症がすすんで

かかとの高い靴に不安を覚えた頃に

虚栄心を満たすためだけに買って

一度も履かなかった靴もある

一足2~3万円ほどしてる靴を

20足ほど捨てた

普通サイズなら私や姉が貰うか

売ることだって出来たかもしれないが

21.5センチの靴は誰も履けない

容赦なく靴を捨てる私を見て父が

「勝手に捨てたらママが怒るぞ」

と言った

「ペッタンコの靴でけつまずいて骨折した人がこんな高いヒールの靴履けるわけないじゃん
怒るもなにも帰ってこれないかも知れないしね」

と言うと

「帰ってくる気でいるぞ」

と父

なんか違和感がある

父の中では母の認知症は

認識されていないのか?

認知症でなければ骨折しても

歩けるようになりさえすれば

帰れるとは思う

でも母は認知症だ

だからデイサービスのお休みも理解できず

自分で行こうとして転んで骨折した

たくさん同じものを買って腐らせて

たくさん捨てて

その金額が毎月10万円越えてたことも

認知症だからなのに

父は

「もともとおっちょこちょいだから」

でおさめてしまう

入院したばかりの時に

母がおかしな事ばかり言ってたことも

「あいつの実家はみんなおかしいから」

と母の実家をディスる

父はもう7年はたつのに

母の認知症を受け入れたくないのか

本気で母の性格のせいだと思っているのか

理解に苦しむ

「デイサービスの休みを理解できずに歩いて転んで骨折したってことはもう一時も目を離しちゃいけない状況だったってことだよ?」

と父に言うと

それでも納得できないように顔をしかめた

私は起きた出来事に対処してるだけで

認知症になったのも骨折したのも

母の身から出たさびだし

そんな母を綺麗事だけ並べて

なにもしない父のせいでもあるのに

いつも私ばかり責められる状況って

本当に割が合わない




急転直下

2024-01-11 12:33:16 | 日記
その後

母は週6でデイサービスに行き

家事はほぼ父がやるようになった

私は薬の管理と病院の付き添い

デイサービス対応などしたが

うまく回り始めたと感じていた

母の認知症はすすんで

父に敵対心が強かった少し前は

絶対父と一緒に居たくないからと

別々に過ごしていたのに

いつからか

実家に行くとリビングに二人で

居るようになった

父も心なしか嬉しそうだった

曜日感覚もなくなった母は

毎日デイサービスのお迎えを

待つようになった

最近は時間も曖昧になってきて

お迎えの時間にはまだ早いのに

「お迎えが来ない」

と私に電話してくることもあった

そして心配していた

デイサービスの正月休み

12月29日~1月3日までのお休みだが

早速12月29日に

母から「デイサービスのお迎えが来ない」

と電話があった

目につくカレンダーにも書いておいたのに

やっぱり見てない

「今日から1月3日までお休みだよ」

と言うと

「じゃあいくら待っても来ないね」

と笑って電話を切った

とはいえ家に一人でいる時間は

こまめにGPSを確認しなくては

デイサービスに行ってる時は

安心できたのに

お休みだとこういう気持ちの負担がかかる

認識の甘い父にはこういう気持ち

理解できないだろうな

でも私も甘かったかも

毎日確認の電話がくるだろうと

半分うんざりした気持ちで思ってた

1月30日午前11時くらいに電話が鳴った

母からだけどデイサービスの確認にしては

時間が遅い

電話に出ると

「私転んじゃって立てなくなったからちょっと来てくれない?」

落ち着いた感じで言うから

「迎えに行けばいいか」くらいに

思ってた

「近くにいた人が助けてくれて今救急車をよんでくれてて…」

え⁉️救急車?

大掃除中だったけどそのままにして

家にいた末っ子に留守番を頼んで

旦那と一緒に母のところへ走った

駆けつけると警察もいた

助けてくれた人が

「たぶん骨折してると思う」

と言うので母の左大腿骨付近に

触ってみると

ひどい痛がり様なので

私が車で運ぼうと思ったけど

これは無理だと思って改めて

救急車を要請した

年末で病院もお休みに入ったところで

受け入れてくれる病院を探してもらい

家から車で20分ほどの病院に搬送された

仕事が終わって家に戻ったタイミングの

父に電話をして

保険証と薬を持って

病院に来るように言った

搬送された病院で検査をしてもらうと

やはり骨折していた

でも医師もお休みに入ってて

1月4日以降にたぶん手術することになる

と言われた

「それまで折れっぱなしですか?」

と聞くと

「そうなりますね」と言われた

一週間も動けずオムツ生活なら

間違いなくこのまま寝たきりだよね?

それでなくても認知症で

転んで大腿骨骨折して寝たきりなんて

よく聞く話

寝たきりになることも

認知症がすすむことも

受け入れなければいけない現実だと思った

まさに急転直下な展開

ちなみに母は

デイサービスのお迎えが来ないので

歩いて向かおうとしたらしい

翌日大晦日にも関わらず

急遽先生が来てくれて

手術をしてくれることになった

詳しく説明を受けると

大腿骨はポッキリ折れているわけではなく

転んだ拍子に筋肉に引っ張られた部分が

剥離してしまって

そこを起点に内側にヒビが入ってる

状態なのでボルトで固定して

支える力を強化することで

離床を早くできるのを目的とする手術との

ことだった

手術は2時間ほどで終わり

本人は驚くほど落ち着いてた

「大丈夫?」と声をかけると

「うん、ありがとね」

と昔の母に戻った様だった

すると次の日から

全て忘れた母から

パニック状態で電話がかかってきた

ある時は私と父にどこかの施設に

入れられたと思い込んで文句を言ったり

ある時はここから1時間ほどかかる

自分の実家があった場所の病院に

転院したいと言ったり

30年以上前に亡くなった祖父や祖母は

自分がこんなところに居るのを

知ってるのか?と聞いてみたり

どういう記憶になっているのか

こちらが混乱するような電話が続く

これで一気に認知症が

進んでいるんだろうと

私は複雑な気持ちでいるが

正月明けから2回面会に行った父は

電話ではおかしなことを言うけど

会いに行くと落ち着いているし

元気だから退院も早いのではないかと

ずいぶん楽観的だ

母は術後食事も水分もとらないので

点滴するようになった

電話の度に食事をしないと

点滴はとれないし

リハビリして歩けるようにならないと

退院もできないよと言っているが

全く聞く耳を持たない

認知症もすすんで歩けない

そんな人のどこを見て

退院できると思うんだろう?

例えば退院できても

今までのようには生活できないはずだけど

父はどうやって

介護していくつもりなんだろう?

私はむしろ病院にいてくれた方が

安心なのだが

ただまわりに迷惑をかけてないかだけが

心配