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なつめぐ日記

思いのままに、がんばらない。

おいしくおいしくおいしくな~れ♪

2009-07-31 08:12:30 | Weblog
ずっきゅ~ん☆

メイドカフェに行ってきた。
パフォーマンスに付き合わないといけないことに気を使い、
くつろぎげなかった。
着ぐるみカフェとかなら行きたいな~。

メイドの接客にもヨドバシの接客にも、
プロ根性みたいなものが見えて、
自分何やってんだか、と反省した。
がんばる元気が湧いてこない。

薄暗い日に安心している場合じゃないのだ。
太陽に顔向けできないことは何もしていないんだから。

自意識過剰の自己保身の自己満足

2009-07-29 22:58:59 | Weblog
人は忘れる。

知っていることと、感じることは違う。
知ったことは忘れやすいけど、感じたことは忘れにくい。
感覚は何かに結びついて、記憶を呼び戻す。
言葉で表せないから、忘れられない。
文字にできることは、終わりにできること。

辛いときはひたすら文字にする。
辛いなら辛いと書く。
なぜ辛いかを、考え、一番しっくりくることをまた書く。
それが真実かはどうでもよくて、
認めて、文字にして、整理して、忘れることが大事。
書いたものを何度も読んで、自分に言い聞かせる。
理解できないことが一番辛いことで、
分からないことも分かることにしてしまえば、
未知のものに対する恐怖のような辛さは薄れていく。

文字にできない、感覚としての記憶が、ともかく忘れにくい。
それはいつも傷口をえぐって、同じような痛さをくれる。
感覚の記憶は上書き保存するのが一番早いけど、
それは根本的な解決にはならない。
この痛みは治らないまま、持ち続けるものなもかもしれない。

感覚の記憶を作らないために、壁がある。
私はよく話すし、分かりやすいし、そんなに悪い人でもない。
人をすぐに好きになるけど、何もしないことがほとんど。
感情を動かすことが怖いし、記憶に残ることがもっと怖い。

コントロールできるものじゃないから、どうしようもないけど、
どうしようもなくなる前に、断ち切った。
限界はもっともっと遠くにあったかもしれなくても、
今の私はこれ以上無理はしたくなかった。
日常生活で笑えなかったり、ご飯が食べられなくなったり、
体調が悪くなって仕事に支障をきたすくらいなら、
そんな感情はどうでもいい。
私がハッピーに生きるための、オプションくらいのものでいい。
どうにもならないことは、どうでもよかったこと。

今大事にしたいことは、多分それじゃないってことを
私は知っている。

パティスリー サロン GERBEAUD ジェルボー 青山

2009-07-29 22:42:42 | Weblog
カフェ「ジェルボー」でケーキを買って帰った。
1個700円するケーキを買ったのは初めてです。
この値段でまずかったらおかしいわけで、
おいしかった。
だけど、チープな味覚にはどこのザッハトルテも同じに思える。
ザッハトルテはどこで食べても濃い!

「ジェルボー」はハンガリーで150年以上の歴史を持つ老舗カフェらしく、
店員さんはきちんとした制服と接客で対応。

よっぽどのご褒美でないと買えないものだけど、
通り道にあったので一度は行きたかった。
オープン前に鼻を窓ガラスにくっつけて
中を覗いていたのは、私とマトリョーシカさんです。

入ったら買わないと、引き返すことはできない。
やっぱりケーキはトップスか不二家が私には合っている。

ステキなお店なので、人へのプレゼントとか、
自分へのご褒美にぴったりな雰囲気でした。

これでもだいぶ改善されました

2009-07-28 22:47:18 | Weblog
へこみ日継続中。
悩んだときこそ文章化。

私は話すのが下手で、目を見て話すことができないので、
相手の感情をあまり察知できていないと思う。
だけど、少しずつなおそうとしている。
目を見て話せない理由を知っている友達を相手に、
3年くらい前からリハビリ。

少しずつ進歩している。
その変化が少しだけ友達に届いた、嬉しい。

そんな中「目を見て話さない」と注意された。
今まで友達には言われたことがないので、少しびっくりした。
目を見て話さなくても、仲良くしているということは、
目を見ることができない事情があると、
話している相手が察知していてくれたのかもしれないと
初めて気が付いた。

