母の忘れもの

軽度認知障害になった母の記録

年齢詐称

2019-10-30 15:12:31 | 日記
今年は高校3年の息子と中学3年の娘が受験生のため旅行や遠出は諦めているが
小学4年の娘がかわいそうなので
夏休みにレゴランドの年パスを買った

先日2回目のレゴランドに母も一緒に連れて行ってみた

母にはレジャーランドなんて退屈かと思っていたけど
レゴランドに行く話が出たとき
「私も行きたい❗連れてって❗」
と言うので

母も一緒に入れるアトラクションは誘って、絶叫系は待っててもらったが
意外とニコニコ楽しそうだった

帰りにレゴランドのアンケートを頼まれたので協力した

口頭で質問されて答えるタイプのアンケートに私が答えた

「今日は何回目?」とか「どなたと来ましたか?」とか答えていると
「今日一緒に来た人の年齢は?」との質問

「おばあちゃまのご年齢は?」と聞かれ私が「77歳です」と答えると
それまで黙っていた母が割って入り
「75‼️」と言う😅

「いやいや、77です❗」と私が言うとそれにかぶせて
「75❗」と母が言う

アンケートの人が困っている😥

私が母に向かって
「あなたは77歳ですよ❗間違いなく❗」
と言うとやっと引っ込んだ

アンケートの人苦笑い😓

前からそんな押し問答が何回かあったが他人を巻き込んだのは初めてだった

75でも77でもどおでもいいとは思うがそんなどおでもいいことを割って入ってまで訂正したかった母

2歳若いと何かメリットがあるのか?

どうも理解しがたい😑

便秘でもない

2019-10-25 12:43:53 | 日記
ある朝母から電話がきた

母「朝からもう一時間以上もトイレから出られない、どうしたらいい?」

半泣きで言う

閉じ込められたのか?電話をもってトイレに?
意味がわからず

私「は?なんで?」

と聞くと

母「う◯こが出そうなのに出なくて入り口(⁉️)で詰まってる感じww😥どうしたらいい?😰」

そんなこと電話してきて私に何をしてほしいんだろう?

私「出ないならずっとトイレにいる必要はないんじゃない?」

と言うと

母「わかった、じゃあとりあえず出るわ」

と言って電話を切った

そしてこの後一日中私は母に取り付かれるのだ😱

10分ほどしてまた母から電話

母「朝からう◯こが入り口(⁉️)に詰まって出てこない‼️どうしよう😖💧」

私「さっきも聞きましたが😠
私は医者じゃないのでどうにもできません
ずっと出てないの?昨日は?」

母「昨日は出たけど…」

私「1日くらいでない日もあるよ❗そんなに騒ぐ程のことでもないじゃん❗水分とって様子見なよ」

母「朝から水もいっぱい、牛乳もいっぱい飲んでるのに出ない❗入り口(⁉️)に詰まってる感じ😖」

私「一気にとったって効果はないって聞いたよ、少しずつとって今日中に出るか明日出るかでいいんだから気にしないようにすれば?」


そこでなんとか電話を切ったが
イライラ⚡⚡ムカムカ⚡⚡
一人で
「私にどうせいっちゅーねん❗だいたい入り口ってなんだ‼️言うなら出口だろーが‼️」
とどうでもいいけど耳についてモヤモヤしたことを叫んでみる

