なつめぐ日記

思いのままに、がんばらない。

働くときに、忘れないこと

2012-12-06 00:44:04 | Weblog
ツイッターに書いたけど書ききれなかったこと。

私はとある雑誌の編集をしていて、
表紙の画像を毎月読者から募集している。
投稿が少なくて泣きたくなりそうなことはさておき、
ネット上で画像を探すことも私の仕事のひとつだ。

探す画像のテーマは「元気」。
ブログでいい画像を見つけては、コメント欄に書き込み、
趣旨を伝え、提供を依頼する。
そこで私はある国の病院で働く人が撮った写真を見つけた。

それは何人かの子どもたちが楽しそうに散歩をして、カメラマンに向かってはにかんでいる写真。
子どもたちはみんなむくんだ顔をし、帽子をかぶる。
重い病気を患う子どもたちが、たまにする散歩のワンシーン。

私はそのブログにコメントを書き込み写真を提供してもらった。

カメラマンは私の依頼にこう答えた。
「テーマが元気の表紙に、この子どもたちを選んでくれたことを感謝します」
私は改めて被写体の子どもたちが病気であることを知る。
カメラマンが病院で働いていて、
その病院が重い病気を患った子どもがいることを知っていたのに、
言われるまで、ただ、子どもの笑顔を見ていた。

でも、私の思考は次の号の画像を選ぶことに飛んでいき、締め切りに追われ、このことは過去の一冊になった。

今日、私は久しぶりに彼のブログを訪れた。
この時期は亡くなる子どもが増えるとか、
でも、彼なりに懸命に行動している姿が読み取れた。
過去の投稿に遡る。
ブログで、表紙になったことを触れていて、
私は読者がいること、この写真を提供してくれたことに感謝し、うれしくなった。

ブログの文章は続く。
「この写真の子どもたちの中には、もう亡くなってしまった子、退院後に連絡がつかなくなってしまった子がいます」
それでも取り上げてもらって感謝していると、
彼の文章は続いていた。

悲しくてではなく、自分の無知さに私は泣いた。

今まで表紙に選んだ、笑っている子どもたちが、
亡くなっているなんて考えたこともなかった。
私は今まで何枚の写真を選んだだろう。
彼らはみんな元気に今も生きていると思い込んでいた。

私が探す画像のほとんどは、
危険な場所ではないけれど、地域に何かしら問題を抱えている場所。
最初から知っていたことなのに、ただ知っていただけ。
共感したフリをしていた自分が恥ずかしい。

私は彼らから何を汲み取って、
何を伝えることができるだろう。
私には知らないことがたくさんある。
せめてこの感じたことが、少しでも表現できるように、
私は働いて、文章を書いて、写真を探す。
どんな小さなかけらでもいいから、行動を起こすきっかけになりたい。
何よりもまず私が行動する。

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