私は自分が目を見ないけど、表情以外は見ている。
別に目を見ることが嫌なわけではなく、見られることが耐えられないだけ。
似たような人は雰囲気で感じ取ることもできるし、
全く表情を見ないわけでもない。
それと、この歳になれば誰だって何か人には言いたくないことがある。

その壁をやすやすと乗り越えてくる勇気は羨ましい。
何回か聞かれ、そのたびにはぐらかしてきたけど、
まだ聞けてしまうのは勇気ではなく、無知なのかもしれない。
無知は悪いことではなくても、人を傷つけることがある。

でも、そろそろ本気で「目を見て話さない」ことを
乗り越えなければいけない気もした。
当たり前のことが、当たり前にできる人には、
きっとバカみたいな決心に聞こえると思う。
「目を見る」行為をするために、私は気を張る。
「見る」ことに集中しないと、怖さに負ける。
怖さは私の劣等感だ。

坂木司の『仔羊の巣』の文章。
「人と一緒だと、許されている気がする。
一緒に歩いてくれる人がいる。
それだけの、それくらいの価値はある人間だ。
だから、存在していても許して。
見なかったふりをして、許して。
許してください。」
誰しもが持っている劣等感を、ここまでストレートに文章にして、
小説にしていいのか!と思ったけど、まっすぐすぎて読んでしまった。
私の理由もきっとこんな感じなのかもしれない。

人の目が怖い理由を久しぶりにちゃんと説明しようとした。
でも、できなかった、何を言えばいいのか分からなかった。
なぜと聞かれることが怖かった。

いい方に考えれば、そういうことが気軽に聞けるくらい、
私は明るい人間に見えたってことかもしれない。

がんばっている人に「がんばれ」というのは、
「努力が足りない」にしか聞こえない。
どうしても聞くなら、リハビリにお付き合い願います。
言葉の重みってそういうことだと思う。

ストーカー行為は犯罪です

2009-07-27 23:21:33 | Weblog
潜在ストーカー度チェックをやってみた。
やる前から結果は分かっていたけど、
それでも「もしかしたら」と思ってやってみた。

結果は
「ストーカー行為は犯罪です」
と、書かれる始末。

ストーカーになる要素だけは自分の中にあるのは分かっているけど、
こう書かれるとかなりイラっとくる。
やらないし、やったことないし、時間もったいないから。

しかしどうしてこういう性格になっちゃったのか、
それを今は知りたい。
そんなに人に執着しなくてもいいんじゃないかと思うけど、
そうはできないこの性格はいったい何なんだろう。

ぼくには分からない

2009-07-27 20:47:15 | Weblog
友達の男の子に言われた「友達でもする」。
私は友達とはしないし、その友達の1人にされるのは嫌だ。
「変わっているかな?」と聞かれたけど、
同じことを女の子から言われて「これからも仲良く友達でいよう」
なんて言えてしまうんだろうか。

私の世界が狭いのか、その男の子が変なのか私には分からない。
ただ、それなら世界は狭くていい。
知り合って、少しずつ仲良くなって、友達になる。
友達になろうと私が選んだし、友達になってもいいと思ってくれたんだろう。

少しずつ成長していく努力家な男の子を見ているのは楽しかったし、
純粋に私もがんばらなくちゃな~と思わせてくれた。
随分私より若いけど、しっかりしていて、
少し傲慢だけどきちんと努力をしていた。
信用していたし、応援もしていたし、尊敬もしていた。

考え方は自由だ。
でも私はその考えを認められないし、
部外者ならまだしも当事者にされるのなら友達ではいられない。

3年前に知り合って、お互いの本質が少しは分かってたと思ったのに、
そういう扱いをしてもいい友達と思われたことがショックだった。

昔信じていた友達に「君のためを思って」とよくわからないものを勧められ、
キレられた時と似たようなショックだ。

最後に男の子も私にキレていたけど、
何だか色んなことに対する混乱で何でキレられたのかよくわからなかった。
もちろん私の言葉がよくないせいもあるんだろう。
嘘はつかない人だっただけに、言葉の真実っぷりがより堪えた。

