サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』のパロディが
玖保キリコの漫画にあるらしい。
日々の一冊というたまたま見つけたサイトに紹介されていた。
不覚にもいじめられっ子の態度に涙が出てきた。
いじめだけではなく、生きているというのはそういうことだと思う。
本家『ゴドーを待ちながら』は緒方拳と串田和美が出演した芝居を見た。
当時大学生、何も考えてはいなかったので、
「つまんない」としか思えなかった。
今なら少しこの不条理劇が分かる気がする。
今はケータイが後藤くんのような気もする。
1人ではないと言う言い訳、世間への言い訳として使う後藤くん。
辛くない、大丈夫、だって後藤くんを待っているんだから。
後藤くんではなくゴドーはゴッドという解釈もある。
つまり死を待っているという解釈。
辛くても、何もなくても、死があるという恐れではなく希望。
でも1人で待つのは怖いから、2人でくだらないことを話して待つ。
さまざまに解釈できれば、物語は作者の手を離れて誰もの物語になる。
この作品がうけるのはそういうことなんだろう。
考えて考えても仕方ないことがたくさんある。
答えがでないことしかないのかもしれなくても、
結局架空のものをでっちあげて納得しているだけかもしれなくても、
私はやっぱり考えていたい。
どんなに悩んでも、もっと悩むことしかできない。
まぁずいぶん破壊されてしまったけど、
自分の脳みその可能性をまだ信じている。
少なくとも今私が生きているのは無駄でも何かを考えるためだ。
まだ後藤くんを待ってはいないはず。
玖保キリコの漫画にあるらしい。
日々の一冊というたまたま見つけたサイトに紹介されていた。
不覚にもいじめられっ子の態度に涙が出てきた。
いじめだけではなく、生きているというのはそういうことだと思う。
本家『ゴドーを待ちながら』は緒方拳と串田和美が出演した芝居を見た。
当時大学生、何も考えてはいなかったので、
「つまんない」としか思えなかった。
今なら少しこの不条理劇が分かる気がする。
今はケータイが後藤くんのような気もする。
1人ではないと言う言い訳、世間への言い訳として使う後藤くん。
辛くない、大丈夫、だって後藤くんを待っているんだから。
後藤くんではなくゴドーはゴッドという解釈もある。
つまり死を待っているという解釈。
辛くても、何もなくても、死があるという恐れではなく希望。
でも1人で待つのは怖いから、2人でくだらないことを話して待つ。
さまざまに解釈できれば、物語は作者の手を離れて誰もの物語になる。
この作品がうけるのはそういうことなんだろう。
考えて考えても仕方ないことがたくさんある。
答えがでないことしかないのかもしれなくても、
結局架空のものをでっちあげて納得しているだけかもしれなくても、
私はやっぱり考えていたい。
どんなに悩んでも、もっと悩むことしかできない。
まぁずいぶん破壊されてしまったけど、
自分の脳みその可能性をまだ信じている。
少なくとも今私が生きているのは無駄でも何かを考えるためだ。
まだ後藤くんを待ってはいないはず。