すると少しして母がうちまで来てまた同じ話をする

母「どうしよう😖💧病院行こうかな?」

私「今日出てないだけで病院行ってもすぐなんとかなるわけでもないよ、整腸剤出されて様子見てって言われるだけだと思う」

と言ったものの、この後3回も家に来られて4回同じ電話を受けるはめになり最後にはうちに来るなりうちのトイレに直行してそこから

母「ちょっと❗薬局行って浣腸買ってきて❗」

と叫ばれた時には私もさすがにキレた👹

私「そんなの自分で行ってこい‼️」

母はすごすごとトイレから出てきてまた入り口に詰まってると訴える

私「朝からずっと(この時点でもう昼)そんなことしてるなら病院行けば?私が何言ったって安心しないなら病院に行けば気がすむんじゃない?」

と言うと

母「じゃあそうしようかなぁ?」
と言って帰って行った

その後2回ほど「病院行こうかなぁ?」という電話がきたが
「そうして」と言って電話を切った

病院に行ったであろう後はやっと静かになった

次の日どうなったか聞いてみると
下剤をもらったらしいが逆に出すぎると言っていた

後日認知症の診察でその事を話すとそれも認知症の患者さんにはちょっとしたことが気になってパニックになることは良くあることです、と言われた

念のためと認知症の病院でも下剤を出してもらったがお薬手帳で先日出してもらった薬と同じ薬だと知った
4回分ほど出ていたようだが母はその薬はもうないと言う
ここでその時の薬を先生の指示通りじゃない飲み方をしたのではないかという疑惑がわいたので認知症の病院で出してもらった下剤は預かることにした

最初納得した母は何度か

母「私って何か薬預かってもらってるんだっけ?」

と聞いてきたと思ったら翌日には

母「ちょっと便秘になりそうだから薬ちょうだい」

と言ってきた

下剤って「なりそう」って飲むものではないと思うけど…

もうめんどくさいので全部渡しました😜


はみ出してきた

2019-10-23 12:30:06 | 日記
2週間ほど見に行けなかった実家の冷蔵庫を確認しに行ってみた

玄関を入ってすぐの部屋に野菜が積んである

…と、いうことは😨

野菜室が入りきらなくなったということか😓

冷蔵庫の野菜室を開けると

もうギュウギュウ🐮状態

一番上に
少し成長して袋が邪魔で一斉に横に向かって伸び始めている豆苗

それをどけるとネギ(母はネギをレジを通って持ち帰るとき半分に折って袋に入れるがその袋ごと)が2袋、アスパラガスが3束(1つは頭が折れてギュウギュウに押されてあわれな姿に)

白菜1/6が2つ

一番下から少しも使われずに真っ黒になったブロッコリーとレタス半分

赤玉ねぎが使いさしの物と皮の被った状態の物があわせて6個出てきた

腐ったものを処分したら部屋に積んであった野菜のうち茄子とネギ(またネギ😱)ときゅうり5本を野菜室にしまうことができた

部屋に残った野菜は
じゃがいも
玉ねぎ
赤玉ねぎ

これまたたくさんある
10個くらいずつはある

でもふと気がついた

冷蔵庫をチェックするが漬物納豆梅干しはどんどん積まれているのに前日の残りなど母が作った物が残っているのをもう何ヵ月も目にした覚えがない

老夫婦二人でこんなに食べるか?って思うくらいの刺身を買っていった時も次の日聞くと全部食べたと言う

母はちゃんとごはんを作っているのか?

父に聞いてみた

私「昨日の夜は夕飯なんだった?」

父「いっぱいでたよ
サバの味噌煮とカボチャと野菜炒めとか
5品くらい出てきてちょっと多すぎて
食べ過ぎなんだ
太ってきちゃって…」

それを聞いた母がキレる😠〰️💣

母「何よ❗娘がいるからって調子にのって❗文句があるならもう作らないから好きなもの買ってきて食べれば⁉️」

私「あまりにも毎回冷蔵庫の中身がすごいからご飯作れてるか心配で聞いたんじゃん❗」

小さな声で父は私に

父「うん、いっぱい作ってくれるよ」

といっている横で

母「もう今日から絶対作らん‼️😡」

と叫んで自分の部屋に去っていく

私はその背中に

私「はーい✨そうしてくださーい😁」

と言う

→冷蔵庫のことでもめると必ず母は
「もう何も作らん‼️」と怒る
最初の頃は私も腹が立って言い返したりわからせようと話をしたがわかるわけもなく本当に作らなくなるわけでもない
だから今は私も
「どうぞー😆そうしてくださーい✨」
と言う様になった

そして父と話を続ける

私「そんなに作って残り物は出ないの?」

父「全部捨ててる
‘捨てるな’って紙貼っといても捨てちゃうんだ」

なるほど

この家の食品ロスは半端ないってことね

食費の半分は確実に
捨てるためにかかっている

でも父は昔から事なかれ主義だ

いい言い方をすれば寛容なのだが

優柔不断なのかな?