しばらく人間不信、恋愛恐怖症。
悲しい。

なにもしないという選択

2009-07-21 21:49:56 | Weblog
色々なものに惑わされてしまってちょっと後悔中。

休みは休むためにあるという持論を崩し、
3連休出かけるという無茶な選択をしたら
体調を崩し、本日顔色真っ白で終了。
辛かった。

恋をしたのに、考えすぎで終了。
メールを待つ行為に耐えられず、
送らないという選択肢を選んだ。
何も進まない。

他人に対する情熱が長持ちしない。
何してもドキドキしないなんて、ヤヴァイ。
経験が慣れを生んで、義務化している。
情熱のマニュアルはいらない、常に初心者でお願いします。

疲れが判断力を鈍らせて、
まぁいいかぁ…的な行動をする。
自分を決め付けるのはよくないけど、
いまさらフランクな考えの自分と対峙するとへこむ。
へこんだ。

行動だけで理解できても、言葉が必要。
逆に言葉でおおよそのことは許せてしまう。
大事なことは、言葉で。
分かっているけど、確認して安心したいこともある。

新たに出会う色々な人と、人の側面に少し疲れた。
いつもと変わらないことがとても大事。
休みながら迷わないように道を歩かないと、
どうにも判断を誤る。

何もしない選択肢をもっと大事にしないと、
自分の暗さに飲まれてしまいそうでちょっと怖い。
まだ大丈夫、有給とって休む。
土日も休む。

ケータイは手段であって目的ではございませんっ!

2009-06-29 23:40:37 | Weblog
「ケータイ持つのやめたから、
これからはメールができないので手紙送ってもいい?」
言われたらドン引きか。

ケータイは便利とかそういうのは分かっている。
見えない電波でつながっている、
このちっぽけな物体を持って何度泣いたことか。
これはただの物体だ、分かってるけど、
なんだこの存在感!

久々にメールを待つ人間になった。
一方通行の感情表現は人間関係の発展につながるの?
誰からもメールが来ないなんて普通なので
10通以上メールをやりとりすると気持ち悪くなってくる。
お誘いのメールのやりとり…週末が埋まっていく。

2人を誘い、2人に誘われる。
私が待つメールだけ来ない。
メールを開いてがっかりする。
この繰り返しが今日10回。
疲れる。

ケータイぶっ壊してやろうかと思う。
ダメなんだよね~、ケータイ持たずにどうすんだよって。
でもこれさえなければ、会った時に次の約束をして別れる。
それでいいじゃない。

私はケータイで人間関係を深めたいんじゃない。
会って話したいんだ!
会うための手段であって、ケータイなんかどうでもいい。
メールなんかじゃ伝わらないよ~。

「飲みいくぞ!出て来い!私と話せ!」

ってことです。

なぜ、探りをいれなくちゃいけないんだ。
めんどくさいよ~、もうホントめんどうだよ~。

言えればいいんだけど、言えないのでやっぱ待ってます。
何で好きな人にだけ、伝わらないんだろう。
それだけ伝われば、あとどうでもいいのに。

このままだとまた恋に恋しているだけになる。
やれやれ…でも、そんなにがんばるほどのエネルギーが湧かない。
エネルギーが湧かない恋は存在しないかも。
ダメだ、恋に恋しはじめてきた。

『終末のフール』

2009-06-29 22:41:16 | Weblog
伊坂幸太郎の小説。
後3年で地球が滅びる時に、生きている人たちの話。
文庫化されたので、すぐに読んだ。
毎回毎回、どうしてこうも面白いんだろう。

何かを失うことで誘う涙ではなくて、
何気なく、日常で得ることから笑顔で涙することが多い。
基本設定は非日常だけど、なんだかそれが普通に見えてしまう。
ともかく読んでて元気になる。

「鋼鉄のウール」の中の一言が、とってもよかった。

でも、前に伊坂幸太郎好きの友達と話していたら、
(話す前から、この友達は絶対好きだと思っていた)
『重力ピエロ』で感動する台詞がまったく同じだったので、
多分読者の大半が同じところで感動している気がする。
だから、きっと同じです。

読めばわかるさ。

本の最後にある解説の中で、
伊坂幸太郎が伊集院静に言われたことが書かれている。
「小説は、哀しみを抱えている人に寄り添うものなんだ」

知識欲とは違う本の読み方には、
限りなくこの言葉に近い気持ちがあると思う。

また読みたいと思える小説があって、
作家と同じ時代に生きていて、新作を待てるっていうのは
かなり幸せだよな~と、改めて思った。
全員ベストセラー作家なので、
あまりに普通でちょっと恥ずかしいけど。

本って面白いよね~。