でも父が何も言わないものを私がどうにかできるはずもなく

まあなんとか料理できているなら

このまま様子をみよう

数分前
「今日から絶対作らん‼️」

と引っ込んでいった母が戻ってきたので

私「今夜はかつおのたたきと何にするの?」

と聞くと

母「うん、アサリの味噌汁とアスパラガスの炒め物するわ😄」

まあ、そうだろうね…😅



炊飯器

2019-10-11 20:11:21 | 日記
実家の炊飯器が壊れたから買いたいと母が言う

電機屋さんに連れてって一緒に選んでと言うのでとりあえず壊れたと言う炊飯器の動作確認をしてみる

電源は問題なし
予約も炊飯も大丈夫そうだが
まあ長年使ってるし内釜もコーティングが剥がれまくってるし
まあいいかと電機屋に連れて行き
「希望はあるの?」と聞いてみたが最新機能がついていても覚えるのは無理だし今の母にはずっと使っていた炊飯器とボタンの位置が同じ感じであることやシンプルでボタンや表示の文字が大きいのが重要だ

「もう5合炊きじゃなくていいでしょ?老夫婦二人だけなんだし」と言うと「そうだよね、毎日3合以上炊くことないしそれでいいわ」と答えたので3合炊きのボタンの位置も見ながら「これは?」と言ってみる
すると「これ小さくない?何合炊き?」と言う
「3合炊きだよ、もう5合も炊かないから3合炊きにするって言ったでしょ?」と言うと「え~それじゃあ誰か来た時とか困らない?」と言い出す
「もうそんなに大勢人が来ることないじゃん、それにもしそんなことあってもうちが炊いて持ってってあげることもできるし何回も炊くことだってできるでしょ?」と言うと「そう?」と不服そう
でも一応そのときは納得する
電機屋で5回くらいそのやりとりを繰り返しなんとか3合炊きで、これならと思った炊飯器を購入

帰ってきて実家に設置に行く
父と話をして初めて前の炊飯器がダメだった理由がわかった
ごはんが臭くなるらしい
それは炊飯器のせいか?とも思ったが新しい炊飯器を設置して予約の時間も設定して予約の時間を紙に書いて炊飯器の近くに貼り付けた
ボタンもわかりやすいから大丈夫だろうと思ったが

数日後炊飯器がわからないから結局父がやってるらしいと聞いた

やっぱり同じ機能でも分かりやすくてもシンプルでも
見た目が変わるだけで混乱してしまうんだなあ

今やずっとなんとか使えてたBlu-rayレコーダーも使えなくなり観たいドラマを録りためて観ることができなくなった

次は何が使えなくなるのかなぁ?

訃報

2019-10-10 20:22:42 | 日記
母のいとこが亡くなった

男兄弟に囲まれて育った母にとって姉妹のように仲の良かった人だ

母の話では母方のいとこは新潟の人で、亡くなった人は三重県に、その人の妹は豊明市にお嫁にいった

実家から遠くに嫁いだ姉妹と近い地域だからと母は長い間気に止めていた
私も何度かお会いしたが気さくでしっかりした人だった

何年か前その方の旦那さんが亡くなり、去年突然母の元にその人から「病気になって病院代が払えないからお金貸してほしい」と電話があった

ずっと連絡がなかったその人からの借金の電話に認知機能の低下のある母は大変な拒絶反応を示した

その人の兄にあたる人に電話をして借金の申し入れがあったと連絡した母
それから母はその人に連絡することはなかった

私は何度も「そんなこと言うような人じゃなかったんだから精神的に病んでるのかもしれないよ
電話かけてあげれば?」と言ったが母は自分で確かめることもなく怒ってばかりいた

何度か話をしているなかでいつ確認したのかわからないけどその人の兄が「鬱だった」と言っていたそうだ

私は気になっていたが母は思い出すこともないまま今日まできた

そしてきた訃報

その人の兄から聞いたらしいが式場も日程もわからないまま
「死んだんだと」
と他人事のような顔

「え?いいの?行かなくて」
と言うと
「だってどうやって行くの?三重県まで一人では行けないし」

どこにでも一人で行けると豪語してた人のセリフとは思えない

「行けないにしても弔電打つとか何かできることがあるんじゃないの?そんな薄情にできる相手だったっけ?」
と言うと
ちょっとボーッとした感じで
「なんか、よくわからん」と言う

とりあえず私から新潟のその人の兄に電話をしてどう言うことか聞いてみると
その兄も高齢で認知機能低下もあり話がちゃんと理解できずその奥さんも無理だと言う
亡くなった人の婚家の本家か豊明の妹さんの息子さん夫婦に聞いてみてほしいと言われたので、母に豊明に電話をさせると妹さんの息子さんのお嫁さんが知っているがまだ帰っていないので帰ったら電話をしてくれることになった

母に家で電話を待って告別式の場所と日程を聞いてと言った

しばらくすると母が来て葬儀場の詳細をもってきたがまたもや
「どうするの~私こんなとこまで行けないもん」
と言う
「弔電打つんじゃないの?」
というと
「まあそれしかないわね」と言うので私がスマホで弔電を申し込もうとすると喪主の名前がないことに気づき
「もう一度豊明に電話をして喪主の名前を確認して115で電報を申し込んで」と手順をメモして渡した

1時間半ほどして母から電話がきて
「どうするの~私こんなとこまで行けないもん」
と言うので
「豊明に電話してないの?」
と聞くと
「してないよ、して何聞くの?」と言う
「手順のメモは?」
と聞くと
少し探して「あったよ」と

もう一度説明して「わかった」と電話を切ってから夜電話はもうなかった
弔電打てたのかと思っていたのに
早朝から電話が鳴り電話に出られなかった私が折り返しかけると
「何時にそっちに行けばいいの?」と言う
目が点になる
「は?何の話してるの?」と聞くと
「三重県連れていってくれるんでしょ?」と言う
「いつそんな話になったの?私は行けないって言ったじゃん
電報は打ってないの?」と聞くと
「打ってないよ、どういうこと?行かないの?私寝る前に喪服も香典も用意してあったから行くことになったのかと思った」と言い出す
どういうこと?はこっちセリフだ
私は用事がある
一緒に行くのは無理だ
母がその後うちに来た
昨日とは違うメモを握りしめている
「8時に出る」と書いてある
「なんならここからタクシーで三重まで連れてってもらえば?」と言うと
「そうだね、タクシー乗ればいいか」と同調した
マジで?と思ったら
「近鉄で三重まで行ってタクシー乗れば行けるよね」と言って
「はあ、行けるなら行ってみたら?」と言った
「困ったら電話すればいいからね、GPSで場所は確認できるからね」
と言うとちょっと不安そうに帰っていったがGPSを確認していたらなんとか葬儀場にはたどり着けたようだ
私は夕方まで出掛けていたが夕方うちに来た時会った娘は母は明るい顔していたと言っていたので私も安心した

まだその後会っていないのでまたゆっくりエピソードを聞こうと思うが
忘れているかもね

「一人でどこでも行ける」を有言実行できて母も少し自信を取り戻せたかもしれない